蛍火
彷徨っていた。一人ぼっちで、走って、屋台の間あいだを抜けて、走って、たくさんの人の間をすり抜けて、走って、人混みからやっと外れて、走るのをやめて、息をついて空を見上げる。
自分がどこにいるのか、もうわからない。ただ、ずいぶん遠くまで来てしまったのはわかる。屋台の列はかなり長く続いていて、見たところ全部のぞいて見ているだけで2~3時間はかかりそうな感じだ。
・・・一体何が悪くてこんなことになったんだ?
気を取り直して初めて、自分に真っ直ぐに問うた。何でこんな夜遅くに家を飛び出したんだろう。
考えてみる。
・・・・・・何でこんなところに来たんだろう?
蛍火
満天とはいいがたい星空、人々のざわめき、屋台からのいい匂い。周りには低めのビルが立ち並び、大通りは一夜限りの歩行者天国になっている。
「ああ・・・」
なんだか自分が情けなくなって、何度目になるかわからないため息をついた。弟と親と自分の些細な喧嘩で家を飛び出した自分。当てもなく人ごみの中を彷徨っている。夕飯も食べずにここまで来たので腹が減ったから何か食べようとても残念ながらお金はない。
「どうしよう・・・・・・」
途方にくれて、見上げたかとて何かくれるわけでもない夜空を仰ぎ見た。流れ星が流れるわけでもない。ましてやそれが“喧嘩をなかったことにしてほしい”という願い事を叶えてくれるわけでもない。
もともと自分はそういうおまじない的思考は聞き入れない主義だ。やったからといって、叶うわけがない。以前やったことがあるが、叶わなかったという前例があるからだ。周りを見ていても叶ったためしがなかった。大体、流れ星が流れる間に3回も願い事を言えるかっつーの。
くだらないことをかんがえながら、その辺を歩いていた。後ろを振り返ると、ちょっと高いくらいの丘があって、たいしたことのない低いビルだらけの街に暗い影を落としている。なんでも、蛍がまだいるんだとか。小学生が、3年生ぐらいだろうか、4~5人が自分の横を走って通り過ぎた。そんなにここは綺麗な街だったか?心の中で思ってみた。水が綺麗で、カワニナとか言うやつがそこにいないとだめなんだっけ。蛍の幼虫はカワニナが主食なんだと。
と、不意にあたりがざわめいた。人々は皆、夜空を見上げていた。「うわっ、でっかい流れ星」と、そばにいた小学生ぐらいの男の子が大きな声を上げる。見ると、夜空を銀の矢が横切って、長い尾を引きながらちょうど後方の丘の方向へ落ちていった。
ちょっとまて・・・普通の流れ星と比べればかなり長い時間だ。
なんだ、今のは。いい加減首が痛くなってきたので見上げるのをやめて考えた。大きく見えた先端、長い尻尾。再び上を見上げると、星の流れた跡がまだ青白く光っていた。
願った奴いたんじゃないのか?あれだけ流れた時間が長ければ誰だって3回ぐらい言える・・・いや、こういうのは信じない主義だったじゃないか自分は。
でも、確かにあの丘に落ちた。
・・・一度行ってみたらどうだろうか?
光るものは人を引き付ける。
丘には、走って大体3分で着いたと思う。何があるのか?何故ここにあのでっかい流れ星が落ちたんだろうか?
草の上をさくっと踏みつけ、一歩一歩丘の中心部に向かって歩いていく。この先に何があるのだろうか。この世界に残された数少ない蛍の住処に。余談だが、この丘には山のような要素もある。低木があらゆるところに生えていたり、何気に樹齢80年ほどにもなるでかい木もあったりするから、何が起こるかわからない。丘としては規模も決して大きくはない。
・・・光っている?
何メートルだろう、先に青白い光が見えた気がした。いや、幻か・・・いや、違う。
何かが光っている。
「・・・・・・蛍?」
ひょっとして、そうではないかと思って思わずつぶやいた。そして、光の見える茂みの向こうにがさがさと音を立てながら回った。
「・・・・・・何?」
――驚くことに、答えが返ってきた。
浴衣姿の少女?自分と同じような年ぐらいだ。彼女の周りには蛍が無数に飛び交っている。まさか青白く光っては・・・いない。その子はちょうど1匹の蛍に手を差し伸べていたが、入ってきた者の姿を確認すると、その手を引っ込め唐突にこう言った。
「・・・蛍って、ここらじゅうにいる光る虫のこと?」
いきなりだったので、戸惑って発した言葉はわけがわからなくなった。
「え・・・・・・えっと」
「・・・あたし、蛍って言うんだ」
これも唐突だった。
「・・・・・・」
何も返せない。しっかりとしたまなざしと、蛍のようにすぐに消えてしまいそうなオーラに押さえつけられたように。
「・・・あなたは?」
優しいまなざしが、自分の瞳とぶつかり合う。彼女へ、こう答えた。
「・・・準」
「もしかして迷子?」
ひょっとしたらと思って聞いてみた。毎年、夜店屋台が並ぶ日にはたくさんの迷子が出る。いなくなったわが子を探す大人を、ここに来る途中で何人か見た。まあ、帰ることができる確立は100パーセントだが。彼女は、くすくす笑って言った。あたりにはさっきと変わらない、蛍がたくさん飛び交っている。幻想的で、かつ消えてしまうさびしさのオーラが2人を包んでいる。
「やだ、そんなわけないじゃない。あたしやあなたぐらいの迷子を捜してる大人なんて一体この世のどこにいるのよ」
「まあ・・・それもそうだけど、でも、なんでこんなところに――」
「ちょっとした事情でね」
そこで、はっと準はさっきの出来事を思い出した。
「蛍はさっきの流れ星と何か関係あるのか?」
蛍は、彼から目をそらして1匹の蛍に手を差し伸べた。差し向けられた手のひらに舞い降りる蛍。そのまま手のひらの中で静かに点滅する。
「この蛍って・・・あたしと似てる。流れ星とも・・・似てる」
「・・・流れ星と関係あるのか?」
「・・・ただ似てるだけだよ」
蛍はそう言って、準を再び見つめた。
「・・・な、何?」
「ねえ準、せっかくだからここら辺なんか紹介してくれない?」
お金なんてない!と準が言ったら、蛍は浴衣の袖から財布を取り出した。見たところそんな厚みはなかったのに。
蛍は、2人分のりんご飴を買って1個を隣の準に渡した。相変わらずものすごい人ごみで、人波に逆らって歩いていたためあやうく蛍がもって行かれそうになる。
「大丈夫か?」
準が彼女の腕をとっさにつかんで引き戻した。蛍はこくりと頷き、ありがとうと言い、さらに続けた。
「端っこのほうに行こう」
はぐれないように、手を繋いだ。人の波に逆らって、また歩き出す。
と、金魚すくいの前で蛍が立ち止まった。つられて準も立ち止まる。
「・・・ねえ準くん、ちょっとこれやっていい?」
「いいもなにも、蛍自身ののお金だろ」
「じゃあいくよ、見ててね・・・」
蛍は店番のおじさんに300円渡した。そしてしゃがんだ彼女が掬い上げようとする金魚たちは、水槽の中をあっちへこっちへ泳ぎ回る。準が見ていると、こういうのは苦手なのか水を引っ掻き回すばかりの蛍が赤い金魚を1匹を掬い上げた。が、水分を多く含んだ紙はあっという間に中心から裂け、金魚は水しぶきを散らして逃げた。紙の残りはもうほとんどない。
「あーっ、逃げた・・・」
少し笑いを含んだ落胆の声を上げ、蛍は器をおじさんに返した。おじさんがやはり笑いながら聞く。
「金魚はもって帰るかい?」
「あ、ください」
ビニール袋の中に入れた金魚は、くるくる泳ぎ回っていた。そして、りんご飴も食べたのに、蛍はまた綿菓子の屋台の前で立ち止まり、今度は若い店番の兄ちゃんに話しかけた。
「すいませーん、綿菓子ひとつお願いしまーす」
「はいよ、ちょっとまってね」
準の手のひらに蛍の手の感触が伝わってくる。別になんていう仲でもないのに、何か優しい気持ちになれる。蛍はそういう子なのかもしれない。ただ、この不思議なオーラが一体何なのかはわからないが。彼は気になって隣の彼女に聞いてみた。
「・・・なあ、蛍はなんでこんなところに来たんだ?」
それを聞いて彼女はさらっとこう答えた。
「・・・ただ来たかったから来ただけだよ」
そして今度は蛍が綿菓子を食べながら屋台列を2人で抜けていった。
「ありがとう、今日は楽しかったよ」
ひととおり歩き回って、2人は近くの公園のベンチで休んでいた。
「・・・うん」
「そういえば・・・準くんはなんでこんな人ごみの中にきたの?人ごみ嫌いそうだけど?」
「・・・・・・」
確かに人ごみは嫌いだ。夜店なんて、もともと好きじゃなかった。夏だし、暑いし。でも、今回はどこにも行くところがなかった。公園なんて場所は、人がいない。だから余計不安になってくる。だから・・・人ごみならこのほとぼりが冷ませると思った。いつもと違う、自分の慣れないところなら、自分を見失っても見つけられた・・・
そうだ、見つけられたんだ。蛍、いやあのときの流れ星が自分を見つけ出してくれたのかもしれない・・・
「何で?」
蛍が、準の顔を覗き込んでいた。
「あっ・・・ごめん」
「何で謝るの?準くん何もしてないじゃない」
「いや・・・聞かれたこと忘れてて自分のことしか考えてなかった、さっきは」
それを聞いて、蛍は小さなため息をついてこう言った。
「・・・流れ星って、準くんにとって何だと思う?」
「・・・流れた星だろ?大気圏に突入した宇宙の塵が落下してくるって言う――」
「ちがうよ。そういう意味じゃなくって」
準は、自分の考えていたことと、直後に流れ星が人々の頭上を流れていったときのことを思い出した。
「・・・願い事を信じるとか信じないとかの意味?」
「そう。準くんは・・・あたしが」
蛍は言いかけた言葉を飲み込んで、頭を振って、違うことを話し始めた。
「・・・今ね、準くんを探している人がいるよ。準くんがここに来た意味が・・・」
「・・・っ、俺――」
蛍は、準が言おうとした言葉を遮って言った。
「わかってる、準くんのことはわかってるの。だってあたし、ここにはもともといなかった」
蛍は続ける。
「でも、準くんは、ちゃんとあたしを見つけてくれた。もう一回言うけどあたし、ここにはいない、存在しない。でも、いるでしょ・・・ただの・・・あたし、こんな風になるとは思っていなかった、幽霊みたいなやつ」
準にはやっぱりわからなかった。
「じゃあ、蛍のあの手のぬくもりはなんだったんだ?嘘か?幻か?ちがうだろ。俺が保証する、あれはちゃんとした人の手のぬくもりだった」
「・・・準くんはわからないと思う・・・もうすぐあの人たちが来るね・・・流れ星って、やっぱり何か不思議な力を持ってるのかな?あたしが丘の上を浮遊してたら、それがあたしに当たったんだよ・・・そのときに何かが起こったんだよ・・・」
「・・・・・・」
準にはわからないかもしれない。その通りだ。理解できないし、信じたところで何もおきなかった。目の前の蛍はどう見ても人間だった・・・とても一晩の虚像なんかに見えない。
と、そのときだった。
「ーっ、準ーっ?」
準の耳に、自分を呼ぶ母親の声が聞こえた。
「あ・・・・・・」
「ほらね、来たでしょ。あたしは、準くんがあたしから離れていくのが見える。だから、この金魚をお願いね・・・あ、そうだ」
「・・・っ、蛍、何言って?」
声が聞こえる。おにいちゃーん、と、弟が呼んでいる。
「何かお願い事はない?」
蛍は、準に聞いた。準を呼ぶ声がだんだん近くなってくる。
「準ー?そこらへんにいるのー?」
もう準には理解不能だった。蛍が今しがた言った言葉だけが頭蓋骨の中に響いて反響していた。
「・・・っ、蛍・・・どうしても一緒にいられないのか?」
「・・・え?」
「願いは・・・今日の夜に初めて会った人が幽霊じゃなくて、一緒にいられたら・・・いや、一緒にいたい・・・これから」
蛍は、さびしそうに笑った。金魚がいるビニール袋を準に手渡す。
「・・・言われなくても、透明なままそばにいるよ、でも・・・準くんは見えないものばかり気にしないで、幸せになって・・・ほら、あなたを迎えに来てるから・・・この子達をよろしくね、あたしだと思って・・・」
「蛍!?」
・・・大丈夫、そばにいるから。
見ると、準は手に金魚の袋を持っていた。
そして、蛍はいなくなっていた。
夢じゃ、ないんだよな・・・?
「準!どこに行ってたの?心配したのよ・・・」
「兄ちゃん・・・ごめんね」
準は後ろを振り返った。
手にした金魚の入った袋が、真実を語っていた。
そして、あの流れ星は嘘じゃなかった。
蛍の手のぬくもりが、今も自分の手の中に残っているから。
また、どこかで会えるかな・・・?
いや、今度は現実で・・・。
準は、水槽の中の2匹の金魚に向かって想った。
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