飄冷光自序

 歳の離れた兄・冷伯れいはくは、姉や私が物心ついた時には、当家に身を寄せていらっしゃった、今は亡き琅芝蘭ろう・しらん様と二人で国中を旅して回っておりました。


 時には、境を越え、海を越え、砂漠を越え、遠い異国を旅したこともあったとか。


 姉の婀禮あれいと私は、二人がその様子を面白おかしく話すのを聴くのを何よりも楽しみにしていて、見たこともないその地へ思いを馳せては、いつか自分の足で旅してみたいと思っていたのです。


 殊に兄とよく似て、一所にじっとしていられない質だった姉は、「わたくしも兄様と一緒に行く!」と言っては兄に「お前には未だ早い」とたしなめられておりました。

 


 当時、脩軌しゅうきによって章皇しょうおうが弑され、それに異を唱えた父・寒山かんざんを中心とする飄州ひょうしゅうと、脩軌を皇といただ隆州りゅうしゅうとが対立すること十年。


 混迷こんめいの時代が続いておりました。我々飄家の子息は、造反ぞうはんの徒として、常に命を狙われていました。

 

 

 主に先立たれた飄公というのは、主の墓をお守りするのが習わしでありましたが、混乱の中、先皇の亡骸は路傍にうち捨てられ、灰燼かいじんに帰して行方も知れず、亡き主を静かに偲ぶことも叶わぬ。

 

 それが一層、父の焦燥と怒りとを掻き立てていたのでございましょう。

 

 故に、章皇の忘れ形見の芝蘭様を守り、育て、父皇の仇を討つ。それが、父の悲願でありました。芝蘭様も、兄も、それは重々承知しておりましたし、また芝蘭様ご自身の望みでもありました。


 父は、二人がろくに供も付けずに各地をふらついているのにもいい顔をしておりませんでした。

 

 出立を控えるよう、進言することもしばしばでした。


 そう言う訳ですから、まだ幼かった姉や私が旅など許されよう筈がありませんでした。

 芝蘭様は、「必要なことです」と笑いながら、結局またどこかへ行かれるのでしたが。

 当たり前の様に、兄だけを供として。

 


 当時、まだ幼かった私に、全てをうかがい知る事は叶いませんでしたが、芝蘭様と兄は、その為の準備をずっとしていたのでしょう。


 ですから、父も、口では軽はずみな行動に苦言をていしながらも、結局は行かせていたのでしょう。

 


 兵を挙げ、叔父の脩軌を玉座からい、その際に負った傷により志半ばで散った芝蘭様の後をお継ぎになった幽蘭ゆうらん様もまた、怒濤どとうの中にほうじられました。

 

 主を喪った兄はその後、行方をくらまし、幽蘭様と共に戦場を駆け抜けた姉の婀禮もまた、何方いずかたか、声跡せいせきを絶って久しく、人々は、二人を「主を省みない不忠者」とそしります。

 

 世事せじに疎い私は、兄姉に対するその褒貶ほうへんの正否すら分かりません。幼少よりの蒲柳ほりゅうの質が為、人生の半分を病床で過ごした私に、兄も姉も、多くを語りはしませんでした。


  そこで私は、吾が金蘭きんらんの友・楊君の助力を得て、彼らが残した記録をつぶさに調べ、各地へ脚を運んで兄や姉のあとを偲び、また当時を知る人々と言葉を交わし、漸くここに、一つの記として纏めるに至りました。

 

 ここで私が目指したのは、彼らのありのままの姿をただ描き出す事です。故に論纂を備えておりません。

 

 これを以て、彼らを忠とするか、或いは不忠とするか、それはこの書をお読みになられた諸賢、それぞれのご判断に委ねようと思うのです――

                       明璋 飄冷光ひょう・れいこう

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