閑話ー紗千


 『人魚姫』という童話がある。

 元々は海外で書かれた物語だけど、様々な言語に翻訳されて、日本でもきっと知らない人はいない、というくらいには親しまれている、昔からある童話のなかのひとつ。


 けれど、その原作を読んだことがある、という人は、多分そんなに多くないんじゃないかな、とわたしは思っている。


 今では絵本になったり、アニメになったりしているし、もしかすると、人魚姫は王子様と結ばれてハッピーエンド、という展開を信じて疑わない人だっているかもしれない。……というか、小さいころのわたしはそうだった。


 そして多分、『人魚姫』を悲劇だと言う人も、きっと多い。

 それはきっと、間違いじゃないと思う。


 だって、人魚姫は自分の声を無くしてまで人間になったのに、それでも王子様に愛されたいという願いを叶えることができず、最後には海の泡となって消えていってしまうのだから。




 だけど、わたしは――小学校の頃、偶然、原作の方の『人魚姫』を読んだわたしは、それだけじゃない、と思った。


 原作の『人魚姫』は、人魚のお姫様が泡になって消えてしまったあとも、もう少しだけ続いている。

 泡となった人魚のお姫様は、空に溶けて、空気の娘になる。そうして、王子様にほほえんで、その結婚相手である王女の額に口づけを落として、空に昇り、そして人々の幸せを見守る、三百年の修行に入る。

 そしてそれが終わった時、彼女は人間と同じ、永遠に消えることのない魂を手に入れることができるのだ、と語られる。それでおしまい。


 ただの悲劇、というなら、泡になって消えてしまう、そこまでで終わってしまう方が、なんだか自然で、そういう意味では、なんだか余計なものを付け足したように思えるこの部分。少し大人になってから調べて、宗教的な考え方が関係している、とかいうことも知った。

 だけどわたしはそれ以上に、この部分が必要だ、と思う。


 三百年生きたのち、泡になって海の一部になる人魚の宿命。

 そして、肉体が滅びた後も永遠に残って、空に昇って星になる、という人間の魂。


 人魚のお姫様は、人魚とは全く違う、そんな人間の魂の在り方に憧れて、自分も魂を手に入れたい、と願う。


 そのために、誰よりも美しい歌声を捨てて、歩くだけで痛みだすような欠陥品の脚を手に入れて陸に上がって。

 だけど、魂を手に入れる条件である、王子様に愛されること、それを達成することはできなくて、かといって、ナイフで王子様の心臓を突いてその血を浴びれば、再び人魚に戻れる、と言われたのに、それも出来ずに、最後は魔女との契約で泡になってしまう。


 そんな人魚のお姫様が、わたしには、とても優しくて、純粋に見えた。

 そして――結果として、彼女は、長い修行の末に、きっと、求めていたもの、不滅の魂を手に入れることができると、そう約束されるのだ。


 だから、『人魚姫』は、ただの悲劇じゃなくて――ある願い事を抱いた優しい少女が、最後にはそれを叶える、そんな物語なのだと、そう思っている。

 そしてそんな、純粋で美しい『人魚姫』という物語が、わたしは好きだった。


 ……まぁ、途中で、人間の骨でできた家に住んでいる魔女、という描写が登場したときは、ちょっと悪趣味だな、と思ったけれど。


 それに、欠陥品の脚と、最後まで使われなかった短剣を押し付けて、代わりに人魚姫の美しい声も、彼女のの姉妹の長く美しい髪も手に入れてしまう魔女のことは、どうにも一人勝ちする詐欺師みたいで好きになれなかったけれども。




 そして、『人魚姫』が大好きなわたしは、だからこそ一つ、折に触れては考えてしまうことがある。


 何かを失って、ずっとつらい思いをして、それでも叶えたいような願い事。

 そんなものが、わたしにできる日は来るのだろうか、と。

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