(四)

 蒼穹に、無数の州旗が翻る。蒼く染められたそれには、三日月と白蓮が描かれる。清雅な白蓮は、飄家を象徴する花だ。

 人馬は連なり、その果ては知れない。兵の中に女人の姿も多く見られるのは、珱ならではであろう。特に飄州は、女の武官の数が多い。それは、飄州一帯に住まう飄族の始祖・雷鳴帝君が女性であったことが大きい。

 開闢の際、九天の裂け目から溢れた魔族を討たんとし、造物主たる帝神は無数の雷と炎を落とした。が、すべてを倒すことはできなかった。その際、帝神の落とした雷の一つが氷壁に衝突した。その氷の中に生まれたのが雷鳴帝君であった、という。それ故、冰華帝君、冰帝と呼ばれる事もある。一方、地上に落ちた炎の中から生まれたのが炎瀞帝君であったという。

 この雷鳴帝君と炎瀞帝君は、魔族と戦うために生まれた神。それ故、帝神がつくった他の神と比すれば、圧倒的に武力に秀でた神であり、その本質は、両者とも戦神なのである。それ故、その二神を仰ぐ珱は、古来より武門の国として名を馳せた。

 武人的性質の強い脩軌は、その点においては、確かに珱皇らしいといえばそうなのかも知れない。

 だが、両神が戦うのはあくまで民を守る為。民を虐げ、己の力を誇示する為だけでは、決して無いのだ。

 いち早く嬰河を渡り、隆州に入った飄州の軍勢は、ひたすら西に向かい、猛進した。まさしく、風のような疾さだった。

 その歩みといえば恐ろしく静かで、視界の利かぬ緑深い所など、近くを通り過ぎたのだと知らぬ者もいたほどであったという。その疾さと、あまりに静かな行軍。彼らの動きは、皇師側の予測の数日も先を行っていた。

 それに皇師が気付いたときには、既に飄州の軍勢は目前に迫っていた。

 両者は、青嵬関でぶつかった。本来攻める側だったはずの皇師側が、守に転じたのだ。

 皇師側は門を閉ざし、上から火矢を浴びせようとした。が、飄州側は火矢も恐れず、進んだ。

 将の一人とおぼしき男が、先鋒で突っ走ってきた。関門を突破する気だろう。男を狙って、いくつもの矢が浴びせられた。

 信じられないことが起こった。

 突如男は、文字通り、飛んだ。

 その動きに、敵からも味方からも驚きの声が上がった。

 飛来するいくつもの矢を剣で叩き落としながら、男は堅牢な青嵬関の城門の上に着地した。俄には信じがたい、驚くべき軽功であった。

 男の蒼い目が、皇師の兵達を睥睨する。――冷伯である。

 にやりと彼得意の笑みを浮かべ、剣を一振り、動いた。

 慌てたのは皇師側である。あまりにもあっさりと敵の侵入を成功させてしまったのだから当然だ。冷伯は斬りかかってきた兵を易々と斬り捨てた。

 そのまま兵を二人、三人と瞬く間に切り伏せ、冷伯は疾駆する。

 門を開けるつもりなのだ。

 慌てた皇師の将軍は、冷伯を討て、と命じた。

 男は身を翻す。この距離では近すぎて弓は意味を為さない。剣や槍を振り回す人々の頭を軽々と飛び越える。

 ひらりと飛んできたかと思うと、もう一人、二人と斬られているのである。縦横に飛び回る敵、たった一人に、兵達の尽くは翻弄され、懼れた。

 そうこうしているうちに、接近した飄州側は関に巨大なはしごをかけ、次々侵入してきた。

 ほどなくして、城門までもが破られた。

 こうなっては形無しである。青嵬関を陥落させるのに、半日とかからず、戦いは終わった。官軍は散り散りになり、或いは捕らえられ、或いは逃げだし、残ったのは倒された兵の遺体のみだった。

 やがて一つ、二つ、と身体から炎が燃え上がり、青嵬関は炎で埋め尽くされる。その炎は、遺体以外を焼かない。隆族の者の最期とは、そう言うものだった。それは、その身に宿る魂の最期の輝きなのだという。

 骨すらも残さず、その身は焼けて灰となり、消える。


「恐ろしく退きが速かったな」


 楼台からその炎を見ていた芝蘭が、口を開いた。


「出鼻を挫かれたからな。奴等がやる気満々だったのは、飄州を襲えば、大いに略奪が可能だからだ。飄州の豊かさを妬む者も多いからな。逆に飄州の人間は、飄州が侵略されたら、危ういことを十分に分かっている。……五年前の例があるからな」

「……」


 芝蘭は表情を曇らせた。

 五年前にも、飄州が攻められて、あわやということがあった。その際、戦場ほど近くの村の惨状は、目を覆うものがあった。

 あまりの自州との差に対する妬みか、恨みか。家屋は尽く壊され、田畑の作物は掘り返され、家財は奪われ尽くした。男や女、子どもも老人も別なく殺され売り飛ばされた。そうでなくば、売り飛ばされたり、攫われたりした。今も、消息の知れぬ者は数多く居る。

 あの時の記憶は、飄州の人々の中に、はっきりと残っているのだ。


「だが何より、こっちには、お前が居る」


 冷伯は芝蘭を見た。


「飄州は豊かだ。だが、矢張り珱の一部だ。なんだかんだその意識は強い。いただくに相応しいと思う者が皇となるなら、一国は一国としてあるのが一番良いとも思っている。しっかり頼むぜ、芝蘭」

「ああ、そのつもりだ」

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