武龍双侠第一

(一)①※残酷描写注意 苦手な方は②から※

 凌遅りょうち、という刑がある。

 油を塗った銅柱を炭火の上にかけて罪人を歩かせ、足を滑らせて火中に落ちるのを狙って焼き殺す炮烙ほうらく。生きたまま腸を引きずり出す抽腸ちゅうちょう。牛を罪人の両足に一頭ずつを結びつけ、それぞれを逆に動かすことにより、身体を真っ二つに引きちぎる牛裂。いずれも、人をして震撼せしめた極刑であるが、その中でも、最も残虐な刑の一つが、この凌遅であろう。

 凌遅刑とは、一言でいえば「肉削ぎの刑」である。生きたまま、刀で肉を削ぎ、遅々ゆっくりと罪人を殺す、極刑なのである。この、遅々ゆっくりと、というのが重要である。刑は棄市、すなわち、市で公開され、衆人環視の中で執り行われる。一度の処刑で罪人の身体から削がれる肉片の数は数百とも、数千とも言う。数日を要する場合もある。殊更時間を掛け、罪人が苦しむ様を人々の目に晒し、恐怖心を煽り、威嚇する。逆らえば、お前達も同じ目に遭うぞ、という。

 そこに、この恐ろしく残酷な刑の眼目がある。

 まず胸、次いで頭皮を引き下ろすように剥ぎ、目が隠れたところで止める。それから、太腿、腕、肘、ふくらはぎ、膝と順に削いで行く。裂かれた所には止血の薬が塗られる。失血ですぐに死ぬことは許されない。少しでも痛苦が長びくようにとの意図であった。こうして存分に苦しめ、甚振って、最後に漸く首を刎ねるのである。


 刑場には今、数十人の女達が引き立てられていた。一挙にこれだけの処刑が執行される、その上、女ばかりというのも、これまで例の無い事である。これから大々的に行われるのは凌遅刑。斬罪ざんしゅなどではないのである。その青ざめた横顔は、一様にどこか品を漂わせ、いずれも貴人と見えた。煌びやかな着衣や宝飾品全てを剥ぎ取られ、磔にされた女達の柔肌は、強烈な寒気を帯びた冷風に突き刺され、凍傷で真っ赤な水疱が浮かんでいた。白粉は剥げ、崩れた結い髪もそのままに、衆目に晒されている彼女達は、いずれも皇の妃や女官、侍女たちであった。獄から刑場へと送られる途中、唾を飛ばされた者、腐った卵を投げつけられた者、石を投げられ、額から血を流している者すらいた。骨まで貫く寒気にか、身に迫る痛苦と死の恐怖にか、或いは耐えがたき恥辱への怒りにか、震えていた。辺りに漂うのは、粉黛や香の香りではなく、血と、饐えた匂いだった。

 場は、奇妙に静まりかえっていた。手に手に刃をちらつかせ、舌舐めずりせんばかりの下卑た笑いを浮かべるのは、処刑執行人達である。一方、それを取り巻く人々の様子は、実に様々であった。怒りの表情を浮かべる者、眉を顰めて成り行きを見守る者、絶好の娯楽とばかりに酒を片手に悠然と構える者、顔を蒼くしながらも、怖いもの見たさか、チラチラと様子を窺う者――。

 場は、雪がちらついていながら、異様な熱気が漂う。この雰囲気を、一言で表現すならば、狂、であろう。――否、今、この場限りのことではない。後に暗黒時代とも呼ばれる珱代、中でもれいおくりなされる珱皇、琅脩軌ろう・しゅうきの御代こそ、“狂”の時代だった。

 官吏が罪状を読み上げる声だけが響く。罪科は、皇后に対する大逆――。大逆は、最も重い罪である。謀っただけで罰せられ、その上、本人だけで無く、夷三族いさんぞく――父母・兄弟・子に至るまでみなごろしである。已に、族滅された彼らの親族たちの首が、女達の前に置かれている。この場に溢れる臭気は、そこから発されていた。


「――わたくしに触れるでない、下郎!」


 殊更ことさら気位高く声を発したのは、皇に最も古くから仕えた藺妃りんひだった。刑場に引き立てられた罪人達の中、唯一衣服を身に付ける彼女こそ、この一件の首謀者と目されていた。それを許されたのは、長年連れ添った妻への慈悲でもなんでもなく、凍死を防ぐ為である。つまりこれは、「簡単には楽にしてやらぬ」という、皇の強烈な意思の表れであった。

 藺妃は刑場の奧の奧に設置された貴人の席へと向けて、声を大にして訴えた。


「皇上、わたくしは大逆など謀っておりません!! どうか――」


 それに呼応するように、女達は口々に無実を訴えた。彼女達は、事が、自分たちを屠ろうとする皇后、飄明珠ひょう・めいしゅの計略であると考えていた。だが、それを口にすることはない。誰よりも皇の寵愛深い皇后を誣告ぶこくした、などと皇が考えたならば、それこそ命がないことを、皆、深く理解していたからである。理解せざるを得なかった。が、それを悟った時には、既に遅い。

 彼女達は、さながら、複雑に張り巡らされた蜘蛛の糸に絡め取られた蝶であった。


「――刑は決した」


 帳の奧から、無慈悲な声が放たれた。


「皇上……」

「――やれ」

「皇上!! どうかご再考を!! どうかっ――!」


 身分の低い者達から、刑は執行されていく。悲鳴が浪のように幾重にも響きわたる。大抵の受刑者は、一日の内に首を切り落とされたが、首謀者である藺妃の刑は、実に三日を要した。

 その細首が落とされる直前、藺妃は狂気の高笑いを上げて、こう叫んだ。


「……よくも、……っ。この恨み、決して許さぬ。怨鬼えんきとなりて、そなたの郷里の山沢田畑を枯槁せしめ、癘鬼れいきを呼び、子々孫々、親族のみならず、飄族ひょうぞく皆尽く呪い殺してやろうぞ! 必ずだ!! 呪われてあれ!! 飄――、めぃ」


 言葉はそこで消えた。処刑人が、言い終える前に藺妃の首を切ったのだ。首は高くはね上がり、転々として、刑場に落ちた。

 落とされた首は、最終的には、先に殺されていた一族のものを合わせて、百を超えた。首はそのまま晒され、罪人から削がれた肉片は、薬として高額で売り買いされた。そこにはなんと、万の人々が群がった、という。




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