香澄たちの策略とは!?

 ワシントン州 ワシントン大学(部室) 二〇一五年五月一三日 午後六時〇〇分

 香澄たちが今日にサークルを開いた真の理由について、誰も気に止めようとしなかった。むしろ“緊急の用件って一体何だろう?”という、ざわめきが聞こえてくるような雰囲気だ。そんな部員たちの戸惑いを鎮めるかのように、今回部員たちを呼びだした理由を説明する香澄。

「みんな、今日は突然呼びだしてごめんなさい。実は二週間後にみんなで行く小旅行のことで、言い忘れたことがあったの」

「言い忘れたこと? 先生、友達を外で待たせているので手短にお願いします」

少し不満げに香澄の問いかけに答えるエドガー。いつもなら“私は先生ではないわ”と反論するところだが、今回は彼の言葉をさらりと受け流す。

「心配しないで、エド。今度の旅行のことだけど、日程が急遽一日延びたでしょう? それで当初の予想以上に、宿泊費がかかりそうなの。そこで宿泊代として、を新たに集めることになりました。旅費は今度のサークルの集まりで集計するので、みなさんご協力をお願いします」


 香澄から旅費が追加されるという予想外のお知らせを聞き、部員の誰もが耳を疑った。“何それ? ありえない!?”とシンシアとモニカは愚痴をこぼし、“そういうことは、もっと早く言って欲しいですね”と眉間にしわを寄せるエドガーとエリノア。だがここで一気に不満が爆発しないように、

「……みんな! これもすべて私たちに楽しい旅行をしてもらうために、香澄やフローラが考えてくれたのよ」

ジェニファーが香澄をさりげなくフォローする。


 正直エリノア以外の部員達とは、あまり交流がないジェニファー。だがジェニファーは部員の中でただ一人の四年生ということもあり、後輩という立場もあってか、彼女の意見に賛同するしかなかった。ジェニファーに言われやっと納得したのか、それともしぶしぶ承諾したかは定かではないが、小旅行の宿泊代として一〇〇ドルを支払うことが決まった。


 実はこれも数時間前に、フローラ・香澄・ジェニファーたちで密かに決めたこと。本来なら今日はサークルの活動日でないため、急に呼びだしても全員が集まらない可能性が高い。

 そこで彼女たちは旅行の日程が延びたという事実を逆手に取り、宿という名目で部員たちを呼び出す計画を立てたのだ。香澄が憎まれ役を買うことになったが、結果的に彼女たちの目的は無事成功した。


 要件を伝え終えた香澄は“今日はこれで解散にします。急に呼び出して、本当にごめんなさい”と謝罪し、悪気はないことを強調する。そして部室を出る前に、

「――それからエリノア、ジェニー。あなたたちが書いてくれたレポートに間違いが見つかったら、サークル終了後で私の教員室へ来てね。いい?」

教員室へ来るように念を押した。

 なお香澄がこの場であえて“エリー”と呼ばなかったのは、二人が親密な関係であることを、他の部員たちへ悟られないようにするため。


 香澄が心理学サークルの部室を出てから数十分後、彼女の教員室にエリノアとジェニファーが入室する。夜の遅い時間帯ということもあり、教員室には調べ物を終えたフローラも同席している。“こんばんは、失礼します”と一言挨拶をした後、

「それで香澄……どこが間違っていたんですか? 私のレポート」

少し不安げな顔をしながらも、自分のレポート内容の不備を確認するエリノア。


 するとクリアファイルにじてある数枚のレポート用紙を取り出し、“ええ。この文章の表現方法についてなんだけど、もう少し短くまとめられない?“と彼女の間違いを指摘する。同時にジェニファーに対しても、同じ要領でレポートの再提出を求める香澄。


 実はエリノアの提出したレポートには、香澄が指摘するようなミスは最初からなかった。だが“何かエリーとジェニファーを同時に呼び出す口実が必要ね”と考えた香澄は、という名目を作る。今回エリノアへ指摘した件については、強いて言えば完全に香澄の個人的な意見なのだ。


 しかしいじめに関する問題をエリノアへさらに追及すると、二人の関係に亀裂が入ってしまうかもしれない。そこで香澄は、『フット・イン・ザ・ドア』という心理学のテクニックを使った。特徴として、お願いしたい相手に最初は小さな頼みごとから依頼する。そして段々とレベルを上げていき、最後に自分が本当にお願いしたいことを相手に伝えることが出来る。

 今回のケースのように、ストレートに頼みづらい相談や悩み事などがある場合において、最大限の効果を発揮する手法の一つ。


 香澄の思惑通り、エリノアは言われるままにレポートの不備を修正し提出する。悪い言い方をすれば、香澄の手の平で踊らされている状態のエリノア。

「うん、これで大丈夫ね。ありがとう、エリー。お願いついでにもう一つ……私の頼みごとを聞いてくれる?」

「え、えぇ……私は別に構いませんが」

 これでやっと話の本筋に入れる――そう心の中で思った香澄は、エリノアの瞳を優しく見つめる。一瞬身を引いてしまうエリノアだが、すぐに背筋をピンと伸ばす。

「これからお話しすることは、ここにいる四人だけの秘密だから安心して。エリー、あなた同じサークル部員のシンシアとモニカから、そ、その……を受けているのね?」


 ここでまさか自分の身の上話が出るとは思っていなかったのか、背筋を整えたばかりのエリノアの体は身震いしてしまう。とっさに否定するエリノアだが、膝の上にそろえている両手はグッと握りこぶしを作っている。右手首から見える腕時計がプルプルと震え、時折スカートの裾にしわが出来るほど強い力で握りしめる。

「エリー。お願いだから、もう一人で苦しまないで! 私たち、お友達でしょう!?」


 だが中々事実を認めようとしないエリノアに、再度言葉を投げるジェニファー。いじめという陰湿な行いを受け続けて苦しんでいる彼女を、ジェニファーはこれ以上見過ごすことが出来なかったのだろう。

「……ひょっとしてあなたは、“いじめられている事実を認めたくない”と心のどこかで思っているのかもしれないわ。……でもね、エリー。ことは、決して恥ずかしいことではないわ。ほら……エリーには、あなたのことを心配してくれるお友達がいるじゃない?」


 グッと歯を食いしばり言葉に詰まるエリノアを見て、フローラも説得を続ける。その姿は教師や臨床心理士というよりも、娘を心配する母親のようだ。エリノアが苦しむ姿を見るたびに、フローラも心を痛めていたのかもしれない……


 そんな香澄たちの想いがやっと通じたのか、終始無言をつらぬいてきたエリノアの表情に、少しずつ変化が見え始める。そして今までの感情を一気に爆発させるかのように、エリノアの頬は次第に濡れてしまう。そんな細く小さな彼女の背中を、そっと撫でるジェニファー。

『今まで一人でさびしかったのね、でももう大丈夫よ。私や香澄、そしてフローラがあなたの側にいるからね』

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