Ⅲ—晃生

 冬哉の下宿先に寄ってギターを回収してから、俺と冬哉は丁度やってきた市バスに乗って、スタジオのある街の方に向かう。

 講義が午前で終わった瑞希は別行動で、現地で集合することになっている。一つか二つ前のバスに乗って先に行っているという連絡が、一時間ほど前にメッセージアプリに入っていた。


 とはいえ、それもだいぶ前の話。

 せっかく街の方へ行くのだ。趣味多き女であるところの瑞希はきっと、寄り道だとか買い物だとかに時間を使って、結局合流するのは同じくらいの時間になるだろう、なんて考えていたのだけど――練習開始の五分ほど前に、スタジオのある建物に入ると、彼女はすでに、練習用の個室と入り口との間にある空間で、椅子に腰かけて俺らを待っていた。


「やっほ。……おー冬哉、無事来たね」


 瑞希は、俺の後から入ってきた冬哉を見て、驚いたような、揶揄からかうような調子で言った。


「おい瑞希、俺には何もないのかよ」

「あーはいはい、晃生も。……でもほら、もしかしたら冬哉は逃げ出すかもしれないじゃん?」

「あ、それはあるな、納得」

「おい晃生、瑞希も。一体僕をどんなやつだと思ってるんだ……」


 横から冬哉が口を挟んでくるけれど、いちいち取り合わない。この前あれほどやりたくないって言っていたのは誰だ。

 最終的には強引にメンバーに引きずり込むつもりではあったけれど、そこまでにかかった手間を考えると、これくらいのことを言われるのは我慢しろ、と言いたくなってしまう。


「ほら、そんなことより冬哉、準備しとけ。時間になったらすぐ練習始めるぞ」


 まだ少し不満顔の冬哉を、そう促す。


 冬哉は渋々ながら、自分のアコギとチューナーを取り出して、音程を合わせ始める。

 一方で俺がする準備と言えば、せいぜいがスティックを取り出すくらいで、そんなことは部屋が空いてからでもどうにでもなるのだけれど、それでもつい鞄に手を伸ばしてしまう程度には、気がはやってしまっていた。


 どうにも抑えがたい、内でふつふつと高まっていく衝動。俺がこんなにも落ち着かない気分になるのは、勿論これが初めての練習だから、ということもあるだろう。


 だけど、それだけじゃない。

 これから始まっていく俺らのバンド、それを成功させたい、という思い、きっとうまくいくだろう、という期待と願い、そしてその先にある――もう一つの目標。


 俺は、それを達成するためだけに、残り二週間弱の練習に、そして来るべき本番に、全力を尽くす覚悟をして、今この場にいるのだ。



 磯城しき冬哉、明野あきの瑞希。

 俺がこの二人と出会ったのは、およそ六年前。


 別に、そこにドラマティックな出会いがあったわけじゃない。

 ある小さな範囲に住んでいた俺ら三人は、それぞれがごく自然に、偶然に、同じ中学へと集い、そして同じ部活に入部した。俺は、体力作りの一環として、瑞希は趣味の延長で、冬哉は、部活に入らなきゃいけないという校則と、興味のある部活動がなかったからという消去法で。


 そして、俺たちはそこで初めて顔を合わせ――いつの間にか、気の置けない仲になっていた。

 そのあたり、詳しく覚えているわけじゃない。友達付き合いのはじまりなんて大体そんなもので――ただ一つ、普通と違うことがあったとすれば、それは俺らの関係が、予想よりずっと長続きしたということで。


 そのまま、友達として時間を過ごし、選択肢なんてあってないような高校受験の時期を、「一緒のところに行けたらいいな」とお互い言い合って、そしてその言葉通り、みんな揃って地元のちょっとした進学校へと進んで。

 おかげで中学時代の知り合いたちからは冗談交じりに『腐れ縁トリオ』なんて渾名あだなで呼ばれて、だけどそれも悪くない、なんて思って。


 そして、そのまま。別に示し合わせたわけではなかったけれど、遠くに行きたい、と願うほど強い希望も夢もなかった俺たちは、たまたまそのまま地元の大学へと揃って進学して、いよいよ腐れ縁も極まってきたな、なんてこっそり思ったりして。


 だけど、それでも俺は――腐れ縁、という言葉ほど、この関係が嫌いではなかった。冬哉も瑞希も、凄くで、そしてこの二人といると、どこまでも俺は自然でいられた。

 いくら仲がいいとはいえ、大学まで一緒、なんてことはなかなかあり得ないことだと思うのだけれど、それでも三人で居られる時間が延びたことは、どこか嬉しくて。


 けれど俺の中には、いつしか、三人でいることの心地よさの中に、別の感情が芽生えてきていて――そして気付けばそれは、とても抑えつけていられないほどに、強いものへと成長していた。




 気づけば、俺は三人でいる間の、ふとした瞬間に、瑞希のことを目で追うようになっていた。

 初めはただ、居心地の良さ、その延長上にある何かだと思っていた。実際それはその通りだったけれど、そのうちにだんだんと膨らんでいって、そして俺に、ずっと一緒にいたい、そんな思いを抱かせた。


 それが恋だと気づくのに、さほど時間はかからなかった。

 別に初めての恋だったわけじゃない。けれど今回のこれは、今までのものとは違う、柔らかくて暖かい感じがした。


 だけど。

 気づいて、そこから先に進むことを、俺は躊躇ちゅうちょした。

 瑞希との思い出は、つまり冬哉と、俺と、三人で積み上げてきた思い出だった。だからこそ、ただ『夏樹晃生』という人物を想ってもらえる自信が、俺にはなかった。


 そしてそれと同じくらい――冬哉のことも気になっていた。

 俺が、瑞希に告白して、それが成功したとして、あるいは失敗したとして。どちらに転んでもきっと、あの友達はきっと、祝福したり、励ましたりしてくれるだろう。


 けれどきっとその時、彼は、寂しそうに笑うだろう。その様子は、あまりにも簡単に想像できてしまった。

 何故なら、俺と同じように、冬哉もまた、俺らが一緒にいるその時間を大切に思っている、そのことを知っていたから。


 俺が起こした行動で、きっと三人の関係はどうしたって変わってしまうだろう、と俺は思っていた。瑞希と付き合うことになったとしても、振られたとしても。


 けれどそれを、彼は諦めたような表情で受け入れるのだろう、と思った。

 自分の痛みより、誰かの幸せの方が大切だと。そんなことを、俺はすでに知っていた。


 怖かった。

 自分が大切にしているものが、自分の行動によって崩れてしまうことが。




 だけどあるとき、不意に俺は気づいた。

 そんな風に苦悩し続ける俺が、すでに、自然で居られる場所、それを自分から損なってしまっていることに。


 もう一度、あの時間を取り戻したい、と思った。


 だから、俺は勇気を出すことにした。




 同じ大学に進むことができたのは僥倖ぎょうこうだった。大学で開かれているイベント『残念会』の存在を知って、いい機会を得た、と思った。


 俺は、三人で一緒にいたい。

 この先いつかは別れが来る、それは当然にしても、今一緒にいることができる時間は、だからこそ大切にしていたい。

 だからこそ、俺は、この想いを隠さない。


 俺の趣味のドラムと、冬哉がやっているギター、瑞希が昔習っていたピアノと、その持っている歌声。皆の持てるものを組み合わせて、一つのものを作る。バンドというものは、俺が目指すことへの弾みをつけるために最適なように思えた。


 瑞希に思いを伝える。

 その上で、三人で一緒にいる。そのために。


 冬哉には、会の後で瑞希に告白する、ということを、すでに伝えてあった。

 我ながら卑怯だとは思ったけれど、そう言ってしまえばあいつは断られないだろうな、という打算が少しあった。

 瑞希が乗って来るかどうかは賭けだったけれど、彼女も了承してくれた。


 こうして、俺の計画が始まった。

 すでに覚悟はできている。あとは、本番が成功するように、それが俺の勇気の源になるように、練習に全力を尽くすだけで。




 そんな、抑えようもない気合のせいか、妙に長く感じた五分は、気づくとほとんど過ぎてしまっていた。

 ようやく空いた個室の中に入って、瑞希も、冬哉も、それぞれに構えて。それを確認して、俺は練習のはじまりを告げるべく、スティックを打ち鳴らした。

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