怒り



哲哉はもういじめられなくなった。


何故、と聞かれればこう答えただろう。


俺には飽きたんだよ。


そしてこう付け加えただろう。


犠牲が出たんだ。俺の大事な人が。


そして何故犠牲にしたと聞かれればこう答える。


それは運命なんだ。


何故それを止めなかったと聞かれれば、こう答えただろう。


道徳の教科書を読めば止めるのはいいことなんだ。


でもそれは俺らにとってルール違反なんだ。


先生には言わなかったの、と聞かれたらこう言っただろう。


ここは大人の出る幕じゃない。


そう、間違ってもこういうところに無神経な大人は出てきてはいけない。


例えば、教師とか、親とか、近所のお喋りなおばちゃんとか。








新学期、奈緒は重苦しい気分で学校に行った。


哲哉のことを考えている、そんな自分がいやだった。


クラス分けの時も、そのことを考えていた。


男の新担任が決まって話をしているときも、耳に入らなかった。しかし次の一言が奈緒の耳に入った。


「あー・・・それから、高橋。これが終わったらちょっと俺のところに来い」


はっとした。焚き火事件が発覚してしまったのだ。


うかつだった。もっと気をつければよかった。


それと同時にものすごい怒りがわいてきた。さらに担任は続けた。


「お前、他校でなんかやらかしたらしいじゃないか。焚き火。何でそんなのする必要があるんだ」


煮えたぎった怒りのスープの中に落ちていったような気がした。気がついたときには叫んでいた。


「何で、なんであたしばっかり攻められなきゃいけないの。何も知らないアホな大人にこんなこと・・・っ」


教室中が沈黙した。みんな奈緒を見て口をポカンとあけていた。


この世のものすべてに、腹が立ったような気がした。


「もういい。やめた、やめてやる。こんな学校居たって絶対に面白くない」


奈緒は机の中に入っていたもの全部、投げ込むようにしてかけてあったかばんの中に放り込んだ。教室の隅のハンガーから上着を取った。


「もう二度と来ません、さようなら」


振り帰って言ったキメの捨て台詞も決まった。奈緒はドアを思いっきり足であけてバアンと大きな音をたてて閉めた。反動でドアが開いたけど気にしなかった。気にしたくもなかった。


あとには担任と生徒たちが取り残された。








腹が立つ。いったいどういう理由であたしはここに―――?


家の前に来ていた。あたしはどうしようか迷った。今日は始業式だから早く帰ってきても別に怪しまれないが・・・


哲哉は帰っているだろうか、ふと考えたがすぐに打ち消した。


裏切り者。邪悪な単語が脳裏をよぎった。


仕方ないから川岸にでも行っとくか。


そう思って春の気配丸出しの甘いにおいのする川原にひざを抱え込む形で腰掛けた。


いい風、この暖かさ、この景色。


なんだか川の水が透き通ったような気がする、でも錯覚じゃないだろうか。


あたしはこんな風景を日常生活の中でうっかり見落としていたような気がする。


騒動のことで気が休まるどころではなかったからな。


哲哉もそうなんだろうか。みんなそうなんだろうか。


学校をやめたらあたしはあの地獄の学校に行かなければいけない。


「高橋」


今不意に飛び込んできた少々遠慮がちな言葉も無視してしまうくらい慌てふためいて、もがいていたんだろうか・・・・・・


「おい・・・お前なんでこんなところにいるんだ」


そうだ、あたしは何でこんなところにいるんだろう。ここで何をやっているんだろう・・・・・・


「・・・無視してるんじゃねえよ」


そうだ、今なんで一人の男を無視してるんだろう・・・・・・え、無視って。


「・・・哲哉」


「だから、お前何やってんだ、こんなところで。学校は」


ちょっと懐かしい響き。その時見た結構な顔―――あたしは言葉を全部吸いとられてしまったように、返す言葉がなくなった。


「奈緒」


本当に・・・あたしは・・・こんなところで・・・何をやっているんだろう?


「・・・あの日さあ、俺・・・裏切った、よな。ごめん、でももうみんなとは仲直りできて・・・な。うん」


すまなさそうに話す彼が本当にかわいそうに思えた。


「それに俺は―――」


「ごめん、みんなあたしのせいだ、哲哉がいじめられたのもあたしのせいだ、自分を追いやったのはあたし・・・」


止めるまもなく涙があふれてきてしまった。


「奈緒・・・」


「あたし・・・何やってたん・・・だろうね、今まで・・・何と闘ってきたん・・・・・・だろうね・・・」


「俺の家行こう、今すぐ。何があったか聞きたい、奈緒のことだし」


「うん・・・うん」


彼は半分抱きかかえるようにしてあたしを連れて行ってくれた。そのぬくもりがあたしを強くする。








「で、何があった」


哲哉は奈緒に尋ねた。


「・・・焚き火」


「は?」


「焚き火してたことがこっちの教師にばれて・・・呼び出し食らったから全部荷物もって学校飛び出してきた」


「・・・・・・なんで」


「だって、誰もわかってくれないんだよ」


「そんなの喋ってもないのに分かるかよ」


言ってしまってから哲哉はしまったと思った。


「うん、そうだけど・・・・・・・・・」


素直な奈緒が何処となく可愛く見えた。哲哉はそのまま抱きしめてしまいたくなった。


「奈緒・・・・」


哲哉は隣にいた奈緒の肩を思わず抱き寄せた。


「・・・もうあたし学校なんて行かない」


するとそういって奈緒は哲哉の首に抱きついてきた。


哲哉は答えずに、奈緒をよりしっかり抱き寄せた。


奈緒はそこで顔を上げた。哲哉の憂いに満ちた目が覗き込んでいた。


かまわず目をそらして、奈緒は哲哉の胸の中にもたれかかった。彼の腕の中にいると、今まで起こった出来事が洗われていくような気がした。








奈緒は俺たちがいる中学校に転校してくることが決まった。


やっぱり彼女の学校にばれたのがいけなかったのだろうか。でも焚き火したぐらいじゃ退学にはならないんだから、やっぱり奈緒が決めたことなんだろう。


そわそわした教室の雰囲気が哲哉にとってはありがたかった。


何人かが立ち止まって話しかけてくる、それが哲哉を安心させていた。


奈緒が来てもずっとこのままであったらいいのだが。


「なあ、今日って転校生来るんだろ、どんなやつか分かるか」


頬杖をついてぼぉっとしている哲哉に倉田が話しかけた。倉田は今哲哉のまん前の席だ。


「知らねえ、でも女だってことは知ってる。直樹、狙ってるんじゃないのか」


「あぁ、まあ、ちょっと気になるだけだよ」


奈緒がそんなに気になるってか。哲哉は心の中で思った。本人が来たら実際どういうことになるのか。


「みんな気になってるみたいだぜ」


「・・・そうか」


奈緒はここでやっていけるだろうか。今の壊れた心じゃどうにもならないかもしれない、その可能性はある。


「おっそいなあ・・・もうホームルームの時間だろ、担任まだかよ」


「さあ、また遅刻してんじゃないの」


こんなお喋りにも耳を傾けることができる、前はそんなことはおろか生きるだけが精一杯だったからできなかった。


「あーあ、もう・・・サボりてえよ。こんな担任じゃ学級崩壊なんて簡単だぜ」


倉田が言ったときから廊下でばたばた、うわあと音がしていた。


「え、こっちですかぁ」


「早く早く、ただでさえ遅れているんだからぁ」


「はいぃぃっ」


変な声にクラス中が眉をひそめた。


「あの野郎・・・また寝坊じゃねえだろうな」


「さあ、知らない」


ばたばたばたと近くで音がして、教室のドアがガラッと開いた。


「はあ・・・はぁ、すまん、遅れた、寝坊だ、転校生がいるから・・・紹介する、高橋奈緒さん」


ゼエハア言いながら教師は教卓について、後からはあはあいいながらついてきた奈緒の方を見た。制服がばっちり似合っている。


倉田が哲哉を振り返った。哲哉はそ知らぬふりをして窓の外の青い空を見ていた。


奈緒は自分を紹介し始めた。


「おい、哲哉、あれあの時の小生意気なやつじゃねえか」


「知っている」


倉田は奈緒に視線を戻した。奈緒は自己紹介を続けている。


「えー・・・ここで本当のことを言います」


え。


「実は、私はある事情のためここの学校で焚き火をしました。そのことが前いた学校にばれて、私は非常にキレて自分から強制退学させてもらったんです」


哲哉はあっけにとられた。


「親は猛反対したんですが、私は無理やり押し切りました。事情も知らない無神経な大人や同級生は私嫌いなんです。事情あってやったことですし、その時私は人を助けたんです。自分が犠牲になって」


奈緒はさらに倉田に目を移して続けた。


「でも何も後悔していません。私は悪いことをしたとは思っていません。以上、何か質問は」


なかった。奈緒はそこで初めて哲哉を見た。哲哉はポカンと口をあけていた。


奈緒がにやりと笑った。これまたクラスともども教師もあっけにとられていた。彼は奈緒に突然話しかけられて飛び上がった。


「ないんですね。それじゃ、先生、席は何処ですか」


「えっ、ああ・・・窓際のあそこ」


教師は一番後ろに座っていたぽっかり空いている哲哉の隣の席を指した。


「分かりました」


奈緒は通学かばんをブンと肩にまわしてかけるとそのまま教室をバシッと切断するように真ん中を通り抜け、右折して哲哉の右隣の席にドンと荷物を置いた。


ちょうどその時彼を見たら、かなわない、という目で窓の外の海と空の境目に目を向けたところだった。

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