(二)

「全く、毎回毎回、こうふらふらと出歩かれては。御身は、かように気安い身分ではないことを、この寒山かんざん、一体、どう申し上げたらご理解いただけるのか……冷伯! お前も、何故お止め申し上げない」


 久々に飄州じもとに戻った芝蘭と冷伯は、邸に到着するや、冷伯の父・寒山に二人揃って呼び止められ、説教されること数刻に及んでいた。

 静かに聞いている芝蘭に対し、欠伸までして、完全に飽きた様子を隠そうともしない冷伯に、寒山は目を怒らせた。


「止めたってこいつ、どーせ俺の言うことなんざ聞かねえし?」

「冷伯!! その口の利き方、いい加減にしろ」

「へーへー、申し訳ございません父上。反省してます。反省してます。ええ、物凄~く」

「……」


 完全に棒読みな反省の言葉に、寒山は息子を睥睨する。


「お前の軽はずみな行動で、芝蘭様に、もしもの事があってみろ。どうするというのだ」

「そんな事ありませんよ。芝蘭には私が付いていますから」

「お前は……っ」 


自信満々に言い放つ冷伯に、寒山は頭を抱えて芝蘭に向き直った。


「――芝蘭様のお父君であり、吾が主・章皇しょうおう簒奪者さんだつしゃ脩軌しゅうきの手にかかって早十年、未だに脩軌は御身のお命を虎視眈々と狙っているのです。どれだけ用心しても、足りるということはございません。それを……武龍鏢局ぶりゅうひょうきょく碧山へきざんの名のもとに組織し、鏢客ようじんぼうの真似事など……、正気の沙汰とは思えません。それも、今では“武龍の双侠”と並び称される程とか。目立つ様な行いはお慎みくだされと、あれほど――」


 仁政を以て慕われた章皇とその皇后が弑逆され、その子であった芝蘭もまた殺される所だったが、腹心であった寒山が命懸けで芝蘭を隆州から飄州へと脱出させた。以来、飄州以東の一部地域と、脩軌を皇と戴く隆州以西の地とは対立関係にあった。

 その飄州を治める飄家は、神たる炎瀞帝君えんせいていくんの血を引く皇族同様、雷鳴帝君らいめいていくんと呼ばれる神の血を引く一族である。古くは飄家も、一国を統べていた。しかし、雷帝の時に炎帝に譲り、隆氏と飄氏との地を併せて一国とした。以来、隆家を主、飄家を従として、両家の間ではある誓いが交わされ続けてきた。

 それは、“飄家の代々の当主は、この国の皇を隆家の一族から選び、その皇が位に在る限り仕え続ける”というものだった。

 故に現飄家当主である寒山もまた、それに従い、琅家ろうけの中から章皇を皇に選び、仕えていたのだった。

 章皇が、弑逆されるまでは。


「……危険は承知しております。しかし、なんとしても妹の幽蘭ゆうらんを探し出したいのです。碧山殿も、その心を汲んでくださり、御名前をお借りすることを了承してくださいました」


 碧山とは、寒山の三番目の弟だ。江湖せけんにも名高く、兄弟の中では最も武功に優れ、飄州を本拠とする破山派はざんは掌門しょうもんでもある。

 武龍鏢局は、その破山派に連なる一派の者達で構成されている。実質、彼らを直接統率するのは芝蘭や冷伯だが、長はあくまでも碧山である。

 皇の命で芝蘭の救出に向かった寒山は、その妹の幽蘭の救出は部下に行かせた。が、央州おうしゅうに入ったのを最後にその消息を絶った。以来、十年もの間、その行方はようとして知れない。


「妹君を心配されるお気持ちは分かりますが、それで御身まで危険に晒してどうなさるのです」

「父の仇を討つため、必要と思うことをしているだけです」

「――冷兄上!! 芝蘭様!!」


 僅かに開いた扉から転がり入るようにして入ってきた娘の婀禮あれいに、寒山はぎょっとした。それも、全身泥だらけなのである。


婀児あじ、なんとしたのだ。その風体は」

「木蓮が綺麗に咲いておりまして! 取ろうとして、落ち申しました」

「なんという……侍女達は何をしていた」

「侍女達がいると、あれをするな、これをするなとうるそうございますから、きました! 彼女達をお責めくださらぬよう」


 顔色を変えた父親を横切り、冷伯あにの衣の袖を掴んで婀禮は言った。

 

「――婀児、お前も……揃いも揃って……」

「そ、それでは寒山殿、失礼します」


 更なるお小言の気配を察知して、芝蘭はさっと婀禮を抱き上げ、冷伯を小突いて部屋を出た。


「芝蘭様! まだお話は終わって居りませぬぞーー!!」


 扉越しにくぐもった寒山の声が追いかけてきたが、振り返らず、芝蘭と冷伯は早歩きで歩いた。冷伯の部屋まで戻ってきて、二人はだらりと椅子に座り込んだ。下ろされた婀禮は、そんな二人の様子を交互に見て、楽しげな声で笑った。


「はあ……今日の親父の説教、一段と長かったな……。って、おい婀禮、人の髪で遊ぶな。女じゃあるまいし」


 婀禮の手で、冷伯の髪はいつの間にか見事に編み上げられている。


「兄上なら、ちょっとお背の高い女人で通じましょうぞ。こんなにお綺麗なのですから」


 にこにこと邪気無く言い放つ婀禮に、冷伯は憮然ぶぜんと返す。


「言うな婀禮。いくら俺が美形とは言え、うれしくねえっての」

「自分で美形言うか、お前」

「俺を美形と言わずして、誰を美形って言うんだよ。逆に嫌みだろうが」


 臆面おくめんも無く言い放つ冷伯に、芝蘭はやれやれと肩をすくめた。

 深く椅子の背もたれに寄りかかり、傲然とした態度の冷伯は、言葉遣いや振る舞いは兎も角、黙って居れば羞月閉花しゅうげつへいか沈魚落雁ちんぎょらくがんの美青年だった。

 道を歩けば老若男女、振り返らぬ者はない。類い希なる白皙の美貌の持ち主だった。が、その気質は、窮屈で堅苦しい貴族の生き方よりも、剣を引っ提げて江湖を気儘に渡り歩く侠客の生き方が遙かに合っていた。

 故に、長じてからは、殆ど自宅である飄家邸にいることも無く、芝蘭と二人で各地を旅して回ってばかりだった。


「ああ、そうだ。婀妹。少し大人しくしてろよ。……よーし。いいぞ。土産だ。鄭州ていしゅうの珍しい細工物だそうだが」


 にこやかに芝蘭はそう言って、婀禮の髪に何かを挿した。 

 鏡をのぞき込んだ婀禮ははしゃいだ声を上げた。

 その銀の髪には金の歩揺かんざしが揺れている。金の鎖がいくつも連ねられ、ふんだんに散りばめられた玉には溜息をつきたくなるほど繊細な彫刻が施されている。


「芝蘭様、ありがとうございます!!」


 にっこりと笑みを浮かべて見上げる婀禮に、芝蘭は、鷹揚に頷いた。うれしさ一杯に飛び跳ねんばかりの婀禮を苦笑で見下ろして、冷伯は尋ねた。


冷光れいこう如何どうしている?」

「光は、昨日熱が出たので自室で眠っておりますよ」

「ああ……またか。本当に、弱えなあいつは」


 冷伯は途端、真顔になる。

 口調こそ素っ気ないが、目には憂うような色が滲む。


「あとで顔でも見に行ってくるか」

屹度きっと喜びましょうね。光は兄上が大好きですから」

「そうだな……」 


 ふと冷伯は外へ意識を向けた。


「――なんだ」

「こちらを公子わかぎみにお届けするように、と」


 差し出された書状を受け取った冷伯が開き、目を鋭く細めた。


「――冷光の見舞いはまた今度だな。芝蘭、」

「?」

清叔せいしゅく殿の翠明山荘すいめいさんそうが、皇師に囲まれたらしい」

「――なんだと」

「央州師の余りのむごい仕打ちに怒って散々に打ち倒したら、その報復か、賊を打ちのめせという命がくだったらしい」

「それで皇師が出たと? 官軍は今や、龍旗りゅうきを掲げた、ただの賊とも変わらんからな。……清叔殿を助けに行かなければ」

「だが、官軍とここでやりあうのはな……」

「それを言うか? いずれ脩軌は討つんだ。官軍とやり合うのも時間の問題だろう。今そうなったところで、別段問題ない」


 早くも立ち上がった芝蘭に続き、冷伯も、にやにやしながら立ち上がる。

 そんな兄達の様子を見ていた婀禮は、不満げに頬を膨らませた。


「また、行かれるのですか? わたくしもお連れください!!」

「だめだ」


 考える間もなく冷伯は言った。厳しい声だったが、婀禮はひるむことなく強気な視線で兄を見返した。


「お前の腕で俺等についてこられるとでも思ってんのか? 自分の身も自分で守れねえやつを連れて行く気は無い」


 冷伯の言葉にあおく燃え立つ瞳は、鋭く苛烈に兄を睨んだ。 


「されば、お試しあれ!!」


 言うが早いか、婀禮は壁に掛かっていた剣を引きはがす勢いで抜くと、冷伯に飛びかかった。冷伯もまた、剣を抜いて受け止める。

 いつものやりとりだ。芝蘭はやれやれと軽く肩をすくめ、椅子に座ってその様子を見守った。

 両者の剣と剣とがぶつかり合っては、高い金属音と共に、激しい火花が散る。冷伯は鋭い目で、冷静に婀禮の動きを見遣る。いなすような動きに、怒った婀禮はさらに鋭く斬り込んだ。


「そこまでだ」


 乾いた音を立てて、剣が転がる。衝撃に痛む手を押さえて、婀禮はじとりと兄を睨んだ。


「まだまだだな、婀禮」

「―――あに、」


 言いかけた言葉は途中で切れた。悔しさに項垂れた婀禮の横を素っ気なく通り過ぎて、冷伯は芝蘭に目配せした。

 苦笑しながら立ち上がる芝蘭は、ぽんと一つ婀禮の頭を撫で、剣を手に部屋から出て行く。


「ああ、そうだ。――これは冷光に渡しておけ」


 卓子の上に包みらしき物を置き、冷伯はそのまま出て行った。


 * * *


「相変わらず、婀妹に厳しいな」

「ったりめーだろうが」


 乱暴な声音で冷伯は答える。


「甘やかして何になる。あいつは飄の名を背負う人間だ。……強くなけりゃ、生きら

れねえ。あいつが生きていかなきゃならないのは、そう言う世界だ」

「……だが、あの歩揺、今回選んだのはお前だろうが。お前からだって言った方が、婀妹も喜ぶだろうに」

「……そうでもないだろ。婀禮はお前に懐いてるし。というかーー」


 冷伯は、そっと芝蘭を横目に見る。芝蘭は冷伯の言葉の先を促すように、首を傾げた。

 鈍い奴、という言葉を飲み込み、冷伯はそっと息を吐いて、歩き出した。


「俺がそんな柄じゃねーの、分かってんだろうが。さっさと行くぞ。親父に見つかったらめんどくせえ」


 足早に進む冷伯の背に苦笑し、芝蘭は後を追った。




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