11 水の書
彼はまた、4つの石の力のことを、それぞれ違う紙に書き留めておきました。
それがこの世界に現存する、炎の書、水の書、光の書、闇の書なのです。
それらはすべて、レフィエールの名を受け継ぐ者のもとにあることでしょう。
日のあたらないセドルの街に、それはいた。
純白の羽を休め、暗い湖のほとりに佇んでいる。ただそれだけで絵になるような、美しい光景だった。以前ならもっと頻繁にこういう光景は見られただろう。
ふと、彼はその白く美しい顔を上げる。何色ともいえない瞳が、暗闇でただひとつの光のように煌いた。まるで、何かを感じ取っているかのように。
そのとき、彼の額にある角が、ポトリと落ちた。
「気をつけろ・・・相手はあのネガサスだ」
ラクスが、レンの隣で言った。
まさかここまできて黒の堕天使に遭遇するとは思っても見なかった。眉をしかめながら、2人は、殺すわけにはいかない、と思った。
ペンダントの統合が出来ないじゃないか。ラクスが弓に矢を番えながら、ごくりと唾を飲み込む。レンは、剣は出さなかった。代わりに気を纏い、精神力を一気に高める。
ふと、そのネガサスに目が釘付けになった・・・なんだろう、見覚えがある。もしかして、いやそうだ、あれは・・・。
「ルシア・・・!?」
レンの多彩色の瞳が、大きく見開かれる。間違いない、こいつは昔、兄を襲ったことのあるルシアだ。
「何だ、知っているのか?」
目だけ動かして、ラクスが切羽詰まったように尋ねた。しかしレンは無視して、目の前の鼻息荒い黒の堕天使に向かってゆっくりと近づき、なだめすかすように話しかけた。
「・・・ルシア、こんなところで何をしているんだ?君は・・・錯乱しているのか?」
「レン、危ないぞ!」
彼女のレンに対するぎらついた視線を警戒して、ラクスは大声で言った。途端に、ルシアは咆哮を上げ、地面を蹄で叩いて大きな音を立てた。それにも構わず、レンはのんびりと(少なくともラクスにはそう見えた)話しかけている。そして、彼は今にも暴れそうな彼女の顔に右手を添えた。そして左手でたてがみに触れる。
「落ち着いて、大丈夫だから。俺をよく、見つめてみて。ゆっくりでいいから、落ち着いて。怖くない、俺達は君の敵じゃない。傷つけたりしないよ・・・」
その時、レンの胸元にあるペンダントの白い石が光りだした。それは強く、周りを巻き込んでいき、ラクスが眩しくて目も開けられなくなった時にそれは起こった。
一瞬、白い石がルシアの鼻先に触れた。
這い出した時には、すでに夜の帳が下りていて、寒いと感じるほどだった。おまけに、ものすごく喉が渇いている。でも、体力はそんなに減っていないかもしれない。一体どのくらい気を失っていたんだろう?もし炎天下の中に放り出されていたら、明らかに死んでいた。下が砂で、上に防御壁があってよかった。
いつの間にかやつの身体から出てきた槍の切っ先が、そばにあった。それですでに屍となったやつの背を突いてみる。やった、硬い。節から節までを切って、腹との境目で切り離した。それを2回、3回と続けた。これを持って行こう、きっといい値段になるはずだ・・・そうすれば新しい槍が買える。
ふと目に付いたものは、なにやら古い本のようなものだった。開いてみたが、あたりが真っ暗で何もわからない。いいや、町までたどり着いてからゆっくり見るか。
やった、明かりが見える。レストアまで、あと少し。立ち上がって、残る力を振り絞って、全速力で走り出した。全身の痛みや荷物の重さなど、何も感じなかった。
入り口が見える。懐かしい町が見える。においが示してくれる、それは自身の故郷であると。安堵と嬉しさがどっと溢れ出てきて、顔が緩んだ。
・・・水、水が欲しい!それに、空腹だ!
そう思った瞬間、彼女はレストアの入り口にいて、ありがたいことにそばに井戸があった。そうだ、昔からここには井戸があった・・・純粋で邪心の全くない地下水が。さっそくそばの桶で水を掬い、直に喉を鳴らして飲んだ。ただの水がこんなに美味しいなんて、何年ぶりに思っただろう。
一息ついて、金が全くないことに気付いた。
苦笑いをして、立ち上がった。どうせ今の時間帯なら酒場が開いている。案の定ドアを開けると、色々な人がいた。砂漠の民の格好をした人が幾人かいて、商業都市から船で来たような人が何人か取引ついでに飲んでいるようだ。マスターは、突然の来客にふっと顔を上げ、きょとんとした顔で大荷物を持った女性が誰かを確かめると、途端に笑顔になった。
「ああ、アーシャじゃないか!ここ最近ずっと見てなかったけど、元気かい?」
馴染みのある店内のすべての客が、いっせいに彼女の方向を向いて懐かしい顔を見た。話しかけられたアーシャは、空いているカウンター席へ歩いていき、抱えてきた荷物をドサっと地面に下ろしながら言う。
「ええ、おかげさまで元気よぉ」
店長は、それじゃあいつものだね、と陽気に呟き、赤ワインをグラスに注ぎながら、声を潜めて言った。
「どうだい、ラライや王都の様子は?」
「・・・こっちも、おかげさまで前と全く変わってないわねぇ。今はアルジョスタ主要メンバーが探し物中なのよ。それより、これ見て」
アーシャは、さきほど獲た大ムカデの硬い皮をカウンターの上に全部上げた。数えれば、全部で6つ。
「・・・こりゃあいい品だ。盾の材料として売ればいい値がつくぞ。それにしてもよくやったな、あれを倒すのは一般人では到底無理だ」
アーシャはにやりと笑って、こう言った。
「協力があればこそ、なのよん。仲間にも分けてあげよう・・・色んな場所で色んなものを探そうと頑張ってるから」
店長からワインを受け取り、アーシャは一口飲んだ。そして、何かおつまみも、と言う。あいよ、と店長は答えてから、背中を向けて彼女に聞いた。
「ほう、また何でだ?」
「・・・重要事項だから教えられないの、ごめんね。そういえば、夕方、ここを少女が訪れなかった?」
「少女・・・か?うーん、少女・・・」
店長は、怪訝な表情をして考え込んだ。そして、はっとした表情になると、手をパンと打ち鳴らした。
「来たぞ、確か、黒髪を二つに分けくくって・・・緑の瞳だ!」
間違いない、アミリアだ。アーシャの口調が急に鋭くなった。
「・・・その子はどこへ行ったの?」
店長は彼女の剣幕に少なからず驚いたが、あわてて返事をする。
「あ、ああ・・・華折の方から来たから・・・えぇ?華折?まさか、いくらなんでもあんな少女が華折なんてことはないだろう・・・」
「ありがとう、店長。お代のかわりはここにおいていくから」
えっ、と店長が顔を上げたときには、防具の材料になるはずのムカデの皮が顔めがけて飛んできたところだった。そして、ドアが乱暴に閉められた音が聞こえた。
「全く、あの子は・・・とんでもない物を置いていっちまったな、これじゃあおつりが出るよ。まあ、有り難く貰っておくとするか」
店長は、苦笑いしながら最高級の防具の素を見つめた。
誰かに自分の名前を呼ばれて振り返った彼女は、一瞬我が目を疑うかのような驚愕の表情を見せ、次には大きなため息をついてがっくりと俯く。次に見せたのは安堵の表情だった。
「よかった・・・」
その一言だけしか、言えなかった。
あ、そうだ。アーシャは思い出す。
「そうそう、私ムカデの下から這い出した後にこんなもの見つけたんだった」
彼女が取り出したそれを見て、アミリアは息を呑んだ。
「こ、これ・・・」
「えっ、これがどうかしたんですか?」
「・・・水の書だよ、アーシャ」
1冊目、見つけた。
「シアン、マゼンタ、早急に用意してくれ。俺たちに直接かかわってくる重要なことだ。決して、抜かりのないように頼む」
「御意、リューズ様」
「承知いたしました」
跪いた男女二人。どちらとも流れるような蒼髪。どちらとも、あの海を思わせる深い両眼をたたえている。片方は、邪魔なのだろうか、長い髪を後ろで一まとめにしていた。そういえば珍しく、今日は主人が愛用のローブを着用していない。いつもは見ない草色の適当でシンプルな上着だ。
「・・・あの方のための、探し物だ。失敗は・・・許されん」
4つの海が、リューズのどうとも言えないような表情を見上げた。
そうか、この人はまだ、求めているのか。あの少女・・・いや女に商業都市イリスで引っ掛けられて、1年。ずっと、彼女のことを想っていたに違いない。
彼が彼女に好かれたくて、自分の性格を改善しようとしていたことは、シアンもマゼンタも知っている。その表情を見れば、十分分かる・・・いや、今はそんなことを考える時ではない。
リューズが、後ろを向いた。頼む、と背中で言った彼を一瞥し、蒼い二人は一瞬でその場から消えた。
「だから、俺は役に立ちたいんですよ・・・アミリア」
風に乗って消えていった言葉は、果たして誰かの耳に入ったのかどうかは分からずじまいだった。
「ああ、みんな、目が覚めたか?」
引き戸がスパーンと開いて、普段着のアセラが、男たちが雑魚寝している寝室に入ってきた。たった今起床し、しばらくぼんやりとしていたユウジは、いかにも乱暴な戸の開け方に体をびくりと震わせて音のした背後を振り返る。
「なんだ詰まらん、お前だけか」
アセラは、あまり面白くなさそうに言った。何しろ、先日自分が地面に組み伏せられた相手なのだから。
「・・・起こした方がいいのか?」
「いや、かまわんユウジ。そのままにしておけ。それはそうと手伝ってもらうぞ」
ユウジ、タカシ、ここではまとめてしまうがその他3人は、彼らが帰ってくるまでの間待つことにした。色々なことを手伝うという条件つきで、宿代はタダになった。唯その手伝いは肉体労働ばかりだったけれど。
アセラは、ユウジを宿の外に連れて行った。
「今日はこれ、本日の仕入れを店の中に全部、ここにあるものを全部だぞ、運んでくれ。あと、それからうちの雑魚どもの飯作り。お前料理できるんだから、使わないともったいないしな」
ここは、言うまでもなくラライの宿だ・・・少なくとも表向きは、だが。地下に、家のないアルジョスタの隊員が生活している。家を持つ者は、ラライの町に住んでいる・・・といっても、ラライ全体が全て隊員のようなものだ。
ユウジは、大きな酒瓶の箱をよいしょっと持ち上げる。思ったより重たい・・・連日の重労働で筋肉が悲鳴を上げた。
こういうとき、女はいいよな・・・などと思ってしまう。こんな重労働なんてしなくてもいいんだからな。生憎だが、サラもユリカも料理が出来ない。飯係と称されたユウジの、大量の食事を作るアシストをしてもらうには、いささか不安なのである。
・・・だから、いつも一人で大量の食事を作っている。アセラは他に仕事があるし。他の隊員もああ見えて何かと仕事があるし。ガルシュ小隊長と、料理の出来ないサラ、ユリカは救護係にまわされているし。タカシも料理が出来ないから重労働係だ。
ああ、いつ帰ってくるんだろうな・・・4人だっけ。
そう思った瞬間、頭上で何かが羽ばたく音がした。
漆黒のパンドラは蓋を捨てる 久遠マリ @barkies
★で称える
この小説が面白かったら★をつけてください。おすすめレビューも書けます。
カクヨムを、もっと楽しもう
カクヨムにユーザー登録すると、この小説を他の読者へ★やレビューでおすすめできます。気になる小説や作者の更新チェックに便利なフォロー機能もお試しください。
新規ユーザー登録(無料)簡単に登録できます
この小説のタグ
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます