(三)
志尚が攻撃の手を止め、構えをとくと、冷伯も不快感をあらわにしながら、剣を下ろした。
遠くに旗が見えて、素早く芝蘭に視線を送った。芝蘭は素早く外套を被り、己の真紅の目を隠した。
「あれは……馮宗純」
眉根を寄せて、その名を呟く。何の為に官軍が現れたのかを計りかねた人々は、警戒心も露わに武器を構えながら、宗純と景元とを、交互に見た。
「元皇師将軍・孟景元に、皇上のお言葉である」
一刻の宰相の登場に困惑しながら、景元は作法通りに宗純の前に膝を着いた。
宗純が告げた、「比武大宴」を皇と皇后の御前で行うように、という命令に、一同は困惑の表情を浮かべた。一方、宗純の目に付かない位置に退いた芝蘭と冷伯、清叔の三人は、ひっそり顔を見合わせた。
「何故脩軌が『比武大宴』の事を知っている」
「宗純か、あの女が何か吹き込んだのだろう」
「どうする?」
脩軌を討とうとするのならば、脩軌の近くまで行けるまたとない好機ではある。が、こちらの動きを察している辺り、却ってこちらの身が危うくなることは明白。その上、ここまで官軍が迫っていては、抵抗すれば大混戦となることは必定。こちらの数とて相当なものだが、いわば寄せ集め。さらに、ここに集まる全ての流派は、皇に不満があったとしても、本当に抵抗する意志があるのかどうかは怪しい。殊に景元が統括する玉爕派は、元より皇族との関係が深い流派だ。
「孟殿がどう動くかだな。ここは孟殿の邸故」
芝蘭の言葉に、冷伯も清叔も頷く。
比武大宴を御前で行えという命。それは宗純の話によると、皇后の望みだという。
皇后――飄明珠の。
途端、冷伯の内が、燃えるように熱くなった。――怒りで。
明珠が何を考えているのかは分からない。が、用間に長けた朱帛の元帛主である明珠の所望であったと言うのならば、単なる娯楽の為ではなく、何かしら目的があるに違いない。
忌々しい明珠の思い通りになるつもりなど毛頭ない。あの女や脩軌らの暇つぶしにつきあってやる気もない。思いながら、冷伯は景元の様子を伺う。
景元は拝したまま、一瞬目を伏せたが、やがて、ゆっくり立ち上がった。
「――閣下がおっしゃる“皇上”というのは、玉座にただふんぞり返り、徒に酒色や原獣に淫するばかりで政をないがしろにしている、あの愚劣な簒奪者のことですか」
しれっと、悪びれもせずに言い放った景元に、宗純が色を成す。
「な、……景元、貴様」
「玉命とあれば、従わぬ訳には参りますまい。正しき君主の命ならば、謹んで拝命もいたしましょう。なれど、暗愚の輩の命に従う道理はない。お帰りくだされ」
景元が言うと、彼方此方から、「そうだそうだ」「帰れ!!」とまくし立てる声が次々噴出した。
目を怒らせた宗純は、剣を抜き、「玉命に逆らう反徒を討て!」と叫んだ。と、同時に、これまで潜んでいたらしき皇の兵が、一気になだれ込んできた。
怒号が飛び交う中、次々刃が抜かれる。
バラバラ斬りかかっているこちら側に対し、皇師側は見事に統率された動きを見せ、忽ち何人もが負傷し、或いは地に伏した。
ここには、武林で名高い英傑が揃っている。が、兵とて厳しい武挙の試験を通ってきている精鋭兵である。それにまとまってかかられれば、劣勢となるのは必定。
このままでは、最悪の事態にもなりかねない。他の誰がどうなろうと、芝蘭だけはなんとしても守らねば。だが芝蘭は、自分一人だけ助かる事を、望みはすまい。だからなんとしても、兵達を撃退しなくてはならない。
その為には、相手の統率を切り崩す必要がある。
攻略の方法を探りながら、冷伯は己の剣を揮った。
「――陣を敷け」
冷静な声が響く。
景元だった。鋭く宗純を睨むその目は、老いてなお、猛々しい闘志に燃えていた。バラバラだった
ここは、玉爕派の本拠。地の利は玉爕派にある。陣を完成されたら厄介だと悟ったのだろう。
「陣を完成させるな!」
「させるか!!」
宗純が鋭く命じる。応じて動いた兵を、他の門派の者が阻む。
忽ち陣は完成する。景元の指示で様々に展開する陣形は変幻自在、融通無碍だ。隅では未だ別に打ち合っているが、官兵と玉爕派とがぶつかる中心部では、他の門派の者達は退き、様子を見守る。却って玉爕派の邪魔になると判断したからだ。激しい攻防が繰り返され、双方の血が散る。
やがて、同じく見守っていた冷伯は、口の端をつり上げて笑った。ぶつかり合い、めまぐるしく展開する陣。それはいつしか、宗純を筆頭とする皇師の主力部隊を知らず、追い詰める事に成功していた。
「――凄いな」
「ああ」
「お前が素直に同意するとは、珍しい」
冷伯が頷くと、芝蘭がおどけた様に言った。その脚に軽い蹴りを入れつつ、冷伯はまた剣を揮う。主力部隊と分断された官兵達は、待ってました、とばかり、冷伯達含む他の流派の者達が叩いた。個々の能力においては、こちらに分がある。
一方、残る官軍主力部隊の背後には、
九水の流れは深く、且つ速い。入れば大の大人と
警戒はしつつも、景元はそれ以上、攻めはしない。
窮鼠猫を噛む――絶体絶命の危機に陥った人間は、考えられないほどの強大な力を発揮するものだ。敢えて景元は、一箇所だけ陣にほんの僅かな空隙を作った。
一方の宗純も、誘われていると分かって、強いて兵を動かそうとしなかった。そちらへ動いたら最後、徹底的に潰される事は目に見えていた。が、今のままでもこちらに勝機は無い。
歯噛みしたい気持ちを抑え、宗純は頭を働かせる。
こんなところで捕まってしまっては、面目丸つぶれだ。
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