(二)

 比武大宴の主催者である孟景元もう・けいげんは、先皇の時代、仕えて皇師将軍の位にあったが、五十をもって致仕し、望山ぼうざんに隠遁した。

 その門派は、三大門派の玉爕派ぎょくしょうは。その師・琅千載ろう・せんざいが死してからは玉爕派の掌門として、己の武芸を伝える弟子を育てることに心を砕くこと十有余年。無双の刀遣いであり、「飛天双龍」の遣い手として名高い。

 比武大宴の数日前より、次々と各派の名だたる武芸者が到着し、広大な孟府は人々で溢れかえっていた。景元はそれぞれ丁寧に出迎え、一所に留まっていることは殆どなかった。

 武龍鏢局の者達を引き連れ、芝蘭と冷伯も、その日の昼過ぎに到着した。各地を旅して回る二人は、知り合いも多い。互いに親しく言葉を交わし、久闊を叙し合った。

 その夜は、大々的に酒宴が催された。いくつもの灯火が煌めき、舞楽が華を添えた。集まった者達は大いに酒を飲み、美食に舌鼓を打ち、楽の音や歌声に酔いしれ、舞を堪能し、語り合った。

 集まった各派の豪傑達は、皇師に果敢に挑んだ清叔たちを称える一方、各地の役人の不正や官軍の横暴を詰った。中には口を極めて朝廷を罵る者もいた。景元は、特に何かを言うでもなく、重々しい表情で腕を組んで成り行きを見守っている。


「仁政を以て知られた章皇が身罷られて以来、簒奪者・脩軌の治世下で腐敗官吏がのさばり、官軍は賊軍となり果て、海境を荒らす海寇かいぞくの圧迫に周辺の州は戦々恐々として安穏と過ごすこともできない状況だ。皇は狩猟や酒色に溺れて政治を顧みることもない。――このままでは、遠からず国は滅びてしまうだろう」


 清叔の言葉に、群雄はうなずき合った。


「章皇に仕えていた賢臣は皆、或いは殺され、或いは自ら退き、残っている者は、元より脩軌に仕えていた者か、うまく取り入った者達ばかり。まともな者などいない」

「ここは、我らが声を上げ、各門派が一丸となって、皇を玉座から追いやるべきでは?」

「ふんっ。仮に皇を倒すことができたとしても、また別の皇族が玉座に即くだけだろう。それが、今の皇よりまともな皇かどうかなど、分からぬではないか」

「多くの皇族は脩軌によって殆ど殺され、残っているのは無害なふぬけばかり。大臣達に良いように操られるだけだろう」


 場は喧喧囂囂として収まりそうにない。清叔が腕を上げて、皆をいなす。


「だが、少なくとも、民とて、いつまでも黙って居ないのだと知らしめられるとは思わないか? 如何だろう、明日の比武大宴において、各派の同盟を統括する盟主を決めるというのは。各派はその盟主の命に従うのだ」


 それは良い、と皆が賛同の意を示し、一先ずその場は収まった。

 翌朝、この日の為に調えられた武闘場に人々が集う。門派ごとに集まり、始まりの時を待った。やがて、主催者である孟景元がだいに上がり、彼らを前に朗々と開会を宣言した。


「それぞれ、門派毎に代表を出されよ。こちらで最初の組み合わせを決めさせていただいた。まずは――」


 次々と組み合わせが告げられていく。


「四勝すれば良い訳か」


 武龍鏢局は、四番目になった。

 瞬く間に前の組の三戦が終わり、鏢局の名が呼ばれた。冷伯が、門弟の一人を指名し、危なげなく勝利を収めた。

 二戦目も勝利し、瞬く間に三戦目だ。残っているのは主催である玉爕派と清叔の水輪派、青柳幇と武龍鏢局の四つだ。冷伯が立ち上がる。


「そろそろ行くか。お前はどんと構えてろよ。さっさと終わらせてくる」

「否、冷伯」

「あ?」

「ここは、俺に行かせてくれ」

「仕方ねえな」


 にやりと笑って肩をすくめ、冷伯は芝蘭に譲った。比来ちかごろ、江湖で名を上げてきた双侠の片割れの登場に、群雄は興味津々な様子で手合わせの行方を見守った。対するは、袁蒼海えん・そうかいという男だ。


「御両人、準備はよろしいか。――では、はじめ!」

 

 仕掛けたのは、蒼海からだった。

 鋭く斬り込んできた相手の数手を、芝蘭は危なげなく受ける。そのまま攻勢に転じた芝蘭は、破山派の技を次々繰り出し、蒼海を翻弄した。


「くっ」

「おっと」


 体勢を崩した蒼海が出し抜けに放った攻撃に、芝蘭は無意識のうちに、玉爕派の技で返した。

 元々、芝蘭の扱う流派は玉爕派のものだ。が、十五歳で飄州に来て以来、冷伯と共に碧山の元で破山派の武芸も習得した。玉爕派の師は脩軌の謀反の際に死して久しく、芝蘭が玉爕派の武術を習得していることを知る者は少ない。

 戦いを見守る孟景元は、芝蘭が、吾が流派の技を使ったのを見逃さなかった。芝蘭を見て僅かに目を細める。が、何も言わない。

 堂々たる長身を誇る芝蘭の体格からは想像も付かぬほどの軽やかな動きと、峻烈な刀捌き。

 群雄は、年若い芝蘭の武芸の巧みさに内心舌を巻いた。一見荒々しく、粗野な印象の芝蘭だが、その洗練された身のこなし。そこには、稟性てんせいの怜質が滲む。

 芝蘭の武芸を目の当たりにして、もう一人「武龍の双侠」と呼ばれる冷伯にも、人々は興味を引かれた。双侠は、片方は刀遣い、もう片方は剣遣いであることは知れ渡っている。武龍鏢局があの「破山派」に属していることも武林ぶじゅつかいでは周知のこと。が、破山派は、古くからある流派だが、謎が多いのだ。

 周囲のざわめきなどお構いなしに、冷伯は、戦いの成り行きを飄然と佇んで見ている。

 蒼海は、剣を構え直した。余裕は一切無い。本気だ。

 数手を交わし、激しい攻防が繰り広げられる。だが、両者は一歩も引かない。ここで、芝蘭は構えを変えた。

 しばし睨み合い、同時に動きだす。端正で流れるような刀捌き。それは、水のようにつかみ所がない。冴えた刀気がひやりと頬を撫ぜた。ひたと見据える瞳は厳かで、戦いの中とは思えぬ程に、静謐だ。その視線を受けた時、蒼海は知らず、息をのんだ。

 一体どこから攻撃が飛んでくるのか、予測も付かない。なんとかぎりぎりで受け止めているといった風だ。が、芝蘭の動きは、攻撃毎に速まり、今や、神速の域に達している。


――カン。

 高らかな音を立て、蒼海の剣が宙を舞った。

 苦笑を浮かべる蒼海に向かい、芝蘭は丁寧に拱手した。


「先輩。勝ちを譲っていただき、感謝申し上げる」

「否、……まこと、見事だった」


 冷伯は腕を組んだままだったが、芝蘭が目をやると、まるで自分が勝利したのかのように、例のにやり笑いを浮かべた。

 残るは、水輪派との接戦を制した玉爕派との戦いである。

 最後のみ、先に二戦を制した者が勝者となる。続けて応じようとした芝蘭だったが、今度は冷伯が止めた。


「お前は少し休んでろ。そろそろ俺も退屈してんだよ」


 戦いへの渇望に、冷伯の瞳が一瞬ぎらりと光る。相手は、景元の息子、志尚ししょうだ。刀を手に構えの姿勢をとる。隆々とした長身の美丈夫である芝蘭に劣らず、志尚も恵まれた体格の人物だった。いかにも武人を匂わせる眼光の鋭さに、冷伯は満足げに笑った。

 一方の冷伯は、志尚の一回りは体格で劣る。

 細身で色白の冷伯は、文弱の貴公子、という印象を相手に与えがちだ。身長も、低くはないが、高くもない。

 それ故、なにも知らぬ者の油断を誘う。が、淡泊な青年、志尚は、冷伯の容姿を以て、ことさら警戒を解くことも深めることもない。

 居並ぶ人々は、対面する両雄の間に激しく迸る目には見えざる闘気の応酬に、知らず、息を飲む。


「どちらが勝つと思う?」


 冗談めかして清叔が問う。芝蘭は間を置かずに返した。


「決まっている。あいつは、誰にも負けない。――ただし、俺以外な」


 一瞬、闘気の揺らぎを感じたか、冷伯が動いた。

 そのはやさ。

 先程の芝蘭も、体格からは想像も付かぬほどの俊敏さだったが、冷伯の速力はさらに上だ。

 破山派の特長は、軽功と、剣法にある。

 「六義剣法」と名付けられたその技の多くは、古くから珱に伝来する「詩」に因んだもの。峻烈ながらも舞楽の如き優雅さを感じさせるそれは、破山派の始祖が女性であったが故であろう。その為か、習得するのも圧倒的に女人が多い。その一方、男子は、芝蘭もそうであるように、直刀と呼ばれる刀を使うことが多い。時代が降ってから発展した、比較的新しい型だ。

 が、冷伯は、矢張り破山派の真面目しんめんもくは剣法にあり、と剣法の習得に努めた。その結果、美しさは残しつつも嫋々なよなよしさを取り去り、軽捷かつ激烈な威力を秘めた剣へと昇華させた。

 飛ぶような、跳ねるような躍動感のある動きは、まさしく舞を舞うかのよう。

 対する志尚が揮うのは玉爕派の「両儀刀法」。重厚で端正な型は、冷伯のそれと対照的だ。速さでは劣るものの、威力において勝る。

 志尚の攻撃を受け止めた冷伯は、くっと口の端を上げて愉しげに笑った。その時、慌てた様子で男が一人飛び込んできた。


「大変です!! 掌門!!」

「一体何事だ」

「官軍が!!」

 

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