エリノアの悲しい過去

    ワシントン州 サンファン諸島 二〇一五年五月二三日 午後一時三〇分

 香澄たちを乗せた車は、あっという間にイングリッシュキャンプへと到着する。車から一目散に降りるエリノアに続いて、“エリー、一人で先に行かないで”と声をかけながら、彼女を追いかける香澄とジェニファー。そして後ろから元気の良い彼女たちの背中を見守るかのように、静かに歩くフローラの姿がある……

 年齢でいえば四〇代半ばのフローラと、一〇代後半~二〇代前半の香澄たち。表向きは教師と生徒という関係なのだが、そんな関係を感じさせないほど彼女たちの仲は良好。それは誰の目から見ても明らかで、事情を知らない人からすれば親子と思う人も少なくないだろう。


 自然豊かな景色一面が広がり、非日常的な光景を思う存分堪能する香澄たち。その絶景に香澄たちは言葉を失っており、素晴らしい景色に心奪われてしまう。特にイングリッシュガーデンへ思い入れが強いエリノアは、思わず歓喜の声をあげる。

「うわぁ……見てくださいよ、この自然豊かな景色とこの光景。まるで別世界にいるみたい。本当に綺麗だよ!」

 両手を広げながら笑顔でクルクルと回るエリノア。その天真爛漫てんしんらんまんな笑顔と姿は、名作『アルプスの少女 ハイジ』の主人公ハイジを連想させるほど。ハイジのような面影を持つエリノアの不思議な魅力に、香澄たちの心も自然と癒されていく。


 イングリッシュキャンプにはピクニック用のテーブル席も用意されており、そこで飲み物や軽食なども楽しめる。カップルや家族連れなどに人気の場所でもある。

 景色を一通り堪能した香澄たちは、休憩用に用意されたテーブル席へと腰を下ろす。絶景を眺めている香澄たちをよそに、“はい、どうぞ”と言いながら、ファーマーズマーケットで購入したサンドイッチと紅茶を配るフローラ。

「……私も初めてここへ来たけど、サンファン諸島へ来て良かったわ」

「本当にそうですね、フローラ。こうしてこの景色を眺めていると、お仕事のつらいことも全部忘れてしまいそうだわ!」

「えっ!? 香澄……もしかしてフローラから嫌がらせされているんですか?」

突拍子もないことを言うジェニファーの言葉に、思わず反応してしまう香澄。

「そ、そんなわけないでしょう!? ……まったく、この子は時々誤解を招くようなことを言うんだから」

 時折冗談を踏まえながら、楽しそうに会話を楽しむ香澄たちの姿があった。あまり口数の多くない香澄やエリノアでさえも、この時ばかりは景色に誘われるかのように言葉を交わしていった……


 適度にパンを口にしながら、時折紅茶を飲む。そんなリズムをリピートしながら、エリノアは赤裸々な自分の素直な気持ちを、香澄たちへ語るのだった……

「去年から私、アメリカへ留学したけど。この国の雰囲気や文化に馴染めるか不安だったの。アメリカやワシントン州に親戚や友達がいるわけでもないから、特にね……」

「エリー、あなたのご両親は何をしているの? 確かあなたの故郷はフランス……だったわよね?」

留学生という共通点があるためか、少し瞳を細めながら景色を眺めるエリノアへ、優しくそっと問いかける香澄。だがエリノアは少し間を置いてから、

「私の両親はね、香澄。私が高校生の時に病気で亡くなったの。……ふぅ、もうあれから数年経つのね」

ため息まじりにどこか寂しそうな目をしながらつぶやく。


 “事情を知らないとはいえ、軽率な発言をしてしまったわ”と思った香澄は、“ごめんなさい、エリー。余計なことを聞いてしまったわね”と一言謝罪する。だが瞼をそっと閉じて首を横に振りながらも、“ううん、気にしないで。香澄は何も悪くないよ”と優しくフォローしてくれた。

 少女から大人へと成長しつつあるエリノアだが、やはり両親を亡くしたことがつらいのだろうか? 景色を眺めているその瞳は、どこか寂しそうだ――絶景が広がる景色とは対照的に、エリノアの瞳は亡き両親の面影を描いているのかもしれない。


 最初は“何か励ましの言葉でもかけた方がいいのかしら?”と悩む香澄。だが当たり障りのない言葉では彼女の心に届かないと思ったのか、1人遠くを見ているエリノアを肩にそっと手を触れる香澄。

「エリー、もう少しここにいる? それとも……次の場所へ行く?」

彼女の横で彼女と同じ空を眺めながら、そっと耳元でつぶやく。

 だがエリノアは言葉を返すことなく、何も言わずに水平線を眺めているだけ。そんな時間だけがゆっくりと過ぎていく。


 香澄だけでなく側にいたジェニファーとフローラも、この時ばかりはエリノアの心のペースに合わせる。彼女たちの心の距離が少し近くなった、そんな気がした……


 皆が青い空を眺めている最中、エリノアがふと右手の腕時計に視線を下ろすと、時刻は午後五時一五分を指していた。“自分の都合に付き合わせてしまった”と思ったのか、

「……あっ、もうこんな時間ですね。ごめんなさい。みんなとのお食事の時間に……間に合うでしょうか?」

午後六時〇〇分ごろに予約を入れていることを、エリノアはふと思い出す。

「ふふっ。大丈夫よ、エリー。ここからお店までの時間は数十分くらいだから、今から行けば十分間に合うわ」

「そうなんですか、なら良かったです」

 ふとしたことによる言葉が合図となったのか、イングリッシュキャンプでの観光は終了となる。そして一同は車に乗り、フローラが予約しているお店へと向かう。

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