Psychology Circle(心理学サークル)

ワシントン大学に迫る黒い影!?

                二章


 ワシントン州 ワシントン大学(教員室) 二〇一五年五月四日 午後一時〇〇分

 レイクビュー墓地でサンフィールド家への挨拶を終えたこともあり、気持ちを新たにしつつ、未来へ一歩進もうとしている香澄。そんな彼女は初めての仕事に就くため、ワシントン大学内にあるフローラの教員室にいた。

「どうかしら、香澄。生徒からへと変わる瞬間は?」

「やめてください、フローラ。それにこれは一時的な役割なので、正式に“先生”と呼ばれるほど、私は偉くありません」

「――相変わらず真面目なのね、香澄は。でもそこがあなたの魅力でもあるのだけど」


 少なからず緊張気味の香澄を、フローラなりの方法で励ましの言葉をかける。だが真面目な性格の香澄には逆効果だったようで、“前置きは良いので、早く始めてください”とどこか不満げ。そんな彼女の心を読みとったのか、“それでは、話を始めるわね”と軽く意気込むフローラ。

「お話を始める前に一応確認したいのだけど――日本で私があなたにお願いした内容について、まだ覚えているかしら?」

「えぇ、もちろんです。確かフローラは心理学に関するサークルを開いていて、“その代理顧問を私に依頼したい”という内容で間違いないですよね?」

細かく正確に依頼内容を把握していたことを知り、“さすが香澄ね”と一人ご満悦なフローラ。


 サークルの代理顧問を務めるだけということもあり、“少し不安だけど、最初のお仕事としては何とかなりそうね”と安堵する香澄。期待と不安を胸に秘め、香澄はフローラに視線を送る。だが彼女は何故かため息をついており、その理由が香澄にはまったく見当がつかなかった。

「えぇ。基本的には私が顧問を務めているサークルの代理顧問として、香澄にはサポートを依頼したいのよ――はね」

「“表向きはね”って……い、一体どういうことですか?」


 まったく予想していなかった言葉を聞き、少しばかり頭が混乱してしまう香澄。しかしそんな彼女の反応を、フローラは予測していたようだ――そして穏やかで優しい顔つきや瞳にも、いつになく力が入っている。

「今から私が話す内容は、決してしないでね――まずはこの資料を読んでくれる?」

 A4サイズの青色のクリアファイルにファイリングされた、数枚の資料を手にする香澄。最初の一ページ目に『極秘情報』と記されていたことから、すぐに内々に解決したい事案であることを察した香澄。彼女が手にした資料には、以下の内容が書き記されている。


    『実際に香澄へ依頼したい、フローラの真意について(極秘情報)』

一 表向きの立場はサークルの代理顧問だが、本当の目的はについて。具体的な内容については、下記を参照のこと。

二 今から数ヶ月ほど前、が発生。物音に気付いた教職員や警備員が犯人を捕まえようとするが、犯人は心理学サークルの部室へ逃走後、行方をくらます。

 なお実際に盗まれた物はなく、展示物を飾っているガラスが数枚割れた程度。今のところ警察には知らせていないが、“二〇一五年の卒業式までには解決して欲しい”との学校側の要望がある。

三 嫌疑をかけられているのは全部で五名で、いずれも心理学サークルの部員。顧問であるフローラのアリバイについては、事件発生当時、という証言が取れている。また“鍵のかかっていた心理学サークルの部室へ犯人が入る姿を見た”と、警備員が証言している。

四 香澄へ今回の調査を依頼したことを知っている者は、ごく数名。ハリソン夫妻とジェニファー。なおジェニファーも同じサークルに所属しており、事件発生時にという鉄壁のアリバイがある。

五 大学構内で犯人が立ち聞きしている可能性を考慮して、調査報告は基本的に自宅で行う。なお何らかの都合でフローラへ連絡出来ない時には、後日でも構わない。

六 内容を一通り確認後、情報保持のため教員室に設置しているシュレッダーで資料を処分する。


『まさか私が卒業した大学で、実際にこんなことが起こるなんて……』

 ことわざの『事実は小説よりも奇なり』とは、まさにこのことだ。自分の母校で盗難未遂事件が発生したことを知り、香澄の心境は複雑。しかし不安に思うことはなく、真面目で正義感の強い香澄の心には“絶対に犯人を見つけてみせるわ”という気持ちで溢れている。


 フローラの真意を知った香澄はしっかりと内容を記憶した後、教員室に設置されているシュレッダーに資料を入れて処分する。だが香澄の瞳の輝きは失われておらず、学生時代に臨床心理士を夢見たころのままだった。

 日本で香澄の弱気な姿を見て、正直なところ少し不安に思っていたフローラ。だが彼女の眼光はまったく鈍っていない、むしろフローラも始めてみるほどの強い意志が感じられる。

「その様子だと、心の方も大丈夫そうね。安心したわ、香澄」

「……これもすべて、フローラたちが私を支えてくれたおかげです。ありがとうございます」


 謙遜しつつも言葉を返す一方で、その表情には自信が満ち溢れていた。“もしかしたらこの子は、私以上に立派な臨床心理士になれるかもしれないわ”と、期待を胸に膨らませているフローラ。

 教員室の窓辺に太陽の光が差し込み、日光を浴びるかのように香澄が立っている。光のカーテンをまとう彼女の姿はとても美しく、優しくまぶしい笑顔を見せている。香澄の性格を良く知るフローラの脳裏には、“慈愛に満ちた女神”という言葉が浮かんでいた……


  ワシントン州 ワシントン大学(教員室) 二〇一五年五月四日 午後三時〇〇分

 その後も今回の案件について、しっかりと詳細を確認した香澄。色々と質問攻めにしていたためか、あっという間に数時間が経過していた。一区切りついたところでフローラが机に置いてある時計に視線を送り、

「あら、もうこんな時間。他に質問がなければ、今回はこれで終わりにしましょう。次の講義の準備をしないといけないの」

“今日の午後六時に部室に集合よ”と香澄に伝える。それを聞いた香澄は部屋を出て図書室へ行こうと思った矢先、

「……すみません、フローラ。参考までにサークルメンバーのプロフィール表とかあれば、見せていただけませんか?」

とフローラに問いかける。


 一番肝心なことを伝えていなかったことを思い出し、“そういえばそうだったわね、ごめんなさい”と言葉をかけるフローラ。同時に自分の机の鍵を開け、先ほどの資料とは別のファイルを香澄へ渡す。

「はい、どうぞ。この資料の中に、部員についての簡単なプロフィールが書かれているわ。夕方からのサークルが始まるまでに、目を通しておいてね。あっ、それから……」

香澄の返答を聞く前に、話を続けるフローラ。

「それからもう一つ――香澄は今大学の生徒ではなくなのだから、今後はこの部屋を自由に使って構わないわ。部屋の合鍵は……はい、どうぞ」


 引き出しに入っていたスペアキーを右手につかみ、香澄の手の平へそっと置く。スペアキーにはパンダのキーホルダーが付けてあった。キーホルダーに見ていた香澄の視線に気が付いたのか、“前にみんなでウッドランド パーク動物園へ行った時に買った物よ”と語るフローラ。そう説明するフローラの口元と瞳は、どこか悲しげだ……

「……そ、そうだったんですね。……すみません、余計な詮索でしたね」

 フローラの心をすぐに察した香澄だったが、彼女自身も言葉を詰まらせてしまう。ふとした偶然とはいえ、二人の脳裏に哀しい思い出がよみがえるのだった。


 次の講義があるため、急いで常備しているハンカチで目元をぬぐうフローラ。彼女を見送った香澄は椅子に座り、彼女が用意してくれた資料に目を通す。そこには部員の簡単な個人情報をはじめ、性格や特徴などが記されたメモがついていた。


 香澄が正式にフローラの助手となってから、これが初めての仕事。なおジェニファーについては、犯人ではないこと・古い付き合いということが考慮され、フローラが用意した資料には情報が載っていない。

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