(七)
皇師と正面から対峙した芝蘭は、やや後方に控え、将達にそれぞれ指示を出していた。
現在、防戦一方である。皇たる脩軌が来たことで、士気が上がったのだろう。否……士気と言うには、随分と負の感情だが。
脩軌は、民を恐怖でもって統治している。退けば罰せられる、負けてもやはり罰せられる。そこに待つのは死。生きるためにはただ、勝つしかないのだ。彼らの目の異様なぎらつきを見るにつけ、芝蘭は胸が苦しくなった。
芝蘭は、ちらりと、敵の背後へと目をやる。
――まだか、
嶷城を取れば、前と後ろから、皇師を挟撃にできる。
だが、ことはそう容易ではないだろう。山道にも伏兵が潜んで居るはず。それを打ち倒しながら進まねばならないのだから。
その時、前方でどよめきが上がった。なんだ、と目をこらした芝蘭は目を疑った。
脩軌が、前線に出てきたのだ。
城内ではなく、こちらだったか。
芝蘭は、その可能性も勿論、考えていた。否、むしろ、その方がこの男らしい。
この男も男で、戦が愉しいのだ。放たれる弓に頓着せず、大刀を引っ提げて騎乗し、こちらに向かってくる。
そして、口を開いた。
「居るんだろう。芝蘭――俺と戦え。まさか、怖じ気づいたりしないだろうな? 俺が殺してやるからさっさとかかってこい」
脩軌の言葉に、芝蘭もまた、大刀を手に進み出た。
「殿下、」
景元が、受けてはならない、と首を振った。
通常、あり得ない申し出だった。だが、芝蘭が、それを受けない訳がなかった。芝蘭は景元に視線をやり、脩軌に視線を戻した。
「――怖じ気づく? まさか。願ってもないこと。先日の続きと参りましょう、叔父上」
「殿下!!」
にらみ合った両者は、どちらかが倒れたときが、戦いの終わりの時と、理解していた。
脩軌の大刀は、華やかな装飾の施されたものだ。派手好きの脩軌らしいが、大刀の中で最も重いとされる。その重い刀身による斬撃は、単純に斬るのではなく、叩き斬る、というのが正しいだろう。だが、それを脩軌は、軽々扱う。一方、芝蘭のそれは、実戦を重視した、端正な大刀だ。
脩軌と芝蘭は、同時に動いた。
凄まじい打ち合いが始まった。
どちらも必殺の勢いで放たれる斬撃。その剣気は、離れていてもひりひりと焼け付きそうな程、激しい。
突き出した脩軌の大刀を、僅かに首をひねって避け、揮う。打ち合っては離れ、斬っては離れ、めまぐるしく剣戟が交わされる。
「そんなものか、それでは俺には届かんぞ、芝蘭」
「叔父上こそ。もうお疲れなのでは? そろそろ年なのですからお体を厭われては」
「――ふん。お前に心配される程の年ではないわ」
既に両者とも、互いに傷を受け、至る所から血が流れていた。が、真紅に燃え上がる両者の瞳の炎は、ますます激しく燃え盛り、いっこうに引く様子はない。互いに悪態を吐きながら、お互い、心中、相手の腕前を認めざるを得なかった。
どちらが勝つか。勝敗は、全く見えない。五分五分の戦いが続いた。
「――!!」
不意に芝蘭の肩を、何かがかすった。
だが、もはや、その程度では、麻痺して殆ど何も感じなかった。
ただ、目の前の敵を――脩軌を討つ。それだけを考えて、芝蘭は大刀を揮った。が、その視界が不意に歪み、眩暈がした。
その、一瞬が、仇となった。目前に迫った脩軌の攻撃を、まともに食らい、芝蘭は落ちた。
そのまま、突き刺そうと迫る刃を、地面を転がって避け、芝蘭は、脩軌の馬に斬りつけた。馬は前のめりに倒れ、脩軌もまた、落馬した。そこへ立ち上がった芝蘭が、大刀を突きつけた。
「――終わりです、叔父上」
言って、留めをさそうとしたとき、またも視界が歪んだ。ふらついた芝蘭を見るや、脩軌は足をかけて芝蘭を引き倒し、その腰の刀を抜いて首筋に突きつけた。
「殿下!!」
「動くなよ、……――形勢逆転だな、芝蘭」
荒く息を吐きながら、脩軌は嗤った。
「くっ……」
「莫我の暗器にやられたんだ、どうせ永くない。残念だったな」
「――!」
合点がいって、芝蘭は唇を噛んだ。先程肩を掠めたもの。それは、どこかに潜んでいた莫我の暗器だったのだろう。毒が塗られていたか。
自分も終わりか、思ったとき、不意に脩軌は何かに気を取られ、芝蘭から目を離した。芝蘭は身を捩って脩軌の腹に蹴りを入れ、怯んだ隙に、取り落とした刀を拾うや否や、脩軌を貫いた。それは、脩軌の鎧を砕き、過たず、心の臓を貫いた。
「――!! 芝、蘭……き、さ、ま……ぐっ」
どうっ、と。重たい音を立てて、脩軌の身が大地に倒れた。
一方、嶷城を攻めた冷伯達は、伏兵も殆どなく、当初の予想よりも大幅に早く、嶷城は落ちた。飄州旗を嶷城に掲げ、清叔と冷伯は、方向転換して、前にいる皇師の軍勢に奇襲を仕掛けた。
後方と油断していたところに、突然攻撃を受け、陣は崩れた。
そこへ冷伯と清叔が猛攻を仕掛けた。敵の混乱を察知した景元もまた、前面から責め立てた。脩軌が芝蘭を仕留める直後で気を取られたのは、その皇師側の兵達の狂乱する声だったのだ。
倒れた脩軌の首を切り落とし、荒く息を吐いた芝蘭は、刀を地面に突き刺し、首を掲げた。
「暗君・脩軌は死んだ!! この、章皇が長子、琅芝蘭が討ち取った!! ――戦は終わりだ!!」
大地を揺るがす、声が上がった。――鬨の声である。
割れんばかりの声を聞きながら、芝蘭は、笑った。
笑って――その場に、倒れた。
「殿下!!」
近づいてくる気配。跫音が聞こえる。皆が、口々に声をかけてくる。だが、声にならない声が漏れただけだった。
「殿下!!」
「けい、げ……」
芝蘭は、口元だけで微笑んだ。近づいてくる気配を感じて。
「冷伯」
無茶をするなと言われたのに、こうなってしまったのだから、やはり無茶をしてしまった、ということなのだろうか。
馬の音がしたかと思うと、冷伯の声がした。
「芝蘭!! 莫迦芝蘭!! しっかりしろ!! ――こんなになりやがって……!!」
はは、と芝蘭は思わず、声に出して笑った。まだそれだけの力は残っていたのだ、と自分で驚く。
「……すまん、……やっぱ駄目だな……お前が、……居ないと……」
「ったりめーだ。だから……言っただろうが。……お前の暴走、どうにかできんのなんて、俺だけだろうが……!!」
「……ああ、お前が居たから俺は、安心して無茶もできたんだ。――すまん」
にこり、血の気を失った顔で、微笑む。
「お前は、本当に……だった、よ」
は、と冷伯は息をのんだ。幽蘭を頼む、小さく芝蘭がいう。だが、その言葉は、冷伯の耳を通り過ぎた。
「――芝蘭?」
その瞬間、紅い、明い炎が、芝蘭の全身から燃え上がった。
「芝蘭!!」
狂乱する冷伯の腕を、清叔と景元に押さえられ、冷伯は叫んだ。
「――おい、芝蘭、ふざけんじゃねーぞ。―――っ。これから、これからだろうが!! 死ぬなんて、許されるとでも思ってんのか!? ―――――芝蘭!!」
忽ち炎は芝蘭を燃やし尽くし、その刀のみが残された。
震える手が、何かを求めるように、その灰の散った地面の土を掴む。が、それは敢え無く粉々に砕けて、散る。
ふと、芝蘭に手渡された薬の包みと同じものが目に入った。芝蘭のだ。中は空だった。芝蘭が飲んだのか。飲んでも効かなかったのか。或いは……冷伯は崩れ落ちた。
「の……大馬鹿やろう……!」
静まりかえった戦場に、慟哭の声のみが響いた。
やがて、雨が降り出した。
しとしとと降りかかる雨は、まるで、天もまた、悼んでいるかのようであった。
――若き英傑の死を。
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