最初の近況報告

  ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年五月四日 午後一一時〇〇分

 帰路の途中でエリノアと別れた香澄は、そのまままっすぐと自宅へと向かう。午後一〇時三〇分ごろに自宅へ到着した香澄は、“ただいま!”と言いながらドアを開ける。それに答えるかのように、フローラとジェニファーも“おかえりなさい!”と返す。彼女たちは香澄より少し前に帰宅しており、ケビンは明日が早いという理由から先に就寝している。そしてマーガレットは劇団員たちとつかの間の羽目を外しており、今日は自宅へ帰らないとのこと。


 初めての仕事に若干疲労感を感じながらも、バスタブに浸かり体の疲れを癒す香澄。しっかりと体を綺麗に拭きパジャマに着替えた香澄は、“何か冷たい飲み物を”と思いながらリビングへ向かう。

 ちょうどそこにフローラとジェニファーが世間話をしており、“ちょうどいいタイミングね”と香澄は思う。近況報告をすると同時に、初めての自分の仕事ぶりを客観的に評価してもらう良い機会だ。

 さっそく香澄は“お二人に聞いて欲しいお話があります”と一言入れつつ、ミネラルウォーターの入ったコップを手にしながら、ソファーへ座る。

「香澄。今日があなたにとって初めてのお仕事だったから、その報告と評価を知りたいのね?」

自分から要件を伝える前に、フローラに心の内を語られてしまった香澄。“さすがフローラね”と感心しながらも、話を続ける香澄。それに加えて、エリノアと友達になったことも付け加えた。


 香澄からさっそく今日の流れを聞く、ジェニファーとフローラ。時折笑みを浮かべると同時に、行動力の早さに感心していた。そして香澄の近況報告がすべて終了した後、最初に口を開いたのはフローラだった。

「……今回香澄の言動や行動を横で色々と見ていたけど、特に気になった点はないわ。むしろブランクを感じさせないほど、手際の良さだったと思うわ」

加えて、“真面目で丁寧な性格の香澄らしい手法ね”とフローラなりに評価した。

 フローラに続くような形で、ジェニファーが生徒側の視点から香澄の言動を評価する。だがフローラとは評価の方向性が少し異なり、エリノアと友達になったことを高く評価していた。

「フローラとは少しお話の方向性が違うのですけど……香澄がエリーと仲良くなったことは、間違っていないと思います。彼女のことなら、私も良く知っているので」

 自分たち以外の生徒と仲良くなることで、香澄に少しずつ心理学サークルの雰囲気に慣れてもらうことが出来る。さらに色んな人と交流を深めることで、それが香澄自身の人脈を広げる上でも色々と役に立つ。その上で“真面目な性格のエリーなら、私や香澄と相性もピッタリだと思います”と強調するジェニファー。


 最初のスタートは問題ないと、二人からお墨付きをもらえた香澄。話の流れでフローラが、“この機会に、改めて聞いておきたいことはある?”と香澄を気遣ってくれた。せっかくの好意に、香澄は甘えることにした。香澄がフローラへ質問したいこと……それは“同じ部員のシンシアとモニカの両名が、学校内の誰かをいじめている?”という疑惑について。


 その話題になった途端、にこやかだった表情が曇った顔に変わるフローラ。同様の理由から、何か気まずいという顔を見せ視線をそらすジェニファー。そして一向に状況が見えないためか、“トントン”と軽く足音を鳴らす香澄。……少なからずストレスを感じているようだ。


 しかし“親友の香澄に嘘は付きたくない”と思ったのか、はたまた重苦しい雰囲気に耐えられなくなったのか? フローラではなくジェニファーの口から、事の真相を語られる。

「じ、実はその件について確証があるわけではないんです。ですが今から数週間前に……私、見てしまったんです。シンシアとモニカの両名が、エリーに何かを要求しているところを」

「ちょっと落ち着きなさい、ジェニー。それだけでいじめだと判断するのは、いくらなんでも軽率よ!?」

冷静沈着な香澄らしい反論に、ハッと我に帰るジェニファー。緊迫した場面においても、常に冷静な思考力や判断力を兼ね備える頭の良さはさすがだ。

 香澄の言葉で落ち着きを取り戻したジェニファーは軽く深呼吸をし、自分がそう思う根拠を改めて語る。


一 シンシアとモニカの性格は、エリノアとは考え方が正反対。それに加えて、何かと大学の構内で悪い評判が絶えないシンシアとモニカ。そんな二人がエリノアの友達や親友同士だとは、どうしても思えない。

二 内気な性格のエリノアにつけこんで、強気でわがままなシンシアとモニカたちが、金銭などを請求している可能性がある。

三 以前フローラが詳しい事情を問いただすが、案の定彼女たちは否定した。現状では確証はないが、仮に事実だった場合、今後エリノアに深い心の傷が残る可能性が高い。

四 男子部員のレイブン兄弟については、エリノアに対しいじめや脅迫などをしているという噂は今のところない。

五 ワシントン大学で発生した盗難未遂事件の調査と並行して、香澄にはエリノアへのいじめ疑惑問題についても調べて欲しい。


「なるほど……ほんの数週間前にそんなことがあったのね」

 右手で口元を隠しながらも、真剣にジェニファーの話を聞く香澄。まだ確定事項ではないものの、エリノアがいじめられている可能性を聞いた香澄の心中は、穏やかではない。だが彼女は持ち前の頭の良さを活用し、“少し難しい内容ですが、私なりに真相を調べてみます”と二人の前で約束してくれた。


 急な提案であったものの香澄が承諾してくれたことを知り、ほっと胸を撫で下ろすフローラとジェニファー。そんな彼女の気持ちに触発されたジェニファーは、“フローラ、香澄。私もぜひ協力させてください”とお願いしてきた。

 ジェニファーの提案に対し、フローラも最初は困惑した表情を見せる。当初のフローラの考えでは、“もうすぐ卒業を迎えるジェニーには、危険な真似はさせたくないわ“という親心に似た感情を持っていた。


 だが香澄と一緒に真相を突き止めたいというジェニファーの瞳は、まっすぐフローラを見つめている。自分の気持ちに嘘はないという、彼女なりの意思表示だろうか? そんなジェニファーの友達を想う気持ちに打たれたのか、

「……分かったわ。ジェニーも今回の調査に協力して。だけどこれだけは約束して!? 今回のあなたの役割は、あくまでも香澄のサポート。単位をすべて取り終えたとはいえ、あなたはまだ大学を卒業していないの。だから何か発見したらすぐに私、もしくは香澄へ教えて」

 

 条件付きではあるものの、彼女の協力を受け入れるフローラ。その条件を承諾したジェニファーの表情は、一気に明るくなった。

「ありがとうございます、フローラ――というわけなので、香澄。これからは私とフローラが、あなたのことをサポートしますね」

「ありがとう、ジェニー。本当はジェニーにまで危険なことはさせたくないのだけど、あなたが一緒だととても心強いわ」

「分かっていますよ、フローラ。もぅ、心配性な性格は昔と変わっていないんだから」


 香澄の本心はしっかりと理解しつつも、マーガレットのような口ぶりを見せたジェニファー。数年前までは、どちらかと言うとエリノアに近い性格だったジェニファー。だが親友の香澄やマーガレット・そしてハリソン夫妻らと出会うことで、彼女の心身は成長する。自覚はないものの、これまで内向的だったジェニファーの性格も社交的に変化しつつある。

「二人とも、喧嘩しないの。……もう、いつまで経っても子ども何だから」


 意外な組み合わせの痴話喧嘩に、やんわりとストップをかけるフローラ。だが彼女たちの無邪気な行動が、むしろフローラにとって居心地の良い場面でもあった。一年くらい前までトーマスと一緒に過ごしていた時のような、賑やかで楽しい家族の団欒の面影をフローラは感じているのだ。

「そんな言い方ひどいですよ、フローラ!? 私、今年でもうなんですよ。もう子どもじゃないです」

 まるで本当の姉妹のように、仲の良い素振りを見せる香澄とジェニファー。そして母親のように、優しく彼女たちを見守るフローラだった。

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