漆黒のパンドラは蓋を捨てる

久遠マリ

焚き火日和(執筆時中学一年生)

冬のトンネル




辛いことは忘れよう、笑顔で生きよう。


きっと自分は解放され、報われる。






ある晴れた日の昼下がり。


テスト勉強に疲れたあたしは、自転車で外に出る。


しばらく走っていると、近所の中学校が見える。本当なら今頃あそこでたくさんの友達と過ごしているんだろう。


「緑が増えたなあ・・・」


なんだか、ここの所あたしの抱いているジェラシーと緑色がちょうど比例しているかのように増え続けているのだ。


羨ましい。知っている子達と勉強できて、部活もできて。私学に行っているあたしと公立のみんなとの間には見えるようで見えていないシャッターが降りている。でも、あたしにはそのシャッターがどんな風に降りているかも、その厚さがどのくらいなのかも見える。


坂を下る。ブレーキはかけない。風に吹かれるのが好きだから、と言えばみんなはどう言うだろうか。今見えるのは、あたしの向かう方向にある中学校の校門から 大勢の生徒たちがぞろぞろと・・・テスト1週間前なんだろうな、同級生たちは私なんか目 もくれずに進んでいく。あ、あたしとの間に距離が開きすぎたんだ。悲しいかな、それは今この瞬間の 見てのとおりのこの距離であり、彼らとあたしの今の関係でもあるのだ。


とまらない。坂をいたずら半分にスピードを出して走ってしまった・・・ブレーキが利かない!やばい、前に校門を出てきた男子学生・・・・・・!!


ききいいいぃぃぃぃっ


間一髪で間に合った。その男子学生はびっくりしてあたしを振り返った。


「すいませんっ!」


「あ、高橋奈緒」


ふとなぜか違うことを考えた。さっき思ったシャットアウトされた・・・関係って・・・何?


自分が何を考えているのかわからなくなって、あたしは口を開いた。


「・・・川田君じゃん」


あたしは自転車から降りて、歩き出した。


「へえ、久しぶり」


「早いねえ、テスト?」


「そうだよ」


「あたしも」


「・・・今回はやばいな。特に数学が・・・」


テストの話なんか面白くない。そこであたしは意地悪して、こんな質問を投げかけてみる。


「ねえ、すきな子とかできた?」


・・・とみるみるうちに彼の顔が赤くなった。


「・・・・・・・・・」


「ねえ、教えてよぉ、ねぇ!」


「・・・いるよ、彼女が」


「えーっ、どんな子?かわいい?」


「・・・うん」


「そっかあ・・・」


幼馴染の川田哲哉。結構ルックスもよくて結構いい男・・・“結構”という言葉が合うのはなぜか。彼女ができたらしい・・・ちっ。


いちおう狙っていたんだけどなあ・・・。


「藤田直美っていうやつ」


「ふーん・・・」


「でも最近気になるやつができちゃってさ」


「なにそれ、二股じゃん」


「・・・・・・そうなんですよ」


「・・・それは誰?」


「そこまでは言わない」


普通はそうだろう。


「お前こそどうなんだ?」


「何、お前こそって」


「好きなやつはいるのか」


「・・・あのね、うち女子校」


「え」


「吉田とかから聞いてないの?」


「聞いたけど・・・教えてくれなかった」


「じゃあ何であたしに聞かなかったの・・・」


「忘れていた」


「・・・ばかだね」


 あたしたちは橋の上に差し掛かった。


「川の水また濁ったね」


「ガキのころよくここで遊んだよな」


「・・・うん」


「まだ幼稚園とか小学生のころにさ」


今あたしたちはお互い知らないところで、暮らしている。あらためて思い知らされた。



「じゃ、こっから別々だ。またな」


橋を渡りきったところで、彼が言った。


「ばいばい」


川田君にはまたいつか会えるといいな。あたしは軽くなった気持ちでそう思った。そして、彼の質問を上手くはぐらかしていた事に気づいた。






「奈緒ー、最近どお?」


「期末テストがあったよ」


「遅いじゃん」


「私立だからねえ・・・」


今は夜10時だけど、久しぶりに元・同級生の友達から電話があった。


「そっちはどう?」


「別に。特に変わったことは・・・あ、ある!川田君がなんか知らないけどいじめられてるの」


「え?」


・・・何もなさそうな顔していたくせに。そう思えばあいつ結構いじめられそうかも・・・また“結構”ってついた。似合うなあ、この単語。


「うん。何か最近彼女以外の見慣れない子と一緒に帰っていたって、噂になっていて。彼女泣いて、それに怒った女子や男子が団結していじめてんの」


それってあたしじゃないか。その彼女以外の人ってあたしじゃないか。


「あ、大丈夫だよ、あたしは何も手ぇ出してないから。ねえ、聞いてるの?奈緒さっきから沈黙してるけど」


「いや、それって誰だろうなーって」


「あ、そっちキャッチホン入ったみたい。変わっていいよ」


プッ


誰だろう。


「もしもーし」


「・・・高橋?」


弱々しくなった低い声が聞こえてきた。明らかに・・・


「川田君?」


「・・・お前のせいだよ。俺がいじめられてんのも、みんなに誤解されてんのも・・・あの時お前さえいなければよかったんだよ!」


ブッツン


ツーッツーッツーッ・・・


ピッ


「モッシー、奈緒?・・・あれ?」


「ごめん、また今度ゆっくり話そうね。じゃ」


「えっ、ちょっ・・・」


ブツッ


何、なんだよ。


彼の言葉がショックだった。あれだけ言って切ってった。なんだよ、それ。ふざけんなよ。  


全部あたしのせいだと!?


 明日は土曜日だから、無理やりでもあいつン家に行ってやる!!


 そう思ってばさりと布団を頭から被った。






変な夢を見た。


川田君がいる。元・同級生もいる。そしてみんなあたしを見ている。


あたしは崖に必死でつかまっている。落ちそうだ。でも、誰も助けてくれない。それどころか・・・みんな笑っている。


川田まで笑っている・・・畜生!!絶対一人で・・・






這い上がってやる、と思ったところで目が覚めた。


本当に落ちるかと思った。それ以上寝る気がしなくなり、ふと時計を見ると朝8時だったので起きた。


行ってやろう、川田のうちへ。






午後、あたしは川田のうちへ手ぶらで行った。


インターホンを押す。「はい」やっぱり弱々しくなってしまった彼の声がする。


「いれてよ、川田君」


「・・・高橋か」


「いれるの」


「・・・・・・どうぞ」


広く開けたドアの中からは昔何回も行った懐かしい川田家のにおいがした。でも、もうあのころは戻ってこない。あたしたちはこんなにぎこちないことなかったのに。



「昨日はごめん、あんなこと言って」


「・・・いいよ、もう」


彼の部屋はあたしの部屋と違ってすっきりしていた。あたしの部屋も片付けたほうがいいかもしれない。入る前は何か結界が張られていたような気がした。何か世間とかけ離れているような、独特のものが。


「つらいよ、俺・・・」


「・・・・・・」


「なんでお前と喋っていただけなのにいじめられなきゃいけないんだよ・・・」


「・・・・・・」


「俺、何も悪くないじゃんか」


「・・・みんなガキなんだよ」


あたしは意識的に彼のゆううつの言葉を打ち消した。こんなの、誰だって聞いていたくない。


「あのさ、2週間待ってみて、それでもいじめが治まらなかったら学校休んじゃいなよ」


様子を見てみる―――2週間だけ学校に行き続ける。つまり、あたしは川田に登校拒否を進めたのだ。


「そんなの親にばれる・・・いじめられていることが」


「いいんだよ」


そのときはそのときである―――あたしはそんなことを考えた。でも言わなかった。


「で、勉強は」


「・・・・・・」


困った。本当に困った。


「学校行かなかったらついていけなくなる。どんどん先に進んでいくんだろ」


「・・・あたしが教えてあげよっか」


「へ?」


「ほら、あたしの学校私学だし、教科書進むの早いでしょ?もう2年生の教科書なんだ・・・それに今週中で学校終わるし・・・暇だし」


「いいの」


「いいよ」


「・・・迷惑じゃない?」


「ううん、全然。あたし帰ってくんの早いし」


「ありがとう」


そう言って彼は少し笑った。久しぶりに見た彼の笑顔だった。結構美形かも。そして、それはこれから彼の身に起こる事を打ち消したいと彼自身が願う笑顔でもあった。






奈緒は、哲哉の言葉を聞くたびにゆううつになっていく感じを覚えるようになった。


「今日なんか置き勉していた教科書全部ゴミ箱に捨てられていてさ・・・拾ったら自分がごみ扱いされるし、休み時間に屋上に呼び出されて藤田直美のことも分かってやれとかって殴られるし・・・ほら見ろよこの痣」


 あと3日、我慢すれば・・・あたしはこんなこと聞かされなくてすむんだ、後3日の辛抱・・・


「聞いてんの?見てんの?さっきからぼぉっとしてさ」


そういう声で問い詰めてくる気持ちは分かるのだけど、無視していたくなる、排除してしまいたくなる。


「・・・・・・・・・」


「お前まであいつらの仲間かよ、そそのかされたのかよ」


「そういう風にネガティブに物事を考えるからいじめられるんだよ」


「・・・・・・なんだよそれ」


「聞かされるほうの事も考えてよ。そういう人ってあたし排除したくなる、無視したくなる」


「何だよ、ふざけんなよ」


「勝手なこと言うなよ」


「勝手なこと言ってんのはお前だろ」


「もうここ来ないから」


「なに考えてんだよっ」


そう叫んで彼は手を上げた。 奈緒は、ぶたれると分かっていた。それでも顔をそらさなかった。


バシイッ 歪んだ表情の中に、ためらいが見えた、辛さも見えた、そして彼の目には涙が浮かんでいた。  


奈緒は何も言わなかった。


「なんで・・・なにも・・・いわないんだよぉ・・・」


ああ、今彼は疲れきっているんだ、ストレスがたまっているんだ、精神状態が不安定になってしまっているんだ。


哲哉はその場に立っていた、涙が頬を伝い落ちていった。 そして激しく震え始め、体操座りになって袖に顔をうずめ、しゃくりあげて泣き出した。


「ごめ・・・たかは・・・し・・・さ・・・きは」


「・・・・・・・・・・・・」


奈緒は彼に近づいた。そして、彼の肩に腕を回した。


「もう、忘れちゃいなよ、全部、何もかも」


 哲哉はまだ涙を流しはしていたものの、静かに奈緒の肩にもたれかかった。






学校は嫌いだ。


いじめられる、無視される、いじめられる。


今日行ったら机が廊下に出されていた。


なんでここまでされなくちゃいけないのか。


自分がいったい何をしたって言うんだ。


勘違いもいいところだ。






息ができない。目を開けると青い背景が見える・・・自分は今、ゴミ用の青いポリ袋に顔を突っ込まれているんだ・・・


このまま死んでもいいかも。


半分うそ。でも半分は本当。


苦しいんだ、俺は。


遠のいていく意識の中でそう思った。






「おい、おきろ!授業中に居眠りすんな!」


「先生、ほっときましょう、こんなやつ。昨日予習しすぎて爆睡しているとこですから」


「それはともかく・・・おい、おきろ!」


気絶していることを教師は気づかなかったのだ。


本当に今、奈緒がいてよかったと思う。正直、俺は予習をしている。


「で、ここはX=2、Y=4。聞いているの?連立方程式はちゃんとやっとかないと」


「ああ、ごめん」


彼女はこんな俺にかまってくれている。奈緒はいま春休みだけど、本当は忙しいじゃないか、と思う。そんな奈緒が俺は可愛くて。


自分自身がこんなことを思うのもどうかと思うが。






冬はそろそろ終わるだろう、そして絶対に春が来る、俺の部屋にも。


  だがその考えは甘かった。



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