第12話 :4


:*.;".*・;・;・:


「マサミチ? ひどいわ! こんなに私を待たせるなんて……!」

「ごめんよ、アリッサ。でも、どうしても受けたいデッサンの授業があって――」

「また、そんなことを言って! 私は一生懸命家を抜け出してきたのに」

「ごめんよ? さあ、こっちを向いて、機嫌をなおしてくれよ、アリッサ? そのかわり、これから、どこでも君の行きたい処へ連れて行ってやるからさ! 何処がいい? 学生街カルチェラタンの店を見て歩く? セーヌで船を漕ぐのもいいな? カピッシーヌをぶらぶらしてマドレーヌ寺院まで散策するのも捨てがたい。ブールヴァール・デ・イタリアーノのレストランで美味しいものを食べて――」

「塹壕の土手……あの丘がいいわ!」

「またあそこ? 全く、君はあそこが好きだなあ!」

「あたりまえよ! だって、あそこは……」

「何、アリッサ? 聞こえないよ?」

「あそこは……あなたに出会った場所ですもの……」

「……アリッサ……!」

「マサミチ…」


 マサミチ……


:*.;".*・;・;・:



「え? 埋め戻すの? 掘り返すんじゃなくて?」

 探偵の差し出したスコップを受け取りながら志義しぎは聞き返した。

 三回目の訪問となるその日。

 今日は土曜なので学校は午前だけ。それで、午後も早い内に志義を伴ってやって来た探偵だった。

 藤木家にもあるとは思っていたが、愛車にシャベルを2本積んで来た。その残る1本を自分で掴むと早速、土を掬って空いた穴へ注ぎ始める。

「そうさ。こんなに至る処穴ぼこだらけじゃ、危なかっしくて車椅子も満足に押せない……この機会に二人で少しでも元へ戻しておこう」

「夫人の方はいいの? ほっといて?」

「アリッサ夫人なら――今、眠ってるよ」

 夢の中でも亡き夫と会っているらしい。

 さっき興梠こうろぎが様子を見に覗いた際も夫人は眠りながら幾度となく夫の名を呼んでいた。

「それにしてもさ」

 少年は不満顔で呟いた。

「僕たちいいように使われ過ぎじゃないかな?」

 掘り返された穴に土をかけながら志義はブツブツこぼした。

「おい、おい、この話に乗り気だったのは君の方だろ?」

「最初は面白いと思ったんだけど。あの依頼人――」

「藤木さんがどうかしたのかい?」

「ちょっと怪しい。僕たちにお母さんを任せて出かけちゃったじゃないか!」

 今日、予あらかじめ午後早くからの訪問を電話で告げると、依頼人は勿論、喜んだ。喜びながらも、少々決まり悪げに自分は出かけることを告げたのである。

 実際、玄関先で探偵と助手を迎え入れた藤木雅寿ふじきまさひさはすっかり外出の仕度を整えていた。

「勿論できるだけ、早く帰ってくるつもりですが……僕が不在でもどうぞ、お気になさらないで好きにしてください。母のことはお任せしますので、よろしくお願いします」

 そう告げる間のぎこちなく泳ぐ水色の目。

 日頃から人間観察に余念のない探偵志望の志義が見逃すハズはなかった。

「あんなに急いで一体 何処へ行ったんだろう?」

「探偵は依頼人のプライベートに立ち入っちゃいけないよ、フシギ君」

「そりゃ、わかってるけど」

 少年は口をへの字に曲げた。

「僕が推理するに――きっと、女友達のとこだ! お母さんの世話を僕たちに押し付けて自分は羽を伸ばそうって魂胆なんだ! 僕、ピンときたよ。あんなハンサムなんだもの。きっと凄くモテるんだろうな! 女友達なんて星の数ほどいるはず」

 せっせと地面をならしている傍らの探偵を横目で見る。

「なんだい?」

「少し分けてもらえばいいと思ってさ。興梠さんはこんなに寂しい思いをしてるのに」

「グッ、いいから、僕のことならほっておいてくれたまえ」

 少年の不平は止まらない。

「それにこんな、肉体労働やらなきゃいけないなんて! 僕、探偵業は知能だけでいいと思っていたのに!」

「そうかい?」

 飄々と受け流す興梠だった。 

「しかし、君の尊敬するホームズだって、結構体を張ってるじゃないか」

「〝格闘〟は別さ! これで、興梠さんも、悪漢と殴り合いをするとかなら、僕だって大いに燃えるんだけど」

「馬鹿言っちゃいけない。僕は平和主義者だ。怪我なんかする仕事はしないよ」

「でもさ、生死を彷徨さまよう程の大怪我したことあるんでしょ? 車の事故だって聞いたけど、カーチェイスかなんかやったの?」

「それは――」

 探偵は口篭った。

 あれは――生涯で一番思い出したくない思い出である。

「――」

「言いたくないんなら、いいよ。じゃあさ、その部分は僕が埋めてあげるから!」

「なんだってぇぇぇ――!?」

 シャベルを取り落として驚愕の声を上げる探偵。

「な、な、な、なんてことを言い出すんだ、君!」

 その顔を少年はまじまじと見返した。

「え? だから、そこの穴・・・・は僕が埋めとくって言ったのさ。だから、あなたは行ってやって。ほら、夫人が呼んでる。目が覚めたみたいだよ?」

「……あ」

 その通り。

 二階の窓からレースのカーテン越しに透き通った声が響いていた。


「マサミチ……! マサミチ……!」


 現実にはもういない、最愛の人の名を呼ぶ声。

「何処にいるの? 早く来て、マサミチ! 私はここにいるわ。ここで、ずっと待っているのよ、マサミチ……!」

 興梠は窓を見上げて叫び返した。

「いま、行くよ、アリッサ! だから、待っててくれ……」



「もう! ひどい人! 私をこんなに長いこと待たせるなんて!」

「ごめんよ、アリッサ?」

「どうせ、絵を描くのに夢中になって私のことなんか忘れてたんでしょう?」

「そ、そんなことはないよ」



「ふふ」

 窓越しに聞こえる会話を聞きながら志義は吹き出した。

(声だけ聞いていると本物の恋人同士だな?)

 いや、時間の境目のなくなったアリッサ夫人にとっては、あれは紛れもない真実の会話なのかもしれない。夫人はかつて実際にその言葉が交わされた瞬間の世界に生きているのかも。

「うん?」

 新しい穴を塞ごうとしてスコップを振り上げた時、志義はそれを見つけた。

 少年の目にいきなり飛び込んできた物――

「これはなんだ? 赤い……花?」

 地面に直接描かれたように見える赤い……バラ?





「私はあなたのこと、片時も忘れたことがないのに」

「それは、ありがとう」

「これからだってよ? 将来どんなことがあっても、あなたのこと、あなたと過ごした日々のことは全部憶えてる。永遠に」

「……」

「何故?そんな悲しい顔をするの、マサミチ?」

「いや、悲しい顔なんかしていないさ」

「じゃ、困った顔ね?」

「……」

「分かってる。私はいつも貴方を困らせてばかりいるわね? パパとママに会ってくれって私がせがんだ時も、本当は嫌だったんでしょ?」

「そんなことないさ!」

「ねえ? 私と出会ったこと、後悔してる?」

「まさか! どうして、そんな馬鹿なこと言うんだい?」

「だって、私と出会わなければあなたは自分の夢を諦めずにすんだんですもの。あなたは、絶対、有名な画家になったはずよ?」

「違うよ、アリッサ。僕は画家でなく――君を採ったんだよ!」

「私を? 絵筆ではなく?」

「そう。絵筆ではなく、君を」

「嬉しい! じゃあ、私も! 私も選ぶわ! 貴族の娘ではなく、あなたの――あなただけの花嫁になる。あなたが大切な絵筆を捨てたように……私だって……」

「おい、君、 アリッサ……!」 

 夫人はベッドから飛び降りると開け放してあった窓へ飛びついた。

 窓枠に体ごと乗り出す。

「何をする気だ、アリッサ!?」

 慌てて興梠も飛びついた。咄嗟に細い腰を掴んで支える。 

「危ないっ――」



「大変だよ! 興梠さん!」


 寝室のドアを叩きつけるように開けて飛び込んできた少年。

 その音にアリッサは吃驚して窓枠から指を放した。

「キャッ?」

「うわっ?」

 縺れ合って倒れる二人。

「あ、これは失礼、アリッサ夫人……? 興梠さんも……?」

 床の上で抱き合っている二人を見て助手は硬直した。

 目のやり場に困って、一瞬躊躇したものの、志義は礼儀正しく言葉を継いだ。

「大変な場面にお邪魔して申し訳ありません。でも――大変なんだ! ラブシーンを演じてる場合じゃないよ、興梠さん!」

「これはラブシーンなんかじゃない。聞きたまえ。アリッサ……夫人が……突然窓枠に飛びついたから、それを止めようとして――」

「OK。わかってるよ。〝助手は探偵のプライバシーに立ち入ってはいけない〟でしょ?」

 訳知り顔で志義は頷いてみせた。

「それに、探偵だって恋をするって、江戸川乱歩も書いてたからね? 禁断の恋も、同性の恋も、SMの恋もありだって!」

「君、一体どんな探偵小説を読んでいるんだ? と言うか、いや、だから、これは誤解だ。説明しよう。何故、僕が、僕たちが、こんな格好をしているかと言うとだな、いきなりアリッサが――」

「マサミチ……愛してるわ。ね? もう一度言って。あなたは私を選んだのよね?」

「も、もちろんだよ、アリッサ」

「嬉しい!」

 更に強く探偵の胸にしがみつく元パリジェンヌ=亡命ロシア貴族の娘だった。

 その様子を見てきっぱりと少年は言った。

「説明なんかいらない。未亡人に恋をしようとそれは貴方の個人的な自由だ」

「フシギ君!」

「そんなことより――大変だよ、興梠さん! 今、僕、庭で、不思議なモノを見つけたんだ!」 

「え?」

「地面に描かれた〈花〉のようなモノ……しかも、色は赤だぜ!」



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