学校



今日1日で哲哉は学校を去ることにした。今日を何とか過ごせば、これで学校に行かなくてすむのだ・・・






哲哉は玄関に立った。


「じゃ、行ってきます」


「行ってらっしゃい」


靴紐を結ぶ―――かばんを背負う―――そして玄関の戸を開けたその時。


吐き気がした。目がくらくらする。前が見えない―――


学校に行きたい、いや、行かなければ。行かなかったら逃げたみたいでかっこ悪いじゃないか。


めまいと吐き気がいっそうひどくなる。だめだ、こらえて学校に行かなければ―――


だが、そう思えばそう思うほど病状が悪化していく。


もう、だめだ―――


こらえ切れなかった。哲哉はその場に嘔吐した。


「哲哉!?」


涙が出てくる。


哲哉はその場にかがみこんで、胃の中のものをポンプのように吐き出していた―――






方角を誤ったら、軌道修正すればいい。自分ひとりでできなかったら、近くにいる誰かに助けてもらえばいい。


道しるべなんてないけれど、必ず開けた場所に出ることができるから。 そこで自分が歩んできた道を振り返るのもいいかもしれない。あなたは自分にとって本当に大事なものを忘れていない?






「・・・俺もうだめだわ」


奈緒が来て勉強しているとき、哲哉はこぼした。


「・・・・・・・・・」


「でも今日で終わりだろ?もう行かなくていいんだろ?お前の言ったことによれば」


「・・・終業式に行ってこなきゃ」


「なんでまた自分からいじめられに行くようなことしなきゃいけないんだよぉ・・・」


「辛いけど、しんどいけど、がんばって行きな」


「また今日みたいになるのかなあ」


「大丈夫、弱気になってどうするの」


「そんな・・・誰でも弱気になるよ」


「で、親はこのこと知っているの」


「いや、まだ話してない」


「哲哉、入るわよ」


そこで哲哉の母親が紅茶とケーキを持ってやってきた。


「どうぞごゆっくり、奈緒ちゃん」


確か哲哉は・・・紅茶が苦手だったはずだが。奈緒は思った。


「・・・だから俺は紅茶じゃなくてコーヒーだって毎回言っているのに」






哲哉がいじめられるようになったのはなぜか?あたしは考えてみた。


確かあの時、衝突しかかったあたしと喋らなかったら彼はいじめられずにすんだのかもしれない。


ということは、あたしはあの場所にいるべきではなかったということだ。


でもそんなこといえない。


これはあらかじめ道しるべの立てられていた運命というトンネルではないのか。


でも、諦めてはだめだ。


明けない夜はないという。いつか降っていた雨も止み、蒼い空がのぞいて太陽の光がまぶしい時が来る。


時は来る。遅くても、長い年月が流れても、諦めなかったら、必ず。






ケーキは程よい甘さで奈緒の口にあった。でも哲哉は甘いものが苦手なので・・・ちょっと手をつけただけでやめている。


不意に、哲哉が聞いた。


「高橋、お前って好きなやつとかいるの?」


「だからあたしは女子・・・」


「そうじゃなくって、元同級生の中とか。前質問したけど・・・お前すっぽかしたからさあ」


「・・・・・・いるよ」


「えー、誰?」


テーブルの反対側にいる奈緒に向かって体を乗り出してきた。


「・・・どうしようかな・・・教えてあげようかなあ」


「教えてくれよ」


「でも無理だ。諦めな」


「もしかしてそれって俺?」


奈緒は一瞬ビクッとしたが、


「自信過剰」


言い切った。


「えー、でもお前顔赤いぞ」


「ひいっ」


しかも奈緒のそばに移動してきた。


「・・・そうなんだろ、そうだって言えよ」


「・・・・・・・・・・・・」


「俺見ろよ」


さっきまでふざけ気味だった哲哉が急に真剣になった。


「・・・・・・・・・・・・」


無理だ、そんなの。ただでさえ。


無視してやる。


「・・・無視するなよ、奈緒」


さらに肩に手を置いてきた・・・


「・・・・・・・・・・・・」


哲哉が奈緒の顔を覗き込んだ―――奈緒と一瞬目が合った、でも奈緒は目をそらした。それでも哲哉は彼女のそらした目の奥を見つめている。


「・・・あのさ、実は俺は・・・好きだけどな、お前がさ」


「・・・・・・・・・・・・」


奈緒はびっくりして彼を見つめた。目の奥が合ってドキドキしたけど、がんばって見つめていた。その状態がしばらく続いた。


不意に、奈緒は見た。哲哉の目の奥にある何か強い意志のようなもの、何かに打ち勝つ気力、そういうたぐいのもの。


 そらしたかった。一刻もはやく。


 だから、言った、本当のことを。


「・・・あたしも・・・好き、だよ」


彼の表情が緩んだ。


「わかった」


「あ、でもさ、彼女いたんじゃなかったの?」


奈緒は思いついたように目をそらして言った。すると、哲哉はこう言った。


「もうあいつは好きじゃない」


「二股解消ですか」


「うん」


と、不意に哲哉が甘えるみたいに抱きついてきた―――






「でさ、どうなったの?川田とは」


友人の小夜子から電話がかかってきた、今は夜10時半。


「そういうこと」


いちいち説明するのが面倒なので、適当に言い切っておいた。


「あー・・・はいはい。で、奈緒ちんは川田の家行くの、毎日」


「うん。まあ、前からだけど」


そこでふと言った小夜子の言葉。


「いじめって、こわいよねー」


「・・・・・・うん」


いつか自分も川田みたいになるかもしれない。奈緒は思った。






奈緒はある意味で俺より不幸なのかもしれない。


俺は見たとおりいじめられている。原因はあの時俺が奈緒といたせいだけど、藤田の本当に腹が立っている人間は奈緒じゃないかと時々思う。


奈緒に横取りされた、絶対にそう思っている。


でも奈緒がそんなやつらに負けるはずがない。あいつはガキのころから強気の持ち主だったから、いざここに転校してきても大丈夫だろう。






俺は今から終業式に行く。






吐き気なんてしない、この教室の前に立った今も、玄関で靴紐を縄のようにかたく結んだときも。


奈緒がいるから。


バアンッ  


教室のドアを足で開けてやった。


「えええ、来たし!」


「うわっ、浮気男が来た」


「おいこら、けんかでも売りに来たのか馬鹿」


「なんか言えよ弱虫」


 ・・・なんてガキっぽいこと言うんだろう。


「終業式だけ出席しに来た、それでいいだろ」


「よくねえよ、俺らにストレス解消させろよ」


斉藤が絡んできた。はき捨てるように言った。


「教室の壁でも蹴っとけよ」


「・・・んだとこらぁ」


声変わり真っ最中のブッコワレタ声でそんなこと言っても効き目なんてほとんどない


「・・・っはははは」


「何笑ってんだよ、ふざけんなよっ」


「ひひひ・・・黙れ、チビ」


「馬鹿にすんなよ何言ってんだよ」


「くくっ・・・同じことばっか言ってんじゃねえよ大馬鹿野郎」


「ちょっとさっきから何ほざいてんだよ、直美の方まっすぐ向いてやりなよ」


 藤田と仲のいい近藤が言った。言われたとおりに向いてやった。


「向いたけど、何か」


「謝りなよ」


「何を」


「浮気してたこと」


藤田は硬直している。俺のことなんか好きじゃないっていう眼で探るように俺の眼を見ている。


「馬鹿言え。俺はその前から二股かけてたんだよ。自分の本当の素直な気持ちに気づいただけだ」


 本当のことを藤田の前で言った。奈緒がいる、だからこういうことも平気で言える。


うわっ、最低―、何考えてんのこいつ、などという罵声が飛んだ。直美は俺から眼をそらした。


「二股とか最低じゃん、はやく謝ってほかの二股かけてた奴と別れろよ」


「何でお前に指図されなきゃいけねえんだ よ、タコ」


「だまれっ」


 そういって近藤は手を上げた。


 また張り手かまされんのかよ、と思いつつ近藤の手をつかんだ。そして今度はこっちがブッ叩いてやる、そう思って本能的に頬をぶった。


  バシイッ


・・・ものすごい音がして近藤はその場によろけて座り込み、止めるまもなく泣き出した。


「・・・何すんのよお、川田」


武内が立ち上がったが、俺はそれも蹴り飛ばした。太っていたので蹴りにくかったが、そいつは机と椅子を倒してその場に転げて、これまた体勢を整えたと思ったら泣き出した。


「けっ、女なんか相手になんねえ」


 俺はそういい残して自分の席に着いた。


 もうまわりなんか気にしない。俺は俺を貫き通す。


 今やクラス中が俺を見ていた。


「おい、まだこれで終わったと思うなよ、川田」


おもむろに口を開いたのは俺をいじめ続けてきたボスの倉田だった。






・・・俺はここから逃げない、奈緒がいるから。



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