第13話 :5

「で? これがそれ・・なんですね?」

「ええ」


 秋の日暮れは早い。既に空は夕焼けに染まっている。

 帰って来た依頼人とともに庭に立つ探偵とその助手。

 アリッサ夫人は、今はベッドの中ですやすや寝息を立てている。


「見つけたのは助手の、志義しぎ君です。この家の当主で依頼人であるあなたに立ち会っていただくべきだと思って――お帰りを待っていました」

「こんなもの僕は初めて見た! 前に庭を掘り返した時は全く気づかなかったぞ!」

「そうですか」

 淡々と探偵は訊く。

「で? どうします?」

「勿論、掘り返すさ!」

 待ってました、とばかりスコップを突き立てた志義を藤木・エミ―ル・雅寿まさひさは慌てて制した。

「待って、僕がやります! 乱暴にして、万が一にも宝石箱が壊れたら大変だ」

「えー?」

 年相応に不満を抑えられない助手の腕を興梠こうろぎは静かに制した。

「ここは藤木さんにお任せするんだ、フシギ君」

 志義は小声で毒づいた。

「ちぇ! 面白くないの。一緒に掘らせてくれてもいいじゃないか! 僕が見つけたんだぞ?」



 だが――

 地面に直接描かれたような(印)に見える不思議な〈花〉……

 見るからに奇妙なそれをいくら掘り進んでも、何も出ては来なかった。





「いい気味だ! 宝を独り占めしようとしたからバチが当たったんだ!」

 帰りの車中、後部座席で、大いに気炎を上げる少年。

「だって、おとぎ話ではたいていそうさ! 欲張りは願いが叶えられないんだ!」

「おいおい、じゃ、あの庭には宝物を守る妖精が住んでいるってわけか?」

 探偵は苦笑した。

「君の専門は探偵小説だと思っていたが、意外やおとぎ話も詳しいんだな?」

「僕だって」

 心なしか少年の声が柔らかくなる。

「毎晩、おとぎ話を聞かされたからね。藤木さんじゃないけど……」

 主語は省かれた。

 

 どうして?


 バックミラーに映る少年の横顔を見つめながら探偵は胸の中で呟く。

 人は、今はもう傍にいない〈愛しい人〉の名を人前で語りたがらないのだろう?

 口に出した瞬間に、その不在の事実がより鮮明になるから? 

 現在の孤独が決定してしまうから?

 

 最愛の人の名は深く己の胸の底に埋めるべし。


 そして、眠れない夜にだけ(周囲に人がいないことを確認してから)、そっと呟くのだ。

 それこそ、お伽話の呪文のように。

 

 少年もそうするのだろうか?

 遠く欧州に嫁いだ姉を懐かしんで?

 

 探偵も、孤独な夜半、囁く名前を持っている一人だった。

 心底愛しながら遂に叶わなかった思い。

 だが、思い出の中の少女は探偵が呼びかけるたびいつも最高の微笑みを見せてくれる。

 してみると……

 

 アリッサも俺も――志義君だって一緒だな?

 ただ違うのは平気で――昼間でも平気で、

 いつでも・・・・、失った人、最愛の人の名を口に出して呼べるかどうかだけ。

 そのことだけが正気と狂気の境界線ボーダーラインなのだろうか?


 ―― マサミチ……

 ―― なんだい、アリッサ?

 

―― 興梠さん?

―― 何ですか、■ ■ さん?



 探偵はゆっくりとハンドルを切った。

 既に暮れた夜の街、パーヴメントに灯された街灯がばら蒔かれた宝石のように燦ざめいている。




「ちょっと、これを見てごらん、フシギ君」

 猫に餌をやってから、帰り支度を始めた助手を興梠は呼び止めた。

「何さ?」

 探偵のビーューロの上に開かれた分厚い書物。植物辞典だ。

「あ!」

 少年は声を上げた。

「これは、今日、僕が藤木さんの庭で見つけたヘンテコな――花?」

「厳密に言えば、〈花〉じゃない。〈葉〉だよ。あれはメマツヨイグサのロゼットなんだ」

「ロゼット?」


 メマツヨイグサは、もともとは北アメリカ原産の植物。夏の夜に月光が凝ったような幻想的な花を咲かす。鑑賞用に園芸種として日本に持ち込まれた。

 尤も、あまりに繁殖力が強くて河原などに野生化して在来種を駆逐してしまう勢いなので現在では要注意外来種に指定されている。

 

「この花の冬越しのスタイルがロゼット・・・・と呼ばれるそれ――特異な形なのさ」

 葉を放射線状に地面の上に広げるのだ。しかも、気温の低下に伴い鮮やかな赤色となり、それ故、地面に〝描かれた花〟に見える。ロゼットの語源は〈バラの花〉から来ている。

「じゃ、興梠さんは知ってたんだね?」

 思い当たって志義は頬をふくらませた。

「そうか、だから、あんまり興奮しなかったんだ。僕や、藤木さんほどには。あれは特別の〈印〉なんかじゃないから、その下をどんなに掘り下げたところで宝物なんて出てこないってわかってたのか!」

「いや、そこまでは僕だって断定はできなかったさ。実際、ロゼットの真下に何か埋めてあるとも限らないからね?」

「原点へ回帰せよ、だな!」

 少年はため息をつきながら植物辞典を閉じた。

「謎に行き詰まったら、最初に戻れ、ってことさ。基礎だよ、興梠さん」

 ベイカー街の名探偵さながらに顎に手をやって頷いてみせる。

「で、この場合の謎とは――やっぱり、アリッサ夫人の〈仕草〉と、漏らした言葉〈ルージュ〉だ!」


 赤…赤…

 rouge……


 庭に出て見える赤とはなんだろう?


 



 翌日も依頼人の家へ車を走らせながら頻りに探偵は考えていた。

 日曜なので、昨日より更に早い、午前中の訪問だった。勿論、助手の志義も同行している。

 突然、車窓をよぎる赤に気づく。

 昨日までは気づかなかった赤だ。

「?」

 そう、この季節、突然出現する〈赤〉は、何も昨日のロゼットだけ・・・・・・ではない・・・・

 (原点回帰せよ、か……)

 色と仕草。

 それよりもっと遡った、その原点はじまりは何だった?

 興梠は思い出した。

 不可思議な仕草を見せたアリッサ夫人が、それをやる前に言ったのは

『アソコ ツレテッテ』

 母国語ではないから拙い、限られた日本語でそう言ったのだ。

 それに対して、息子は即答した。

『母の言う〝あそこ〟が庭だというのはすぐわかりました。僕の母は庭をこよなく愛していましたからね。勿論、父の次に』


 ちなみに、興梠はアリッサとはフランス語で会話している。

 

 (今日は、もっと積極的に試してみるか?)


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