エリノア・ベルテーヌとの出会い

  ワシントン州 ワシントン大学(部室) 二〇一五年五月四日 午後八時三〇分

 一通りの通達を終えたところで、本日の心理学サークルは終了となる。“一日でも早く雰囲気に慣れるためにも、私がしっかりしないと”と思ったのか、サークル中も積極的に部員たちへ話しかける香澄。

 だがいきなりすべて上手くいくはずもなく、部員たちの反応も様々。香澄の問いかけに、シンシア・モニカたちの反応は今一つで、どこか顔をしかめている。一方で男性部員のエドガーは気さくに返してくれたことから、彼なりに香澄のことを歓迎しているようだ。


 そしてエリノアについては、今のところは軽く会釈えしゃくを交わす程度。またエリノアがジェニファーの友達とはいえ、彼女から見た香澄は初対面の女性。エリノアなりに香澄と接しているようだが、初対面ということを考慮すると多少のぎこちなさは仕方ないだろう。


 良くも悪くもない反応だったものの、“彼女がジェニファーと同じ学科の後輩”であることをふと思い出す香澄。ジェニファーの後輩ということは、去年心理学科を卒業した香澄自身にとっても後輩にあたる。そのことを話のきっかけにしようと思い、“最初に彼女と心の距離を縮めましょう”と香澄は考える。

 

 ちょうどサークル終了後 エリノアが一人で帰る準備をしていたため、“これはチャンスよ”と思った香澄は彼女へ話しかける。

「お疲れ様。確かあなたのお名前はエリノア・ベルテーヌ……よね? 今日から代理顧問になった、高村 香澄です。私のこと、覚えているかしら?」

「え? えぇ……もちろんです。お、お疲れ様です……」

少し緊張しているのか、ソワソワとどこか落ち着きのない素振りを見せるエリノア。右手のノートを強く握っていることから、彼女が緊張していることは明白だ。

「エリノア、もしよかったら、途中まで一緒に帰らない?」

「は、はい。私は別に構いませんが……」

 

 緊張気味のエリノアをエスコートするかのように、香澄は優しくドアを開ける。そして出来るだけ彼女を緊張させないように、ここでも積極的に話のネタを探す香澄。


 ワシントン大学を出るまでの間に、エリノアが自分の家の近くに住んでいることを知る。住まいが近くということもあり、色々と話しかける香澄。だがエリノアはどこか警戒しているようで、香澄の問いかけをただ流すだけだった。

 不思議なことにワシントン大学を出てからも、香澄の話は一向に止まることはなかった。話が一方通行になりがちな状況に内心焦りを感じ、”何かお話の突破口はないかしら?”と一人考えを巡らせる香澄。そう思っていた矢先、少し恥ずかしそうにエリノアが香澄へこう問いかけてきた。

「あ、あの……香澄? 香澄先輩って、好成績で大学を卒業したって本当ですか?」

「えっ!? え、えぇ……まぁ。好成績になるのかしら?」


 突拍子のない質問をされ、思わずきょとんとする香澄。だがそれ以上に、自分のことを“先輩”と呼ぶエリノアの心理が謎だ。そこで香澄は、“どうして初対面の私のことを、“先輩”と呼ぶの?”と優しく問いかける。すると彼女は、“あなたは日本人なので、そう呼んだ方がいいのかなと思って”とどこか遠慮がちに答えるエリノア。……ジェニファーと気さくな関係になる前にも似たようなことがあったので、“やっぱりアメリカ人でも、相手が日本人だとどこか気をつかうのかしら?”と一人疑問に思う香澄だった。


 確かに心理学科というグループの中で言えば、エリノアの先輩にあたる香澄。しかし香澄は逆に、“一人の友達として接することによって、彼女の警戒心を解くことが何より重要ね”と思う。どこかトーマスに性格が似ていることも、香澄の個人的な興味を誘う。

「ねぇ、エリノア。もしよかったら、今度一緒に心理学のお勉強をしない? これでも一応心理学科を卒業している身として、あなたの力になることくらいは出来ると思うわ」

話の突破口をつかむため、という事実を利用する香澄。

 

 いきなりの誘いに、少しばかり目が泳いでしまうエリノア。だがサークル顧問のフローラや親友のジェニファーから、何度も香澄について話を聞いているエリノア。その場でしばらく考え込みながらも、

「……場所や日時はどうしますか?」

と静かに首を縦に振るエリノアだった。


 自分を受け入れてくれたことを心の中で素直に喜びつつも今はその気持ちを抑えつつ、“それはあなたにお任せするけど、なるべく近い方がいいわね”と答える香澄。するとエリノアは予定を確認するため、手帳をパラパラとめくる。すると今週はすでに予定が入っていたため、“来週の火曜日以降なら大丈夫です”とエリノアは返事をくれた。


 これで正式にエリノアへ連絡が出来るようになった香澄は、友達として自分のスマホの連絡先を彼女へ教えた。するとエリノアも自分の連絡先を香澄へ教えてくれた。実はすでにエリノアの連絡先を知っているのだが、いきなり電話するといった野暮なことはしない。あくまでも彼女自身の口から、連絡先を聞くことが重要なのだ。


 ワシントン大学を出てから帰路へ就くまでのわずかな時間の中で、香澄はを呼ぶ。実はこれも心理学のテクニックの1つで、『カクテルパーティー効果』と呼ばれている。

 人は自分の名前を呼んでもらえる相手に対し、特別な興味や関心を持つことが多い。恋愛心理学で使えるテクニックだが、これは友情や仕事上で信頼関係を築く上でも活用出来る。今回のように初対面同士の場合には、絶大な効果を発揮する。


 見事彼女の心をつかむことが出来た香澄は、続けて足を前に踏み入れる。今度会うのは一週間後になるかもしれないので、可能な限り距離を縮めようという香澄なりの作戦だ。

「それからもう一つお願いがあるの。エリノア、今日からあなたのこと、“エリー”って呼んでもいいかしら? こうして知り合えたのも、何かの縁だもの」


 普段は冷静沈着であまり口数の多くない香澄なのだが、この時ばかりはいつになく積極的だった。香澄も親友のマーガレットやジェニファーたちと過ごすうちに、彼女の性格も少しずつ変わり始めている。しかし香澄自身は、自分の性格が少しずつ積極的になっているとは夢にも思っていないだろう。

 

 だが香澄の問いかけに対し、終始黙り込んでしまうエリノア。“少し強引だったかもしれないわ”と反省した香澄は、“エリノア、嫌なら嫌ってはっきり言ってね”と優しくフォローする。

「ご、ごめんなさい。私ったら少しぼーっとしてしまって……」

その後すぐに、“私は別に構いませんよ、香澄先輩”と返す。だが“これではお互いの距離が縮まらないわ”と思った香澄は、

「エリノア、じゃなくて……。あなたも私のことを呼ぶ時は、“香澄”でいいわよ。……先輩や後輩という堅苦しい関係ではなく、お友達として一緒に頑張りましょう」

 エリノア自身にも自分を受け入れてもらうよう、改めてお願いする香澄。彼女の問いかけに合わせるかのように、“分かりました。今後もよろしくお願いします、香澄”とエリノアは笑顔で答えてくれた。


 少し照れくさそうにしているものの、香澄の前で初めて笑顔を見せてくれたエリノア。内気な性格とは思えないほど彼女の笑顔は可愛らしく、ジェニファーとは異なるどこか人を引き寄せる不思議な魅力を秘めていた。

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