(四)

「武龍の双侠」として知られる芝蘭と冷伯は、各地に仲間が居る。何れも今上の治世に不満を持つ者達だ。院清叔いん・せいしゅくも、その一人である。彼と知り合ってすでに、五年になる。


 恵山けいざん翠明山荘すいめいさんそうは、水輪派すいりんはの本拠である。

 夜半、鏢局ひょうきょくの仲間と共に恵山の麓近くまでやってきた時、翠明山荘はまさに、官軍からの攻撃を受けているところだった。至る所で炎があがり、官軍の者、山荘の者の別もなく死体が転がっている。


「もうはじまっていたか。――行くぞ」


 芝蘭の声に、皆が続いた。山道を一気に駆け上がる。なだれ込む武龍鏢局勢は、芝蘭の指揮のもと、一糸乱れぬ動きで官軍に迫った。突然の加勢に驚いた官軍側の陣は瞬く間に崩れた。


「ひるむなグズ共が!! 軍命に背けばどうなるかわかっていよう。相手は所詮、ただの浪子やくざもの! 恐るるに足らん!! 皆殺しにしろ!! 一人も逃すな!!」


 敵将の怒号が響く。我に返った何人かがかかってくる。逃げれば死罪となる。予測していた冷伯は、挑みかかり、斬りかかる兵を迷いのない太刀筋で切り捨てる。


「我ら武龍鏢局、無辜の民を苦しめる官軍と闘う院殿に加勢申し上げる!! 官軍だからと遠慮はいらん。徹底的に叩きのめせ! 行くぞ!!」


 先頭の芝蘭が、げきを飛ばす。それに皆応じ、力強い声を発する。声は山中に響き亘り、幾重にも木霊し、仲間の存在を、実際よりもさらに多く、相手に感じさせたようだった。夜闇の視界の悪さも手伝った。冷静になればそうで無いことはすぐさま知れただろう。だが、既に敵は完全に冷静を欠いていた。

 加勢によって士気を復活させた翠明山荘の者達も、俄然がぜん勢いづいて官軍に立ち向かう。数をたのんだ官軍だったが、前後から大いに攻め立てられ、ために指揮は乱れ、思うように動かない。瞬く間に兵士達の死体が山を為し、流血は海を為した。

 敵将に斬りかかろうとした芝蘭に、飛びかかってきた者がいた。

 外套をかぶっていてもはっきりとうかがえる小柄なその体格は、どう見てもやっと十一、二を越えたかどうかというほどに頼りない。が、芝蘭に挑みかかるその動きは、若年の侮りを寄せ付けない程に俊敏で激しかった。

 思わず半歩退いて体勢を整えなおした芝蘭に、その人物は間髪入れずに飛びかかる。訓練されきった動きだ。芝蘭は刃を振るう。その切っ先が、相手方の外套を切り裂いた。

 肩よりも短く切り落とされた髪が露わになる。畏れもなく、否、一切の感情も映さずに芝蘭を見つめ返す両の眼。

 その色は、夜闇にも炯と光を放つ、冴えた【紅】。


「お前……その眼……」


 声はかすれた。その瞳のあまりの無機質さに、思わず芝蘭の背筋に冷たいものが走る。

 とても、十やそこらの子どもがする目ではない。

 敵は無言で刀を持ち直し、再度芝蘭に飛びかかる。

 動揺を抑えて受け止める。


「芝蘭!!」


 なぜか圧され気味の芝蘭を訝しんだ冷伯が、二人の間に割って入ろうとして阻まれる。


「邪魔をしおって、……許さんぞ、若造が」


 血走った目で冷伯に斬りかかるのは先程から兵達に叱咤を送っていた敵将だ。


「はっ。悔しいだろうなあ、その若造に追い込まれてよお」


 皮肉げに放たれた挑発に、敵将の目に炎が上がる。

 切り込み。将というだけあって、その一撃一撃の衝撃は凄まじい。が、冷伯は未だ、余裕の笑みだ。

 その蒼の目には、戦いに身を投じる愉悦が濃く浮かんでいる。

 実際、冷伯は楽しんでいた。

 戦いの中に雷光のように迸る、ある種の緊張感と高揚感とを。

 相手の動きが不意に変わる。その僅かな変化を捉え、冷伯の目に初めて真剣な色が浮かぶ。

 裂帛の気合いとともに凶刃が振り下ろされる。それを、冷伯の瞳は、はっきりと捉えた。


「――遅ぇ!!」


 冷伯の剣が閃く。

 乾いた音を立て、弧を描きながら敵の剣が中空に舞う。

 冷伯の剣から受けた衝撃にしびれる手を押さえながら、忌々しげな目で冷伯を睨む敵将に、彼は剣を突きつけた。


「……貴様……」


 冷然と射貫いてくる蒼の瞳には、先程まで浮かんでいた、貪欲なまでの闘志は完全に影を潜めている。

 変わって、その目に浮かぶのはただ、冷えた厳しさだ。


「――悪いな」

 

 * * *


「芝蘭!!」


 冷伯の声に我に返る。迫る凶刃を受け止めてはじき返し、斬りかかる。相手は芝蘭の勢いにたたらを踏んだが、どうにか持ちこたえて両手で押し返し、体勢を整えなおした。

 剣戟は激しくぶつかり合い、度に火花が散った。

 その迷いのない鋭さ。正確かつ変幻自在な太刀筋。それらが、芝蘭を苦しめた。

 が、芝蘭とて「武龍の双侠」として、冷伯と共に並び称される程の遣い手である。相手があまりに年若すぎるが故の侮りや戸惑いを廃し、冷静に当たれば、芝蘭に未だ劣る。

 おまけに体格もまったく違う。短期決戦ならば通用しただろう。

 しかし、体力・腕力において、芝蘭の方が格段に上だった。長びくほどに芝蘭が優位に転じるのは、当然といえよう。

 その時、背後で冷伯が敵将を仕留めたのが分かった。

 それを見て取ると、敵は大きく後退した。


「おい、まて……」


 芝蘭の制止の声に、敵は見向きもせずに闇に紛れて消えた。


「芝蘭。怪我はねえだろうな? ――どうした。ぼうっとして」

「ああ。……否、……」


 芝蘭は、彼の消えた暗闇の方へとまだ視線を注いでいた。


「……まさか、な」


 将を討たれた官軍は、瞬く間に崩れ、敗走した。山中には勝利の歓声が響き亘り、声だけが兵達の背中を追いかけていった。

 

 * * *


「二人とも、良く駆けつけてくれた。さあ、盃を」


 清叔せいしゅくが盃を掲げ、芝蘭と冷伯もそれに倣った。共に勝利を祝しあい、皆気分良く酒を飲んで勝利の喜びに浸った。


「最近の官軍の振る舞いは横暴が過ぎた。これで少しは頭を冷やすと良いんだがなあ」


 清叔の言葉に、芝蘭も冷伯もなんとも言えない笑みを浮かべた。発言した本人も、乾いた笑みを零した。そんなことがないのを、それぞれわかっていたからだ。そして、将を打ち破ってしまったことで、遠からず、再びこの山荘が攻撃を受けるであろうことも。

 兵達は、相手を見くびっていた。が、今回の敗北でその認識を多少なりとも改めるだろう。次の攻撃は、必ずや、官軍の威信をかけて、確実に落とそうとしてくるに違いない。


「お互い、今後の身の振り方を考えねばならないな」


 冷伯の言葉に、清叔も、芝蘭も頷いた。


「向こうがやる気なら、こっちも受けて立つだけだ」

「声を上げれば、賛同する者は少なくないはずだ。だが、問題なのは、官軍だけではない」

「ああ、皇たる脩軌や皇后・明珠の振る舞いに不満を持つ者は多い。この間の。沈州で起きたあの反乱もそうだったが」

「明珠……あの毒婦……」


 明珠の名を芝蘭が口にした途端、冷伯が殺気だつ。

 飄明珠。

 冷伯の父・寒山の妹だ。つまり、冷伯にとっては叔母と言うことになる。

 明珠は芝蘭の父である先皇・脩仁しゅうじんの妃の一人だった。脩仁の頃には、目立つ人物ではなく、常に脩仁やその皇后、他の妃達からも少し離れて静かに佇んでいるような人物だった。が、脩軌が脩仁を殺害し、玉座に即いた後、その皇后に収まった。

 世間では、明珠が脩軌を手引きしたのだとか、元より二人が通じていたのだとか言われていた。

 その真偽は分からない。

 脩軌は狩猟を好み、酒を愛し、奢侈ぜいたくを尽くしたが、妃は皇后の明珠一人のみ。それ以外の女人には見向きもせず、兄の妃だった者達は、明珠以外、全て殺された。

 仕えた皇を弑した簒奪者の妃となり、またその寵愛を笠に着て好き勝手に振る舞う明珠の振る舞いは、正義の神・雷鳴帝君を始祖と仰ぐ飄家にとって、単なる裏切りばかりではなく、家名に泥を塗る行為でもあった。

 飄家当主たる、兄・寒山の怒るまいことか。

 まっとうな飄家の人間は皆、明珠のことを蛇蝎だかつの如くにくんだ。それは、冷伯とて例外ではなかった。

 飄家は代々、必ず一族から一人、妃として後宮に入れる決まりになっている。皇族と飄家のつながりを強めることが目的の一つではあるのだが、その真の目的は、朱帛を束ねる「帛主はくしゅ」として、陰から皇の治世を支えることだ。が、明珠の裏切りにより、殆どの者は明珠を見限って飄州に戻り、当主の寒山についた。朱帛の者が、帛主を見限ったこともまた、前代未聞の事態であった。どれだけ明珠の行為が彼らにとって許しがたいものであったのかがうかがえよう。


「だが……腐りきっているといえども、それでも官軍は官軍だ」


 清叔は、それぞれの盃に酒を注ぎながら口を開いた。


「一月後、比武大宴ひぶたいえんが開かれる」

「ああ、孟景元もう・けいげん殿のもとで催されるとかいう」

「左様。十年に一度、各門派の英雄が揃い、互いの武功を競いあう。各派の威信のかかった大会だ」

「つまり、各派の主だった人物がその場に揃うと言うわけか」

「何か、考えがおありの様だが。清叔殿」


 冷伯が問うと、清叔はにやっと笑った。


「貴殿こそ。」


 冷伯もにやりと笑い返す。


「勝ち負けは然程問題ではないが」

「負けず嫌いのお前がそんなこと言うとはな」


 茶化すように言う芝蘭の脇腹を、冷伯は肘で小突いた。


「俺が興味あるのは、孟景元殿だ。元皇師将軍。是非とも知遇を得たい」

「随分殊勝な。ますますお前らしくないな」

「誰の為だと思ってんだよ」

「……現段階、景元殿始め、各派の考えは分からないからな。貴殿らには貴殿らの目的もあろう。だが、ある所までは、我々の目的は同じだと思っている」


 芝蘭の真紅の瞳を見据えて、清叔は確認するように言った。

 清叔は、芝蘭の本来の身分を知る数少ない人物である。


「まずはまた、一月後だな。――さ、もっと飲んでくれ兄弟」

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る