燃やす



迫害されたユダヤ人ってこんな感じだったのかも知れない。いや、もっとひどい扱いを受けていたのだろう。


俺は屋上でただ一人こうやって雲のすっかり切れた青空を見ているだけだ。  


何だっていうんだ、まったく―――






「え、何していたって・・・屋上に上がって青空見ていたって・・・何それ」


「うん」


「・・・まあいいけど、左腕のあざ、何それ」


「机で打った」


「・・・・・・なんだ」


奈緒はかなり心配していたようだ。それは嬉しいのだが、奈緒に嘘をついていると思うと胸が痛む。


「ま、そういうことで帰っていいよ」


「じゃあね」






母はあたしにこんなことを聞いた。


「ねえ、あんたの学校いじめとかないの」


「ないよ」


「・・・公立はあるらしいわよ。やっぱり私立でよかった」


哲哉のことが頭に浮かぶ。大丈夫か、彼は今・・・


「あ、そういえば哲哉君元気、最近会ったの?ここのところあんたずっとどこかに行ってて・・・友達と遊んでるの、そんなに毎日」


「うん」


毎日哲哉のとこに行っているんだよと言ってやりたかった。でもとりあえず嘘をついた。こういうのは、嘘も方便っていうはずだ、きっと。


「会わないの、哲哉君とは」


「うん」




しつこい親だ―――






新学期が近い。


今まで、と言うか春休みの間に俺のところに送られてきた手紙類は全部で30通に上った。


これぐらいあれば焚き火だってゆうにできるだろう。


それらは全部俺の机の禁断の引き出しの中に封印してある。


全部、結構な内容だった。


燃やしたいなあ、全部。






「・・・何これ、このうっとうしいものの山は」


約50通のうっとうしいものを見て、奈緒があきれて言った。


「全部家に送られてきたんだ、しかも全部俺宛」


「・・・どうにかしたくなるね、こんなにあったら」


新学期が始まったが、俺は学校に行くフリをして奈緒の家に行った。奈緒はまだ学校が始まっていないようだ。


「燃やそうか、全部」


俺の考えていたことと同じだ。


「でも、何処で」


奈緒は秘密めいた表情をして言った。


「君の学校で」


「いいな、それ」


「じゃ、決まりだ。行こう」


「うん」






「チャッカマン持ってきているよね」


「あるぜ」


「これだけじゃ少ないからそこら辺の小枝とかちぎれた大枝とかも燃やすよ」


「お、こっちに落ち葉があった。これ秋に回収したやつじゃん・・・まだ残ってら」


2人は材料をかき集め始めた。5分ほどたって、もう十分だと言う量がグラウンドのど真ん中に集まった。


「よっしゃ、後はこの古新聞に火をともすだけ・・・」


何か秘密めいたことをするわけでもない。楽しい、こんなことをするのが。


「点火」


奈緒がにやりと笑って歌うように言ってチャッカマンの火をつけた。


シュボッと音がして、古新聞に火がともる。それを落ち葉とうっとうしいものが混ざった中に投げ込む。


「おお、いいぞいいぞ」


いい燃えっぷりだ。火はあっという間に駆け巡っていった。うっとうしいものが燃え始めた。


パチパチと音がする。


煙が抜けるような青空に舞い上がっていく。


気分爽快。そういう感じだった。


「全部過去に流そう」


「そうだね」


哲哉は空を見上げた。雲なんてほとんどない。


煙が大空に吸い込まれていくところを見るのはなかなか気分がよかった。まるで過去にあった辛いことが波に洗われていくような感じだった。


と、その時だった。


「お前ら何をやっているんだっ」


奈緒が振り向くと、哲哉の表情が凍り付いていくところだった。


哲哉の担任であるはずの教師と、新しいクラスメートたちがこちらに向かって走ってくる。


その中には倉田と近藤がいた。


「あ、あいつあの時川田と一緒に帰っていたやつだ」


誰かが言って、みんなの目が一斉に奈緒を見た。


「どういうことだ、川田。ずっと無断欠席して挙句の果てにはこれか」


「わけがあるからだろ。分かったような口をきくんじゃない」


奈緒が言い放った。


「何だお前は。ここの生徒じゃない者が何をやっているんだ」


「焚き火ですよ。今日寒いし」


「ふざけるな。今すぐやめろ」


奈緒はまだ燃えていないうっとうしいものを取り出して教師に見せた。


「あんたこれ見ても分かんないって言うんだったらあんたごとこれらと一緒に燃やすよ」


哲哉は呆然と見守っている。教師はそれをひったくって読み始めた。


「死ね・・・、人間のくず・・・、川田哲哉・・・、ばかばかしい」


「教師なんだから人の気持ちぐらい分かるよな、それ読んだらどういうことか分かるよな」


そこで奈緒が言った。倉田がつかみかかってきた。


「馬鹿言え、ふざけてんじゃねえよゴミっ」


「やけどするぞ」


奈緒が突き出した火のついた枝が、倉田の肩にかすった。彼は寸前のところで身を引き、怒りの表情で哲哉と奈緒を見据えた。


教師はまだうっとうしいものを見続けている。


「お前はいじめにあっていたのか、川田」


「・・・・・・は―――」


「お前はこっちだろう」


奈緒は呆然とした。倉田がはいと言おうとした哲哉の腕をつかんで自分たちのほうに引き戻した。哲哉は当惑した顔で奈緒を見た。


「・・・戻ってきなよ、哲哉」


奈緒が言った。哲哉は戸惑った、倉田の腕がまだ自分を捕まえているから。


「あ・・・」


「な、もう過去に流そう」


「え・・・倉田・・・」


倉田の目の表情を読み取るのは難しかった。奈緒はもう一度言った。


「戻ってきなよ、何やっているんだよ」


「奈緒・・・」


「お前がいじめの対象になるべきだったんじゃないのか、おい、そこのゴミ女」


「・・・言葉に気をつけろ」


言い放った奈緒が火のついた枝を倉田に向かって放り投げた。彼は身をかわしてそれをよけた。


「哲哉、戻って来い」


「人の男取りやがって。許せねえ、お前。哲哉はもう俺らの仲間なんだよ」


「奈緒・・・」


倉田が独壇場に立って物事を決めている。哲也にはどうすることもできない。その後ろからざわざわと、そうだ、確かに、などの言葉が聞き取れた。


「いいさ、裏切り者。覚悟しろ、みんな」


「・・・奈緒っ・・・」


奈緒は手に持っていたチャッカマンを地面にたたきつけた。カンッという音がして、奈緒はその場から立ち去っていった。


その時。


不意に哲哉は激しい吐き気に襲われた。思わずその場に手をついて今にも吐くという顔をしていた。


「おい、大丈夫かっ」


哲哉は声のしたほうを苦しそうに見上げた。すると、そこには倉田の心配そうな表情が彼を覗き込んでいた。


涙が出てきた。吐き気はおさまったけれど、奈緒を失ったような悲しい気持ちで哲哉はまた泣いた。






 あたしは家に帰って泣いた。


哲哉を失った、そんな気持ちでいっぱいだった。


これからどうなるかなんて誰も知らないけれど、もう―――





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