比武大宴第二

(一)

 弦歌の音が響く。衣が縦横に棚引く。或いは飛ぶように。あるいは流れるように。彼女が掲げる長剣のはがねが光をまき散らし、楽に合わせて琳琅りんろうたる玉の音が幾重にも響く。それは、妖しくも人の心を揺さぶる音色ではなく、うなじをぴいんと引かれるような、静謐せいひつで厳かなものだ。

 薫香くんこう郁々いくいくと、煙霞えんかは満々と、いくつもの灯籠に照らし出される横顔は、華やかさには些か欠ける。しかし、長い睫毛に落ちる陰翳いんえいの奥にきらめく蒼の瞳は、目を逸らしがたい何かがある。

 戦いに臨むような、或いは祈るような――その眼が見ているのは、一体何であっただろう。

 濡れそぼったように艶やかな黒髪には白蓮の簪。暗い色調の衣は、禁欲的な隆族りゅうぞく風のそれではなく、動きやすさと優雅さとが融合した、女性らしい曲線を強調する飄族ひょうぞく風のそれだ。隆族の文化の中では、些か扇情的に過ぎるその衣も、彼女が纏うと、どこか神秘的な雰囲気を感じさせる。

 その一方、幾重にも連ねた連珠の装飾は、かえって彼女の華奢さを見る者に知らしめてどこか落ち着かないような気持ちにさせる。

 凜然たるしなやかな強さと、柳のようなたおやかさ。侵しがたい清麗さと滴るような色香。相反する印象を同時に与える彼女の風情は、不思議な魅力となって、見る者の心を捉えた。

 彼女の名を、飄明珠ひょう・めいしゅという。


「――見事だ」


 畏れ入ったように、拱手して頭を下げる先は、玉座に座る男だ。

 豪奢な玉座がやや小さく見える。それ程に、堂々たる体躯の男だった。全体的に鋭利で直線的な印象を与える。吊り上がった真紅の目は猛禽類を思わす程に猛々しく、長さのやや不揃いな濃い銀灰色の長髪はまっすぐに背中に流れる。

 珱皇えいおう琅脩軌ろう・しゅうきである。

 その顔に、縦横に残る無数の傷跡が、彼の鋭利な雰囲気に、更なる凄味を与えている。いかにも武門の国の皇らしいといえばらしい、魁偉かいいな容貌ではあった。

 促されて横に座った明珠が慣れた様子で酒を注ぐと、脩軌は酒を一気にあおった。


「そなたも飲め。さあ」


 促されて明珠も盃を口元へ運ぶ。


「いつもながら見事な舞だ。褒美を与えようか。何が欲しい?」

「皇上。ついこの間も賜ったばかりですわ。それは見事な衣を。その前には、珠䋝くびかざりを、玉釧うでわを、簪を、きらびやかな宮殿も……勿体無いことです。わたくしはただ、変わらず皇上のおそばにお仕えする事ができれば、何も」

「そなたはまこと無欲だな。遠慮は要らぬ、申してみよ」


 微笑みながら、明珠は思案するように首を傾げる。

 ややあって、何かに思いついたのか、艶麗に微笑んで皇を見上げた。


「ご存知ですか、皇上。今度、孟景元の主催で『比武大宴』というものが行われるのだそうです」

「――比武大宴?」

「はい。各派の武芸者が揃って武を競うとか。とても興味深いですわ。……わたくし、是非一度、この目で見てみとうございます」

「……ふむ。よかろう。――誰か、」

「皇上。恐れながら」

「……なんだ、宗純そうじゅん


 むっとしかけた脩軌に対してすかさず低頭したのは、宰相の馮宗純ふう・そうじゅんだ。漆黒の髪に鷹のような金の瞳。彫りの深い顔立ちは異国の雰囲気を漂わせている。


「比武大宴に集まる者たちの中には、先日皇師を破った水輪派の者も居りましょう。この時期に各派が集まるのも、皇上に対し、反旗を翻す算段を調える為やも知れませぬ。皇都に入れるなどとんでもない。どうか、討伐のご下命を」

「あら、馮宰相。討伐などと無粋な」


 明珠の言葉に、宗純はすっと目を伏せる。

 宗純は、脩軌が皇子の頃から傍近くに仕える腹心中の腹心。

突出した戦闘能力を有する脩軌に対し、実務面を取り仕切るのが彼だ。彼の存在無くして、脩軌が玉座に即くことは不可能だったろう。


「仮にそうだったとしても、良いではありませんか」

「明珠?」

「もしそのつもりでしたら、彼らは喜んでやって参りましょう。皇上のお命を狙う絶好の好機でしょうから。少しでもそのそぶりを見せましたら、そこで一網打尽にすればよろしいでしょう。そうでなければ、それはそれで良し。勝者を国境警備の責任者に任じては? 海寇の侵略は彼らの愁う所でもありましょうから。どう転んだところで、皇上にとって、悪いお話ではないはずですわ」

「皇后陛下は、皇上を危険に陥れるおつもりか」


 やや色を成した宗純に対し、明珠は至って冷静だった。


「馮宰相、一体何を申すのです。皇上の武が、彼らに劣るとでも?」

「とんでもございません」


 はっきりと怒気を顔に滲ませた脩軌に、宗純は己の失言を悟って、面を伏せた。


「今すぐ行って、孟景元に伝えよ」

 

 もう行け、とばかりに脩軌は手を振る。


「……御意」


 宗純は面を伏せ、何かに耐え、絞り出すように言った。


「宗純め……」

「そんなに盃を強く握りしめては、割れてしまいますわ。どうぞ、お怒りをお鎮めくださいませ。――楽を」


 明珠の命に、一時中断していた音楽がまた奏でられ始めた。

 



「閣下、準備が整いました」 

「なぜ私がこのような――あの女狐がっ。……皇上も皇上だ。何故あの者ばかりをご寵愛なさる……」


 顔をゆがめ、宗純は親指を噛んだ。


「無欲を装いながら、巧みに皇上の御心を操って己の欲しいものは何でも手に入れる。あの女ほど貪欲な女がいるか? あの女狐のせいで、吾が皇は……!!」

「抑えてください、閣下。閣下は皇上の腹心中の腹心なのですから。心をお乱ししては」

「……あの女、何が目的だ」


 本当に明珠が「比武大宴」になど興味があったとは思えない。


「……兎も角、すぐに出立するぞ」


 言って、宗純は苛々と袖を払う。扉を開けた景元は、ぎくり、とした。開けたそこに、今し方、散々罵っていた、皇后・明珠が立っていたからだ。


「こ、皇后……」


 明珠はすっと横目に宗純を見遣り、微笑んだ。凄艶なその笑みにしばし、呪縛された様に身動きが取れなくなる。


「宗純――、」


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