何気ない日常の幸せ

  ワシントン州 ハリソン夫妻の自宅 二〇一五年五月三一日 午後九時〇〇分

 フローラやジェニファーの力を借りて、何とか無事事件を解決した香澄。エリノアについても、今のところ特に目立った後遺症や症状などは起きていない。

 香澄が自宅に戻りリビングへ向かうと、片手にワイングラスを持つハリソン教授がソファーに座っていた。彼女の顔を見るやいなや、

「カスミ、お疲れ様! 色々と大変だったと思うけど、カスミのおかげで無事事件は解決だよ。いやぁ、僕も鼻が高いよ」

ねぎらいの言葉をかけるいつになく陽気なケビン。だが疲労が貯まっているであろう香澄の身を案じ、ケビンは早めに話を切り上げる。


 その後彼女はバスタブで体の汚れを落とし、洗面所で寝支度を済ませる。そして香澄は自分の部屋に戻り、いつもより早めにベッドに入る予定だった。だがここで

『……そうだわ。忘れないうちに、例のレポートを書いておかないと!』

記憶があいまいになる前に、カウンセリングレポートを書くことを思い出す香澄。眠りに入る前に、テーブルに置かれているパソコンの電源を入れる……

 

 画面が立ちあがるまでの間、夜風に当たるために部屋の窓を開ける香澄。お風呂上がりということもあり、窓から流れ込む風やひんやりとしていて気持ち良い。

『気持ちいい風ね。暑くもなければ寒くもない、この季節が一番過ごしやすいわ』

 綺麗に整えられた香澄の長い茶色の髪が、夜空を舞っている。綺麗な髪を細く白い左手でかき分けるその姿は、ロマンス映画のワンシーンを映し出すかのように美しかった。

 外の涼しさを満喫した香澄は、“さぁ、頑張りましょう”と気合を入れながらレポート作成に取り組む。


『……こんな感じでいいかしら?』

 内容に誤りやミスがないか、念のために確認する香澄。だが問題は特に見当たらないことを確認し、座ったまま軽く背伸びをする。……長時間パソコンでレポート作成をしていたためか、香澄が首を左右に動かすと“ポキポキ”という音が鳴る。

『えぇと今の時刻は、大体夜の一〇時一五分ね。少し疲れたけど、寝るにはまだ早いわね……どうしようかしら?』

 夜空や星空を見上げながら、夜風に当たる髪を右手でなびかせている香澄。今から一時間程前に体を洗い終えたばかりということもあり、素肌に当たる夜風がとても心地よい。“この一瞬を大切にしたいわね”と心に思いながらも、右ひざに自分の顔をそっと置く香澄の姿があった。


 そこへちょうど、“コンコン”という誰かがノックする音が聞こえる。“はい?”と香澄が返事をすると、

「あっ、香澄。まだ起きている? 今冷たくて美味しいオレンジを切ったのだけど、よかったら一緒にどう?」

フローラがデザートのお誘いにきたようだ。レポートの作成を終えたばかりで、“ちょうど冷たいものを食べたい”と思っていた香澄。ことわざの「渡りに船」とは、まさにこのこと。

「はい、軽く一息入れたらリビングへ行きます」

「分かったわ。……オレンジが冷めてしまうから、出来るだけ早めに来てね」

 元気よく返事をする香澄に対し、明るく返事をするフローラ。この何気ない会話や日常にこそ、香澄にとって何よりの至福の時間なのだ……


 フローラに誘われてから数分後――自分の部屋を出た香澄がリビングへ向かうと、楽しそうに会話をしているハリソン夫妻とジェニファーの姿が映る。時折カットされたオレンジをつまみながら、お互いに世間話を楽しんでいる。

「……遅くなってごめんなさい。待ちましたか?」

「いいえ、大丈夫よ。さぁ、香澄もこっちへ座って!」

言われるがまま、テーブル席へと座る香澄。テーブルのお皿に並べられたオレンジを一つ手に取り、両手に持ちながらゆっくりと味わう。

「……美味しい」

 満面の笑みを浮かべながら、“ところで、ジェニー。随分楽しそうだけど、一体何のお話をしているの?”とジェニファーに尋ねる香澄。

 

 お互いに他愛のない会話で盛り上がり、楽しいひと時を迎える香澄・ジェニファー・ハリソン夫妻たち。つい先日まで大きな問題を抱えていたとは思えないほど、会話の内容は明るい。

 リビングには香澄たちのシルエットが映し出され、元気で陽気な歌声が流れている。そのシーンはまるで、星空が空色の雲に腰を下ろしながら鼻歌を歌っているようだった。


 無事二つの事件を解決出来たことに一安心した香澄は、

『さぁ、明日から六月よ。事件は無事解決したけど、これからも気を引き締めないと!』

来月からの仕事への意気込みを心の中で誓うのだった……

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