Ⅴ—冬哉

 さっき三人で通った道を、今度は一人で戻る。二人に告げた用事は、嘘ではなかったのだけれど、別に今日済ませなくてもいいもので。だからどちらかと言えば、あそこを抜け出す方便、という要素の方が大きかった。

 ただまぁ、他に何をするあてもない。用事はやはり用事で、だから僕は陽の沈んだ街を、さっきのスタジオ、そこに隣接している楽器店の方へと向かって進んでいく。


 時折人とすれ違うけれど、雑踏というには人通りの少ない、静寂で満たされた街を一人で歩いていると、考え事により一層真面目にのめり込んでしまう。

 思い出すのは、今日の練習のこと。


 晃生も瑞希もああ言っていたけれど、それでも、二人からだって、初めてらしからぬ練度の高さと――そして、どこか恐ろしいまでの、『残念会バンド』をやり遂げたいという意思を感じた。

 僕だって、一度引き受けたことに今更手を抜くつもりは微塵みじんもなかった。だけど、二人から伝わってきたのは、それよりもずっと強い思い、あるいは、願いとも言えるようなもの。


 晃生の事情は、すでに聞いて知っている。瑞希の方も、僕も晃生も聞いていない、そして聞いても多分答えてくれないとは思うけども、やはり何かの事情があるように感じた。

 いや、事情、というと、少し違うかもしれない。何か胸の内に強い思いを秘めていて、そのために必死になっている、そんな感じ。


 ただ言えるのは、二人とも本気だ、ということ。だからこそ、僕もそれに応えたいと思う。……思うのだけれど。


 脳裏に、「瑞希に告白するつもりだ」と、そう僕に告げた時の晃生の、ひどく落ち着いた声が蘇る。


 彼は、『残念会』のバンドを成功させて、それを告白へのはずみにするつもりだ、と僕に語った。そしてそれこそが僕が晃生の誘いを断れなかった理由で。

 そして、彼が何故、それを僕に告げたのか、ということについては、後からしばらく考えて、そして気付いた。


 勿論、相談相手が欲しかった、ということもあるのだろう。


 告白、というのは、とても勇気のいる行為だと思う。

 相手を好きで、その思いが、それまでの関係では満足できないほどに大きくなって。だからこそその想いを伝えることで、少しでも関係を前に進めたくて、けれどそれが拒絶されて、今までよりもずっと遠い場所に立たされることが怖くて――それでも、踏み出す、と決める。


 そこにどれだけのエネルギーがいるのか、ということを、経験したことのない僕はただ想像で推し量るしかないのだけれど。


 


 それは、僕らにとっては、瑞希と晃生、ただ二人だけのことでは、きっと終わらない。

 だって。


 告白が成功したとして、二人がより親密な仲になったとして。

 あるいは、失敗して、二人が気まずくて顔を合わせることすらしなくなったとして。


 たとえそのどちらに転んだとしても、きっと――僕だって、無関係にはいられない。

 たとえ、二人と一人、になったとしても、或いはひとりずつになったとしても、別に会えなくなるわけじゃない。

 だけど、僕らがずっと築き上げてきて、そしていつの間にか僕もそこにいることが当たり前のようになっていたの関係は、きっと、どうあっても変わってしまう。


 想像すると、怖くなってしまう。

 だけど、それを、嫌だ、という僕自身のわがままで拒絶するようなことはしたくない、それも確かに、僕の思っていることで。


 たとえ僕らがどうなってしまうとしても。それでも、いつも一緒にいて、気づくと支えられている、そんな大事な友人たちの幸せは、できる限り素直に祈っていたい。

 それに、気付けば大学生となっていた僕たち、その行く先に――少なくとも、今までと同じ関係が続くことは、きっとない。


 それぞれが違う場所に就職して、それでも休日に顔を突き合わせるようになるか、あるいは、仕事の都合で会うことすら難しくなるか。

 そのいずれにしたって、ずっと一緒というわけにはいかないのだ。

 だったら、クリスマスの――『残念会』の日に訪れるかもしれない変化は、ただ少し先にあったものが予定より早まった、ただそれだけに過ぎないのかもしれない、と。


 そう論理的に考える頭とは裏腹に、それでも心が、あの時からずっと、微かに痛み続けていて。

 だからこそ、僕は『残念会』に臨む態度を、どうしても決めかねていて。


 ふと、立ち止まる。

 気づくと、目的の店は、すぐ目の前にあった。




 硬めのピックを2、3見繕って購入し、店を出る。

 暖房のきいた店内と、容赦のない寒さを突き付けてくる外との厳しい気温差。この季節はどこへ行ってもこんなものだから、気を抜くと体調を崩してしまいそうになる。

 コートの襟の中に顔をうずめて、せめてもの抵抗をする。


 少し時間をおいても、やっぱり悩みは頭の中でぐるぐると渦巻いていたけれど、それでも先ほどより少し距離の離れたそれを、僕はそのまま思考の外へと追いやっておくことにした。

 今は、まだ。


 そうして、バス停に向かって歩く途中――ふと、視線を感じた。


 顔を上げる。その先で、一人の少女が立ち止まっている。

 街灯さえなければそのまま街に溶け込んでしまいそうな、闇色の野暮ったいロングコートに身を包み、地味な色のマフラーに顔をうずめた、どこかまだあどけなさを残しつつも整った顔。

 ただ一つ、そこだけ目を引く白い耳あての後ろからは、やはり黒い髪が長くのびていた。


 そして――そんな恰好ながら、彼女からは不思議と、妙な存在感のようなものを感じた。


 僕は不意に、彼女をどこかで見たような感じがして――そして、その薄青の瞳と視線が合ったところで、ようやく先日の記憶が蘇る。


「……あぁ、あの時の」


 目の前にいるのは、以前図書館で『人魚姫』を探していた彼女だった。

 僕のつぶやきに、忘れられていなかったらしいということを読み取ったのか、彼女は少しだけ安堵したような表情を見せて。


「はい。……あの時は、ありがとうございました」


 そう言って小さく頭を下げる。


「いや、そんな大したことじゃないから」


 実際、何度も礼を言われるほど大したことはしていない。ただ彼女の探し物を見つける方法を、僕がたまたま知っていたというだけの話で。

 そう言ってしまうと後に続ける言葉がない僕を前にして、彼女は今気づいた、というように僕の背後に視線を止める。


「……ギター、弾くんですか」

「え、あ、うん……なんていうか、友達の付き合いでね」

「そう、なんですね」


 そう彼女は答えて――そうしてまた、僕らの間に沈黙が落ちる。

 なんだかわからないけれど、彼女が間を持たせようとしているのだし、もう少し何かないだろうか、と思考を巡らすけれど、こういう時の当たり障りのない会話、というものの持ち合わせが、どうにも僕には欠如している。


 そうして黙り込むこと数秒。不意にくぐもった振動音がして、見れば彼女がポケットからスマホを取り出して覗き見ている。と思えば。


「……すみません、お母さんから連絡が来て。時間が遅いので失礼します」


 なんてことを言った。僕がそれにうなずくと、彼女は最後にもう一度「ありがとうございました」と言って、そのままバス停とは反対側に歩いて行った。


 その背中を眺めながら、一体何だったんだろう、なんて思うけれど、ただ単にもう一度お礼が言いたかっただけだろうか、と納得する。年齢はわからないけれど少なくとも僕より下であるのは確実な筈で、その割には落ち着いているな、なんてことも思う。


 それからふと我に返って、スマホで時計を表示させる。次のバスが到着するまで、気づくとあと五分ほどになっていた。今から急げば間に合うだろうか。

 それ以上彼女のことについて考えることもなく、僕は帰りを急いだ。

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