倉田と近藤
もう後に戻れない、戻れない、戻ることが出来るわけない、戻せない、戻らない、戻ろうとしても無理で。
無理なのに頑張るのが人間だったりする。ねえ、あなたはタイムマシンだなんてまだそんな馬鹿げた事を言っているの?
“You are fool.”
なんてあなたには言えないけれど。
なんであろうが、一度過ぎた時間は絶対に元に戻せなくて、もう帰ってこなくて・・・ねえ、だから思い出なんてのがあるんだよ?
本当に分かっているの?
倉田に話しかけるやつなんてクラス中を見渡しても誰もいなかった。ましてや近寄るものもいなくなった。
こいつらは分かっているんだろうか?この有様を。人間の汚れた感情がそこら辺をぶんぶん飛び回っているのを?
俺、ここで何やっているんだろう。この世界にいるのが煩わしい。うっとおしい。
奈緒ならなんて言うだろう。ああ、早くどこかに行ってしまいたい・・・・・・何かに束縛されているような気がする。倉田か?それとも近藤か?武内か?藤田じゃないだろうな?斉藤、あんなやつに俺が束縛される必要があるのか?どうなんだ?俺っていったいなんだ?
「・・・おい、川田、かわだ!」
「・・・ほえ?」
「どうした、分からないのか?居眠りでもしてたのか?それとも気分が悪いのか?」
前方を見ると、数学教師の高田が俺のほうを向いていた。うっせえなあ、邪魔すんじゃねえよ。別に何をしているわけでもなかったけれど、心の中で言ってみる。よっぽどそういってやろうかと思ったがさすがに遠慮しておいた。
「いいえ・・・あ」
「じゃあこの問題!解いてみろ、ん?」
「・・・保健室行ってきます」
「おいおい、何でだ?問題恐怖症か?解いてから行け!」
「すいません、気分悪いです」
「・・・・・・じゃあ保健委員ついていけ」
こいつ・・・俺のこと小学生だと思ってなめてやがる。
「いいです、一人で行けます」
「いいから、誰かついていけ」
お前は俺を挑発しているのか?それ以上言ったら・・・・・・
「大丈夫ですから、一人で行きます!」
語調が荒くなってしまったが相手は気づいていないようだ。
「お前は俺に逆らう気か!とっとと誰かついていけ、ほら!」
もうだめだ、限界が来た。
「うっせえ、いちいち人の事情に口出ししてんじゃねえ!とっとと授業続けとけよ!一人で行けるってさっきから言ってんだろ!」
ついに俺は切れてしまった。腐ったパンのような顔をした高田と、穴のたくさん開いた石ころのような顔をしたクラスメイトたちを残して自分自身の肉体がドアをピシャリと閉めたのを、俺は見ていた。
じぶんじしんをしばっていたなにかがぶちぶちきれていくおれはじゆうなのかなにかむしゃくしゃするこんどうたちのなかまにはいったからかいいやちがうくらたひとりをのこしているからかいいやそれでもないじゃあなんなんだこれはなにかおさえきれないものがからだのなかをかけめぐるなんなんだほんとうにこれはなんなんだ
頭の中は台風に引っ掻き回されたようにごちゃごちゃだ。ひらがなばっかり出てきて自分自身を読みにくくする。
俺は校門から走り出した。なんなんだろう、何かが・・・何かがおかしくて、何かがしたくて、でも出来なくて。
『点火』
その時、あの時の奈緒の言葉がゴミ箱のような頭の中に蘇った。
そうだ、焚き火だ。
これがしたかったのかな?ひとりじゃなくて、大勢で。
みんなのごたごたした関係を修復できるかもしれない。自分自身の体が、そう考えたときふっと動きをやめた。
焚き火日和。そうだ、この抜けるような雲ひとつない青空、頭の中でイメージしてみる。立ち上る煙、燃え上がる真昼の炎、今日は焚き火日和。
俺は立ち止まって天上を見上げる。吸い込まれていく、蒼い、蒼い空に。
まさしくそうだ。夏の暑い日、じりじり焼ける太陽、それに全く吊り合っていない火の粉。
5月、気持ちのいい暑さだ。今日は焚き火日和。
自分の体がぴくりと動いて学校に向かってまた走りだした。急に走ったためか足は張り、息が荒い。
それでも、俺は走る。メロスじゃないけれど、走る。
俺のために、奈緒のために、近藤のために、倉田のために、武内のために、藤田のために、斉藤のために、みんなのために。
今日は焚き火日和だ。俺は、走る。
教室では教師がどこかに行ってしまって騒然としていた。あたしはぼんやりと耳に入ってくる言葉を頭の中で吟味する。みんな思い思いの会話をしている。
「川田何処行ったんだろうな」
「さあ。保健室じゃないの?」
「いいやあ、なんかあの剣幕だっただろ?やっぱ学校飛び出しているんじゃねえの?」
「あいつの行きそうなところって何処かしら」
「海とか?高田のバカヤロー!とかって叫ぶの」
「あははははは、それ本当にやってたら笑えるね」
「何か別のことやってたりしてな。例えば高田のプロマイド燃やすとか・・・」
斉藤がふとこんなことを言った。
燃やす?燃やすって、焚き火?ばっかじゃないの、こんな初夏に焚き火なんて。
でも本当にどうかしちゃったのかなあ、哲哉。
「奈緒ちゃん」
ふっと思考がさえぎられた。振り向くと、近藤夏樹がいた。当然、立ち歩いている。
「ああ、夏樹?どうしたの」
彼女は倉田の方向を指していった。
「見てよ、あれ」
別に言われて見るような事をしているのでもなかった。彼は頬杖をついて窓の外を見ていた。
「はあ・・・で?」
「変じゃない?あたしあいつ時々チラッと見るんだけど、あ、変なことしているんじゃないかってね、あいつ普段は窓の外じゃなくて机見ているのに」
「さあ、あたし普段見る気もしないからその方向見ないけど」
「・・・・・・まあ、普通見る価値ないよね」
彼女はこのクラス全員に聞こえるようにわざとでかい声で言った。
・・・・・・何かむしゃくしゃする。近藤に?いいや、近藤なんだけど、彼女の中のもっとそれ以外のもの。今近藤に取り付いているようなもの?
あたしは宙を見つめた。・・・・・・焚き火。焚き火?
今日は焚き火日和
哲哉が本当にそれをやろうとしているなら。なら?
蒼い空に、立ち上る煙、輝く炎
ああ、そうなのか?
燃やしたい過去を添えて煙は上がる 天まで
「奈緒ちゃん?どうしたのぼんやりして」
また思考がさえぎられた。
「あ、ううん、ちょっと考え事」
「そう」
近藤はそう答えて自分も窓の外を見つめた。まるで倉田の後を追うように。
・・・ん?
後を追う。後を追うの?あたしは気になって彼女の横顔を見つめる。眼が、彼女の眼が倉田を見ている。
その眼差しは切なかった。何で?ああそうか、近藤は・・・。・・・最初に言い出したのは・・・言い出したのは武内?いいや、違う。
何か、人間の中に、何かが、なにかがいる。感情?いいや、もっと深い。みんなが持っている奥底にあるもの。
ああ、そうかそれだけ人間は愚かな生き物なんだろう。
愚かで、学習性のない、無力で、ちっぽけな。
深呼吸をする。ふうっと、ひと息、ふた息。
飛躍しすぎた脳に新鮮な空気が入る。まだ高田は帰ってこない。
あたしは出来るだけ倉田から離れるようにして窓に近づき、がらがらっとガラス戸を開け放った。
ひゅうっと、涼しい初夏の風が髪を揺らす。気持ちいい。
その時、チャイムが鳴った。
「あ、やったー、授業終わりー!奈緒ちゃん、授業終わったよ」
あたしの耳が変じゃないなら、今誰かに名前を呼ばれた・・・。
「・・・・・・うん分かってる」
「何、どうしたの?」
「今誰かに名前呼ばれた」
「当たり前じゃない、あたしが呼んだんだよ?」
「ううん、もっと遠くから・・・もっと低い声が・・・哲哉!?」
「んなわけないじゃない。行こう?」
さっさと応対を交わして近藤は近くにいた倉田の机を蹴って道を開けさせようとした。が、
「人の机を蹴るな、他通っていけ」
あたしは思わず振り返った。彼女はというと何か毛虫でも見るような目で倉田を見た。
「奈緒ちゃん、何か声しなかった?」
こう答えるしかない。我慢して、言った。
「・・・・・・いいや」
「だよねー、なんかあたしの耳変かな?耳鳴り?倉田に悩まされてストレスたまった?あたし?」
あたしは少し引いた。倉田の顔が歪んでさらに音を発している。
「いい加減にしろ、近藤、お前はもう十分好き勝手やってきたじゃないか。哲哉も、高橋も、ついでに俺も。その前は藤田だって斉藤だって武内だってみんなお前の被害にあっている・・・お前は人の気持ちを分かっているのか?」
ついに彼女は的を射られたらしく、倉田に反論する。
「そんなもん分かんないわよ。分かれって言われたって分からないものはしょうがないじゃない!」
倉田はダンと机を叩いて勢いよく立ち上がった。弾みで椅子が後ろに大きな音をたてて倒れた。
「じゃあお前、お前が俺や哲哉や高橋みたいな目にあったらどうするんだ、え?」
「知らない、そんなやつらほっとくわよ」
「お前ならほっとくですまないだろうが。逆らうやつはみんなこういう目にあっているんだ。いい加減学習しろ」
近藤の顔が怒りで真っ赤になった。
「学習しろ!?学習しろですって!?もう十分学習したわ、あんたより成績いいわよ。これ以上何か言ったら―――」
「黙れ、少しは自分の立場も考えろ」
彼らは火花を散らして口論している。もはや周囲の目は二人だけに注がれていた。チャイムが鳴る。でも誰も気にしていない。
まだ教師たちは来ない。哲哉を探そうとしているのか?それとも哲哉の親に連絡を取っているのか?
「お前はもう十分ここを最悪の状態にして仕切ってきたじゃないか。1年のときも今も」
「それが何だって言うの?あたしは―――」
「これは犯罪と一緒だ!」
「あたしを犯罪者扱いしないでよ。あんただって川田いじめてたじゃない」
「みんなはお前に逆らったらどうなるか知っているんだ」
「別に逆らったらいけないなんて言ってない―――」
「そのいつもの態度は言っているのと同じだ。今の俺のだってそうだ。高橋や哲哉まで巻き込んで―――」
「巻き込んでない。今回は真奈美が川田を連れてきたのよ」
真奈美、が誰だか一瞬分からなかったが、すぐに武内だと気がついた。
「あ・・・あれは、証人なのよ、夏樹」
武内がオロオロして言った。
「お前が巻き込んだも一緒だ」
そして倉田はまだ近藤に食って掛かる。
「なによ、みんなあたしのせい?あのね、勘違いしないで」
明らかに当惑している。でも声はしっかりしていた。
「あたし―――」
「もう言い訳も言い逃れもするな!もう何もするな!お前のせいでこのクラスはボロボロなんだ」
「ええそうよ!どうやったって傷は埋められないのね!今やっと分かったわ!」
「傷がなんだか知らないがもうよせ!クラスの揉め事にいちいち干渉するな!」
「知らないじゃなくて傷は深いんだっつうの!ああそうよ、そうだよ、誰も知らないんだよな、あたしが小学校のときずっといじめられてたのを!そりゃあ小学校卒業してすぐ転校してきたからあんたたちには分かるはずがない!」
あたしがシーンとなった。倉田でさえ驚きの事実に口をつぐんだ。
「そう、毎日上靴がどっかに消えた。あたしの分の給食なんて無視。だから毎月小遣いもらってそれでコンビ二とかで食料買って学校で食べてた・・・ランドセルは今もう燃やされちゃって何処にもない。教科書だって知らない筆跡だらけの落書きだらけになった・・・それを他の人に言ったら余計いじめられるってあたしには分かってた・・・でも余計ひどくなった」
みんな黙って聞いている。倉田は口が半開きだ。彼女は息をついで続ける。
「体育の授業。ドッジボールなんかでもすれば真っ先にあたしが狙われる。まあ、皮肉?それであたしはよけるのも受けるのも得意になったけど。もうあたったにもかかわらずまだぶつけて来る。走ろうもんなら足を引っ掛けられる。トイレに行けばたちまち誰かに捕まってトイレの中に頭を突っ込まされるのよ。しかも、いつも誰かがしたあとだったしね」
あたしは聞いた―――誰かが走ってくる。喘ぎ声も聞こえてくる。誰?気がついたら近藤の話を中断させていた。
「―――誰か来る」
言った瞬間、ドアがバーンと開いて、大声で言われた。
「みんなー、校庭のど真ん中で焚き火しようぜ!」
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