(三)
埃を含んだ風が吹く。その風は、思わず鼻を覆いたくなる程の異臭が混ざる。それは今や、この国のどこにでも当たり前の様に漂う、――死の臭いだった。
くすんだ白い布が、風に幾重にも棚引く。
それが、今の
皇の支配の及ばぬ飄州では、ここまでの惨状にはまだなってはいない。が、内政の混乱を見て取って、周辺の島々を根城にする
そんな中にあって、州で独立して皇と対抗する飄州は、人々にとって、夢のような場所でもあった。苛政に堪えかねた人々は、時に家を捨て、田畑を
虚ろな表情のまま座り込む人々の横を通り過ぎる芝蘭や冷伯も
飄家では「
冷伯は苦い顔で口を開く。
「――昨日、官軍がここを通ったらしいな」
「ああ、それで」
言葉は最後まで出なかった。荒れた町並みには略奪のあとが残酷なまでに残る。
動いている者の中に、娘や若者の姿はない。老人ばかりだ。路傍に転がる無数の死体には虫が
眉を顰めた芝蘭は、ぐっと手綱を握る手をさらにきつく握りしめて、唇を震わせる。
「強奪に人殺しに人攫い……どっちが賊なんだか」
「それを甘んじて受けてる方も受けてる方だがな」
「冷伯。だれもがお前のように強いわけではないだろう」
「分かっちゃ居るがな。だからと、十年以上続く奴隷扱いにも黙って随うなんぞ御免だね。ならば、抵抗して死んだ方がまし」
「死んだらそれっきりだろう。お前はもう少し、命を大事にすべきだと思うがな」
「そっくりそのまま返しておくぞ。お前こそ、こうと決めたら周りも顧みずに走り出す暴走皇子だろうが」
「俺は慎重派だぞ。お前よりは」
「どの口が言う」
冷伯が間髪入れず返した時、二人の目の前に人が飛び出してきた。慌てて馬を止めるが、危うく踏みつけるところである。
厚い外套の頭巾を目深に被り、悲鳴を上げてうずくまったのは、恐らく声や体格からして若い女人と察せられた。
「大丈夫ですか?」
小さく悪態をついた冷伯に構わず、芝蘭は馬から下り、身を低くして尋ねた。
「危ないじゃな――」
女人は芝蘭を見上げると、苛立ったような口調で言いかけて、言葉を止める。が、すぐに慌てた様に立ち上がる。
「ああもう、――来ないで、って言ってるのに」
「いたぞ!!」
わらわらと姿を現したのは、手に手に武器を携えた男達だった。芝蘭は警戒しながら立ち上がる。上背のある芝蘭が立ち上がると、警戒した男達は一気に殺気だった。
「我々と来ていただきましょうか」
「嫌だ、と何度も言ってるでしょう!? ――本当に、主も主なら、従者も、揃いも揃って、野蛮な方々ね」
噛みつかんばかりの勢いで女人は返す。
「我らを野蛮とされるならば、仰せの通り、――力尽くでもお連れしろ」
「無礼者!! 離しなさい!!」
女人の腕を掴んだ男を、芝蘭が蹴りで
「女性相手に、無理強いは感心しない」
「この、人間風情が……!! ――やれっ」
一人が命ずると、男達は一気に芝蘭に飛びかかる。男達と芝蘭の間に入り、いくつもの刀剣を受け止める。
「――言ってる傍からまた暴走しやがって!! 莫迦芝蘭!! なぁにが慎重派だ!!」
「ははは、お前が居るから大丈夫だと思って」
「当たり、前だっ!!」
言って冷伯は剣を払う。何人もがその威力に抗えず、子供のように投げ飛ばされた。
自分に怒りながら剣を振るう冷伯を笑いながら、芝蘭も亦、己の刀を抜いた。反対の方向から男達の仲間とおぼしき者達が迫って来たことに気付いたからだ。
「下がっていてください」
背後に女人を庇いつつ、芝蘭は刀を揮った。
何人かと切り結ぶも、いずれも芝蘭の敵ではない。忽ち周りに居た者達は地に伏し、芝蘭は己の刀を肩に当てて息をついた。
冷伯の方も、既に殆どの敵を倒し、相手方の頭とおぼしき男とにらみ合っていた。
「――様、ここで我らは、長く戦えません」
部下に言われ、男は忌々しげに舌打ちをすると、退け、と短く命じた。
追っ手が去り、女人はほっとしたように息をついた。
「怪我はありませんか?」
芝蘭が尋ねると、女人は眼を伏せて頷いた。
「――姫様!! ご無事でしたか!!」
「
「はい、なんとか……。姫様をお守りできず、面目次第もございません。 ――こちらの方々は?」
九華と呼ばれた女人は、芝蘭と冷伯に眼を留め、主に尋ねる。
「追われている所を助けてもらったのよ」
「そうでしたか……ありがとうございます。なんとお礼を申せば……些少ですが、お納めくださいまし」
言って、何かを差し出そうとした九華を、芝蘭はとめた。
「礼には及びません」
「――芝蘭、そろそろ俺らも行かねえと」
「そうだな。――では、我々はこれで」
冷伯が引いてきた手綱を受け取り、芝蘭は拱手すると、身軽に飛び乗った。
「あっ……」
呼び止める間もなく、芝蘭と冷伯は去ってしまう。その背が見えなくなるまで、彼女は見ていた。
「……さ、参りましょう。姫様」
気遣うようにそっと言う侍女に、彼女は頷いた。
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