10 ドラゴンとペガサス
「・・・・・・っ!」
彼は息を呑んだ。相手が、さらに詰め寄ってくる。思わず、後ろに後退していく。それを繰り返すうちに、誰も気づかないようなところへ追い詰められた。
「どうした、どうした?一国の上官ともあろう貴様が、俺みたいなのに対してはそんなのか?」
褐色の装束をまとった男は細長い指で、自分と近づきすぎたと悟った彼の頬に触れた。
「う・・・・・・っ」
セナイがびくりと反応した。男は楽しそうに笑い、続ける。さらに彼の耳元に唇を近づけ囁く。
「・・・ふん、そんな反応をしてもおかしくないだろうな。その性格をアミィさんに買われた貴様だからこそ――」
「や、やめろ・・・!」
彼は密着した体を自分の腕で弾いて相手の腕中から逃れた。いまやセナイは、影のような、それでいていつもとは違うネチネチしつこい男の存在に怯え、顔を歪ませていた。
・・・あの女騎士アミリアの言葉が頭を掠める。あの時、あの場所で交わした――
『協力してくれるよね、セナイ=フィルネア。今、あたしとここに居るからには・・・』
気がついたときには、殆ど声にならない声で叫んでいた。
「・・・もう嫌だ・・・っ」
「約束は守るんだろ?そうでないと貴様は・・・」
・・・同時にこの男はセナイにとって仲間でもあった。同じことをしてアルジョスタの傘下に入った友人でもあった。彼の喉元には少しずつ言葉が帰ってきた。セナイは反論していた。
「・・・リューズ、お前も同じだろう。女騎士に同じ手で迫られて私と同じように組織に入ったのだから」
と、男のネチネチした勢いが冷めた。
「・・・・・・まあそれはそうだがな」
「・・・裏の世界にはこういう事しかない。友であるお前が教えてくれた。女騎士の目的も知った・・・」
彼はそこでいったん言葉を切った。ため息をついてから、また話し出す。その額から一筋の汗がつつっと流れる。
「・・・城の中にいて、私は何か強大なものを最近感じている。あの二人がここに来てからは特に・・・」
「・・・それは・・・」
まるで、城の中のエリーの感じ取るものと同じようだった。それは歴史書の中の創始者の声・・・
「アリウル歴史書を読んでみろ、隅から隅まで。そうすれば私の悩みも・・・」
「読んださ、十分・・・お前の言いたいことはわかる」
「怖い・・・何かが起こる」
そんなセナイの胸中を察した男の表情は、どこか切なく相手をいたわるような眼差しに変わり、今度は打って変わって彼の左肩に優しく右手を置いて一言言った。その顔は寂しく微笑んでいる。
「・・・酒、行くか」
彼女は、声の聞こえないそのヴィジョンだけの光景を窓から眺める。次には何を思ったかカーテンをシャッと閉め、ベッドの端に座り込んで今しがた見た光景をじっくり吟味し始める。
・・・順調に行っているかしら。
彼らがどんな関係かは知っている。リューズが極端でどこか変なのも、セナイのリューズへ何故そんな態度をとるのかも。
・・・私は、この世界のことを誰よりも案じているから・・・
・・・彼らを殺さないで、彼らを変えないで。
私の世界を、崩さないで。
私の支えを奪わないで。
憎しみに走らないで。
和を乱さないで・・・
はっと目が覚めた。気がつくと、汗をぐっしょりかいている。
何の声だかはわからない。ただそれが自分を責めているのはわかる。自分が何をしているのかもわかる。わかるからこそ、痛い・・・。
思わず、ジルは唾をごくりと飲み込んだ。あの時のアミリアの言葉が胸を掠め、ミミズ腫れのような焼け跡を残していく。
・・・その脳内で何を考えているのかちょいと知りたくなってね。
いや、間違ってなどいない。彼は思い直した。まず間違っていたのは、自分に恥をかかせたあの純白の思い上がりも甚だしい、ペガサスたちなのだから。復讐ぐらいしたっていいだろう。いいに違いない。
寝るためにほどいた長い漆黒の綺麗な髪が、開け放した窓からの、柔らかな夜風に吹かれてなびいた。いつからだっただろうか、伸ばしはじめたのは。無意識に後頭部に手をやりながら思った。
「・・・ああ、そうか」
思い出して、ひとり呟いた。折った足を、他人の家で過ごしながら治してからだ。誰だっただろう、あの人は。どんな人たちだっただろう、あの親切な人たちは。羨ましかった、あの家の夜のロウソクのオレンジの光と、その暖かさが。
外に漏れ出し伸びる団欒の楽しさと反対に伸ばす髪は、その家の外の影のように黒かった。まるでその時に今後のラライの未来を予想しているかのように。
何百年以上も、昔のこと。
純白のペガサスを連れて、今にも倒れそうな彼は、砂漠の町レストアで地面に突っ伏した瞬間、きらきら光る、ちょうど親指の爪と同じような大きさの石を見つけました。それは見る限りでは水色に光っており、不思議なことに太陽の光にかざすと、たちまち身体が潤っていき、救われたような気がしました。そのとき彼は危ないことに、熱中症になりかけだったのです。
その不思議な石を拾った彼は、黒い髪に、すべての色がその中にあるのではないかと思うような瞳を持っていました。
彼がいたその時代、ペガサスの毛皮がもてはやされ、それをめぐって騒動がおき、各地で貴族が民を従え、さらには暴動が起こり、兵士がたくさん死んでいき、王政はまるで大地震でも直接受けた建物であるかのように、崩れかけていました。
さらに悪いことに、ドラゴン族が放たれたのです。
ドラゴン族は、この世界の人々が手出しをしない限り人を襲うことはありません。しかし、あるとき異国から1人の少女がやってきて、あろうことか大人しいドラゴンを刺激してしまい、以来ずっと暴れまわるようにさせてしまったのです。
ドラゴンが大人しいのは、ある4つの石が彼らのテリトリーの中の一箇所に封印されていたからなのです。やってきた異国の少女は、ドラゴンと戯れていた時に、たまたま傍にあった封印を一目見ました。
少女は、何とかしてあの石を全部手にとって見たいと思い、はめ込んである石を取り出そうとしました。
しかし、やっとその石が取れたと思ったときには、もう遅かったのです。
さっきまで大人しかったドラゴンが、突然雄叫びを上げました。異国の少女は、その声に怯えてその場に立ち竦み、ドラゴンたちが飛び去っていくまで何をすることも出来ませんでした。
彼は、その話を色々なところで聞いていました。実際に繁殖して誕生したのであろう、ドラゴンの赤ちゃんを木立をとおして見たこともありました。
彼は、以前にも何回かドラゴンは放たれたことがあると聞いていました。しかし、盛大に暴れまわっている今回とは違い、どの回も消極的なものでした。
もしかして、ドラゴンが暴れまわるのはペガサスたちと関係しているのかもしれない。ペガサスたちが人々たちのせいで危機に陥った時、ドラゴンたちは人々を襲うのかもしれない。彼は、そう考えました。
・・・今自分が拾ったこの水色の石が、異国の少女が封印から取り出してしまった石の一つであるとしたならば。彼はそう考えて、石探しの旅に出かけました。
彼に潤いをもたらした水色の石が、砂漠の町レストアで。
まるで血のような、火山で生まれたかのような赤い石が、水路の多い大きな町のニースリエで。
黒曜石のようで、しかし怪しく光る黒い石が、違和感もなく王都の一番広い道の端っこに。
乳白色かと思えば透明で、太陽をとおせば七色の光を持っていた、半透明の白いような石が、彼の故郷である、ラライの町で。
異国の少女の軌跡が、そこにはありました。
彼は、それを再び封印に戻すべく、封印のある地へと赴きました。封印をはめ込んでいた土台は、消えてなくなっていました。
そこで彼は新しい土台を木で作りました。しかし、石を再びはめ込んだにもかかわらず、何も起きません。
・・・やっぱり、自分ではだめなのか?
彼は、悩みました。
何かの力を持つ、特定の物でできた土台がいるのかもしれない。
彼は、探しました。色々なもので試し、失敗してはまた作り直しました。どんな形がいいのか、どんな素材がいいのか。そのへんの石で試し、金で試し、銀、銅、鉄、思いつくものはすべてやってみました。
全部、だめでした。
早くしなければ、このままではドラゴンに殺されてしまう人が増えてしまいます。
彼は、途方に暮れて作業場の窓の外を見ました。そこには、自分の相棒のペガサスがいました。
・・・そうだ、あれだ。
目に飛び込んできたものを見て、思わず彼は叫びました。すぐさま外に走り出て、それを手に取りました。よし、これならいけるぞ。
それは、ペガサスの角だったのです。ペガサスの角は、定期的に生え変わるのです。
それが完成した時、ひとつになった封印は眩い光を放ち、それは窓の外はおろか、真夜中の空に飛び出し、昼間以上の明るさを取り戻しました。彼は、ペガサスが驚いて嘶く声を聞きました。
どんなに遠くにいた人も、誰もが、何が起こったのだろうと、光の飛び出した原点の方角を振り返りました。そして、人々はたくさんのドラゴンの羽ばたきの音を聞きました。
ドラゴンたちが、帰っていくぞ。
誰かが、元に戻してくれたんだ。
たまたま、彼の一番近くにいた人は、有名な考古学者で年を取った人でした。考古学者は、今日の出来事を、その出来事にまつわるドラゴンの話、異国の少女の話を、紙に記しました。その紙は考古学者の息子へ、封印の歴史を記すようにという遺言と共に手渡され、考古学者の息子は、またそれを書くのでした。
有名な考古学者の息子達は、ペガサスを傷つけてはいけないと、人々に伝えました。ペガサスを傷つければ、レフィエール家の者がペンダントの力を解き放ち、ドラゴンたちがまた暴れだす、と。
彼は、4つの石の封印の仕方を、紙に書き記しておきました。
彼は、また誰かが封印を誤って解いてしまうことのないように、それをペンダントにして、いつも自分の首に掛けておくことにしました。そのペンダントをつけていると、砂漠に行けば喉は潤い、野宿の時には何もしなくても火を熾すことができて、暗闇では目の前が自然と見えるし、悪いことをしている人の目を一時的に見えなくすることが出来るのでした。
その彼のような黒髪に多彩色の瞳を持つ人々が、やがて純粋ラライ人と呼ばれるようになりました。その彼の名前は、アズベルダ・レフィエールといいました。
ラライで1番の富と名声を持っていたレフィエール家の、万が一の時のために、彼はペンダントの力を分割できるように研究をしました。土台の分割は、1回試しただけで簡単に出来ました。しかし、今度は繋ぎ合わさなくてはいけません。
彼は厄介だと思っていましたが、以外に統合はすんなりいきました。彼は、研究の結果と方法を、また書き記しておきました。
そこで生まれたのが、「分断の書」と「統合の書」なのです。
そして、異国の少女は、いつの間にかこの世界に留まって、子孫を残し、そこで命を終えました。故郷に帰ることもなく。
ペガサスとドラゴンは、おそらくこの世界が始まった時から存在する、最も気高く神聖な生き物。そのうちの一方を、自分は全滅させようとしている。
統合が、出来ないということか。
・・・いや、自分には関係ない。今、分断されているペンダントを持っているのは女騎士と弟なのだから。それに歴史書によると、あれの統合はペガサスの角が必要だとか。
・・・待て、自分に関係ないことなどなかった!
アリウルの民達が危ない。ドラゴンが放たれ、ペガサスたちは元に戻るが、ドラゴンが民達を襲う。当然、自分も襲われる。女騎士と弟が、もしペンダントを統合させれば・・・。
危ない。世界が、危ない。
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