水中宮殿第三

(一)

「――芝蘭しらんはまだ見つからねえのか?」

「は、はい。申し訳ございません」


 殺気だった冷伯れいはくに、報告に訪れた者は平身低頭して答える。機嫌の悪い冷伯を前にして、声が完全に震えていた。


「……瀑布たきに落ちたわけじゃねーだろうな」


 九水きゅうすいには、瀑布が何カ所かある。その最大のものは、ここより数里降った所にある。

 その下は、深さの知れぬ底なしの淵。そこには昔から、九水の神である大蛇が住まい、落ちた人間を食らう、という言い伝えがある。

 実際、そんなものがいようがいまいが、あの高さと深さ。落ちてしまえば、人間になす術などない。

 すでに、芝蘭が行方不明になって五日。冷伯の焦燥あせりも頂点に達していた。怒りも。居ても立っても居られず、自ら芝蘭を探しに行こうとする度、周りから何度も止められた。

 毒は既に出したものの、その影響はまだ随所に残っていた。特に腕が動かしにくい。睡眠も取っていなかったため、目の下にははっきりと隈ができていたし、顔色も悪い。が、そんなこと構うものか。


「失礼いたします。――公子、少しお休みになられては」

「この状況で、寝てられる訳ねえだろうが!!」


 ぴしゃりと返す。言いながら、冷伯は内心首を傾げた。見慣れない顔だ。こんな男、鏢局ひょうきょくにいただろうか。疲れすぎて分からなくなっているのか? 或いは、景元けいげんの所の者か。景元も、芝蘭を探すため協力してくれていた。だが、そういう感じではない。もっと、何か、懐かしい様な気がした。


「しかし、いざというとき、公子が倒れられては」

「俺が倒れるかよ」

「……ではせめて、これをお召し上がりください。疲れが和らぎます」


 言って青年は、温かな粥を差し出した。その香りに、忘れていた空腹を思い出して、冷伯は素直に受け取った。

 匙ですくい、口に含む。ほんのりとした甘みが、口の中に広がる。頭がぼうっとする、知らず、くらくらとした。しまった、と思ったときにはもう、抗いがたい力に引かれるように、意識が沈んでいく。

 崩れるようにして眠りに落ちた冷伯の手からするりとこぼれかけた器を受け取って卓子に起き、その背に衣を掛けると、青年は微笑んだ。


「ゆるりとお休みください。――こういうときにこそ、夢の中に、導きはあるやもしれませんよ」


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