* * * (1001改)

 険峻な飄州は破山の山道を、一人の女人が進んでいた。

 彼女は姿を消した弟子を探すべく、木々を飛び回り、普段は来ない、破山の奥の奥まで深く分け入った。

 その瞳は、片方は、飄家特有の蒼。もう片方は、鈍い灰色をしている。髪は墨を零したように黒く、艶やかに腰まで流れる。その髪には、白蓮の簪が清雅に咲き誇る。遠くを見つめる横顔は鋭いが、氷の彫像のように繊細でもある。喪服を思わす雪白の衣が、その雰囲気を強くしていた。肩に羽織った薄紫色の披帛が風に翻る。


 ふと、彼女は何かに気付いて翔ぶ。


 軽やかな身のこなしは、その衣や麗々しい容貌と相まって、まさに仙女もかくやという風情である。

 洞窟の入り口らしき物を見つけて、彼女は口を開いた。


「……こんな所に洞窟が……」


 あり得ないとは思うが、念のためとばかりに彼女はその中に入っていった。

 中は思ったより広い。

 入り口から更に飛び降りる。軽功の使えぬ者であれば、到底出入りできそうもない洞窟だった。

 ぐるり目をやって、矢張りいないか、と振り返ったとき、彼女は剣が地面に突き刺さっているのを見つけた。そして、そのすぐ傍に……。


「――!!」


 水たまりだらけの洞窟の中、その刀剣は錆びた様子もなく、鋭利な輝きを放っている。


 一目で名剣と察せられた。


「この剣の持ち主ですか。さぞや名のある方だったのでしょうね」


 その剣の傍に伏す遺体は、氷に覆われている。それは、その遺体が飄族の者である証であった。龍浄湖に沈まず、死んで暫くするとこのように「氷化」するのである。この氷は、一度結すれば、溶けることはない。どんなに高温の炎熱に包まれようとも。ただ、衝撃を加えると容易にバラバラになる。


 ちょうど、隆族が死すればその身が忽ち炎に包まれ、遺体を残さないのと同様に。

 

 この不思議な現象は、この国では、飄•隆の両族のみに現れる。その所以は、死を晒さぬ事よりも、重要なのは死んだあとの身体を遺さぬためである。


 体に神の血を引く両族の遺体は、妖魔や魔族から狙われやすい。その血も、肉も、食らえば力を増幅するという。また、魂を移し換える能力を持つ者にとっては、最高の器にもなる、という。


「無念にもここで果てられたのか、それとも敢えてここにいらっしゃったのか……」


 一人、問うように呟く。そのすぐ傍の岩に、何かが書き付けてあるのを見つけた。剣で刻み込んだのだろう。随分と荒れた筆跡だった。

  

  知音を喪いてより、

  彼の仇敵を討たんと欲するも、

  既に死すれば如何ともする無し。

  荒忽こうこつとして、此の絶境に至る。

  星霜、剣を極めたりと雖も、

  誰が為に揮うべけんや。

  声を発すれど 答応無く、

  杯を上ぐれど 対酌する無し。

  に悲痛の極みならざらんや。

  ――我、将に……

  

 文字はそこで途絶えていた。最期まで書き切れなかったのか。或いは、書かなかったのか。それも矢張り、分からぬことだ。読み終えた彼女は、その蒼の瞳を見開く。


 そして、気付く。同様に、天井に刻み込まれた無数の字や、図に。


「まさか、――これは……」


 明敏な彼女は、すぐにそれが何かを察した。それは、剣の奥義を記した、――剣譜けんぷであると。

 初めて見るものだったが、中には見覚えのあるものもあった。

 恐らく、ここに眠っていた人物が遺したのだろう。


「眠りを邪魔して申し訳ございません。これも何かの縁、葬って差し上げましょう」



 ――彼女の名を、飄柳雫ひょう・りうな、と言った。









――――――――――――

間違えて非公開にしてしまっておりました(・_・、)

なお、今話に出てくる彼女は別の作品の主人公です。(カクヨムでは現在公開しておりません)

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碧涙~碧血双傳【上篇】~ @xiaoye0104

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