Ⅵ—冬哉

 ずっと、この時間が続けばいいと思えた。

 だけど、どうしたって終わりの時は来る。せめてもの抵抗、と、少しずつゆっくりになっていく演奏、長く伸びる音。だけどそれもついに、冬の街に溶けて消えて行って。


 そして、一つ息を吐いた瞬間、小さくない拍手の音が、僕らを包み込んだ。


 僕は動揺して肩を跳ねさせてしまう。いつの間にか、辺りにはちょっとした人だかりができていた。僕らと同じくらいの歳の人だったり、親子だったり、会社帰りらしいおじさんだったり。その誰もが、笑顔で手を叩いてくれていて。


 急に、恥ずかしくなる。勢いで、演奏をやり直そう、なんて言ってしまったけれど、もともとこれは僕らの自己満足と、後は紗千のためで、それがなんだか妙におおごとになってしまったような感じがした。


 だけど――まぁ、よしとしよう。目立つようなことはしたくない、という僕の信条には反してしまったけれど、それでも。


 拍手をしている人たち、その中に視線を向ける。

 その先で、青灰の瞳をした少女が、一緒になって手を叩いていた。

 楽しげな、幸せそうな表情を浮かべて。


 言葉はない。だけど、伝わったんだ、と思った。

 僕らが、心から演奏を楽しんでいたことが。

 紗千にも、幸せになってほしい、と願っていたことが。


 だから――僕は自然と、紗千に微笑みかけて。

 紗千も、僕らの方を見て、笑って。


 それだけで、十分だった。




 ゆっくりと、紗千が広場の中央へと進み出てくる。

 どこか静謐せいひつな雰囲気を放って。それだけで、なんとなく漠然とした予感と期待を感じて。


 そして、紗千はふと目を閉じて、胸に両手を当てて。

 そしてゆっくりと、両腕を開いていく。


 紗千の体の周りで、ぼんやりと何かが光り始める。


 そしてその光は、ふわふわと漂って、寄り集まって、やがて一つの大きな光の塊になって。


 紗千が瞳を開く。光の塊を、愛おしそうに撫でる。青灰色の瞳が白く照らされる、それがまるで星空のようで、つい、綺麗だな、と思ってしまう。


 そして紗千は、押し出すようにゆっくりと、光の塊を空へと放つ。


 緩やかにそれは空へと昇っていく。


 そして。


 星に届くかどうか、というほど高く昇って、街を見下ろすように、それはほんのわずか静止して。


 そして、弾ける。




 花火みたいだ、と僕は思う。

 そのまま、少しの間、僕はその光景に見惚みとれていて。


 ふと、気づく。


 ばらばらに散ったその光が、ゆっくりと街全体に降り注ぎ始めていた。

 ホワイトクリスマスが、少し遅れて到来したかのように。それ自体が光を放って、まるで雪のように、けれど今まで見たどの雪よりも、それは美しく、そして魅力的だった。


 わぁ、と、誰かが声を漏らした。


 一拍置いて、ざわめきが広がる。にわかに周囲が慌ただしくなる。それを見て漸く僕も気づく。


 


 驚いて、顔を見合わせる人たち。なんだか妙なテンションになって、歓声を上げはじめる人たち。街に、賑やかさが戻り始めて。


 ふと、茫然としていた晃生が、喉に手を当てる。口が動く。多分、何かを喋ったのだろう。そして、声が出ることを確認して。


 ふと、晃生が真剣な表情を浮かべる。そのまま、近くに立っていた瑞希の肩を掴む。振り向く瑞希。晃生は心なしか緊張した面持ちで、瑞希の目をまっすぐに見つめて。


「あのさ、瑞希、俺――」


 僕はそこで意識を二人から背ける。あとは二人だけが知っておけばいいことだった。


 代わりに僕は、今も両手を広げて、空を見上げている一人の少女へと、視線を向ける。


 ふと、彼女は振り向いて。そして、僕の視線に気づいて。


 自然と、お互いに笑ってしまう。なんだか、楽しくてしょうがない。今日の出来事も、なんだか全部夢の事のように現実味がなくて。紗千は、謝りたい、と口にしたけれど、多分今この時においては、そんなことなんかしなくても、何もかも許されるような気がして。


 だから、つい、柄にもないことを、僕は口にしてしまう。


「……メリークリスマス、紗千」


 言ってから、なんだかちょっと恥ずかしくなる。タイミングも文脈も、なんだかよくわからない、だけどつい言ってみたくなったその言葉を、紗千は受け止めて、少し意味を測りかねるようにして。


 だけどすぐに、微笑んで。


「はい。……メリークリスマス、です」


 そんな風に、とても幸せそうに、口にしたのだった。




 こうして、何もかも現実味のない、けれど何よりも美しい、そんな一日は終わりを告げた。


 声が消えてなくなる。そんな冗談みたいな『魔法』はすっかり解けて、街も人々も、いつもの姿を取り戻して。


 だけど、雪のように降り続ける小さな光だけが、奇跡のように世界を彩っていて。


 そして、その中で、一人の少女が、願いを叶えて、楽しそうに笑っていたのだった。

 

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