Ⅴ—瑞希

 その日の練習も、滞りなく終わった。


 あたしは練習後に、二人に「ちょっと用事があるから」と言ってスタジオ前で別れ、彼らとは逆の方に一人で歩いていた。

 ちょっと不用心だろうか、とは思うけれど、夕方の街はまだそれなりに人通りも多いし、ポケットの中にはスマホだって入っている。あとは人気のないところに寄り付かないようにすれば大丈夫だろう、と思う。


 そこまで警戒するくらいなら、そもそも二人と一緒に行動してればよかったんじゃないか、なんて言われるかもしれないけれど、あたしはとにかく、今のタイミングで一度、一人になって考えたかった。


 ……そう、要するに、用事なんて言い訳。実際にはどこかに立ち寄る用なんてないのだ。

 謎のもやもやでつい一人になろうとしてしまった今日の昼と同じことをしているようで少し不安にはなるけれど、取り敢えず今は、あの時よりは落ち着いている、と信じたい。




 イヤホンを取り出してスマホにつなぐ。それから画面の再生ボタンを押すと、大分荒い上に音のバランスもわりといい加減な演奏の音が、耳に流れ込んでくる。

 言葉を濁すほどのものでもない、これはさっきまであたしたちがしていた練習、それを録音したものだった。


 前奏が終わって、歌いだしのタイミング、そうしてあたしの声が聞こえてくる。自分の歌声をちゃんと聞くのはこれで二回目になるわけだけれど、どうにも慣れない感じがして、気恥ずかしさを誤魔化すために、あたしは残っていたペットボトルの水を口に含む。


 それから、改めて演奏を、少し客観的になることを意識して聞いてみる。


 ……うん、上手くなってる、と思う。

 音質がそんなにいいわけじゃないから、細かい部分まではわからない。でも聞こえる限りでは、前の練習で感じていた、気を抜けばそれぞれが勝手に走り出してしまいそうな危うさがだいぶ軽減されてきた気がした。

 多分、みんながそれぞれに練習して、合わせることにも少し慣れてきた、ってところなんだろうな。


 ふぅ、と一息を吐く。


 ちょっと安心したけど、それでもバンドとしてみれば、これでようやくスタートラインに立ったくらいだろう。

 ただそれでも、個人の技量が追いつかない、なんてことも、ただ同じタイミングで音を鳴らしているだけ、っていうことも、とりあえずは回避できそうだった。


 やっぱり二人とも、やるときはやる、のだ。素直にすごいなぁ、と思うし、あたしも置いて行かれないようにしなくちゃ、とも思う。


 本番まで、まだそれなりの時間は残されている。

 この調子なら、きっといいものができる。それは希望的観測ではなくて、到達できるものとしてそこにあって。


 だけど、あたしが心の奥底で思っていることが、嬉しいはずのその事実に、ある種の切なさを付け足している。

 そのことについては、あたしはもう少しだけ気づかないふりをしていたかった。




 『腐れ縁トリオ』なんて、妙な呼び方をされているあたし達三人。

 別に、それが間違っているわけではない、と思う。これだけ長い間『仲良し』でいられる関係を形容する言葉を、あたしはそれ以外に知らない。


 だけど――だからこそ、思ってしまうこともある。




 あたしたちの関係は、どこかだ。


 冬哉と晃生は、何だかんだでいつもやり合っている、というか、そんな気がする。だけどあれは仲のいいことの裏返し、というか、お互いのことを理解しているからこそ踏み込める領域があるというか、そんな感じで。

 そこに自分が交じれていない、なんて言うつもりはない。あたしだって二人とは仲がいいつもりだし、時々は文句も言い合ったりして、まぁそれなりに、気の置けない仲ではある、つもり。


 それでも、……時々一緒に遊びに行ったり、空いた時間をだらだらと三人で過ごしたりして、そんな関係の心地よさに安心して。


 そんな、変わらない関係が続いて、だけど気が付いたら時間は流れて、環境ばかりが変わっていって。

 はじめは、ただそれが嬉しかった。でもそれは、次第に焦りに変わっていった。次第に大人になっていく周囲とは対照的に、あたし達だけがただ変わらないままそこに残されているような、そんなことを感じるようになって。


 距離を置く、とか、色々と試してみたけれど、それもうまくいかなくて……というより、あたしが変に暴走して失敗して。


 それでも、進学するときとかには自然と距離が離れて、そうなってしまえば解決する、なんて甘い考え方をしていたけど――気づけば、あたしたちはそのまま、大学生になってしまっていた。



 そして、あたしは。



 白状してしまうと、あたしは、怖い。

 これ以上、今の関係で居続けることが。


 だって、そうだ。周りのみんなが、それぞれ目標や憧れをもって色々な場所に散っていく、その過程で経験しているごく普通の『別れ』を、そしてそれによって訪れる変化というものを――あたし達だけは、まだ知らない。

 それが、たまらなく怖い。あたしが、成長できていない、と感じることも。いつか、一緒に居たくてもいられなくなる、そんな時が訪れることも。そして――あたしが、大事なものを失って、立っていられなくなるのも。


 わかってる。こんな心配は大げさだってこと。

 就職して、あるいは進学して、あたしたちの道は間違いなく分かたれるだろう。だけどそれは、ただ『今まで通り』ではいられなくなる、ってだけのことで、別にそれが今生こんじょうの別れになるわけじゃない。


 それが分かっていても失うことが怖いくらい、『今まで通り』の関係は、とても魅力的で。

 だけど、だからといって、このままでいることもずっと怖くて。そうしているうちに、二人といる時間がどんどん手放しがたくなっていくのもわかっていて。


 そうして悩んでいるところにふと訪れたのが、『残念会』バンドの誘いだった。


 チャンスだ、と思った。

 たくさんの人と集まってバカ騒ぎする、なんて空気はどちらかと言えば苦手で、歌だって演奏だってそんなに自信があったわけじゃないけれど、それでも参加することに決めた。


 今まで、あたしたちは何かを作り上げる、ということをした記憶がない。ただただ、気の合う人同士で一緒にいる、それを続けてきただけ。

 だからこそ、みんなで何かを作り上げる、ということに挑戦してみたい、と思った。そうすれば、みんなで成長できるような気がした。

 そして、その思い出を抱えていれば、二人と離れても、大丈夫でいられるような気がした。


 だから、その日を最後にしよう、と決めた。

 大事な思い出にするために、精一杯練習して、本番を成功させる。

 そして、あたしが別れに耐えれなくなる前に、本当に二人なしでは立っていられなくなる前に、歪な関係を断ち切って、あたしたちはただの三人に戻るのだ。


 そう決めて、バンドをやろう、って決めたあの日から、何度も自分に言い聞かせ続けてきた。


 だけどその決心は、二人と会うたびに、幾度となく危うく揺らぎそうになってしまって。

 だからこそあたしは、今もまだ、同じことでずっと悩み続けている。

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