第11話 :3
「言い忘れたことをお詫びします」
藤木・エミール・
「…あなたも人が悪いな?」
冷ややかな声で返す探偵。
「意識的に言わなかったんでしょう?」
「ええ、まあ……そうです」
混血の青年はあっさりと認めた。
「では、そのことも含めてお詫びします。でもね、このことを先に言っていたら絶対あなたは僕の依頼を引き受けてはくれなかったでしょう? 違いますか?」
「――」
「僕には何も語ろうとしない母が、あなたになら、何事か明かしてくれるのではないかと、一縷の望みを抱いたのは――」
藤木はきっぱりと言い切った。
「
「えええー!?」
これは助手・
探偵の顔を見た途端、抱きついたアリッサ・藤木夫人。
漸く落ち着いて、寝入ったところだ。
とはいえ、完全に眠るまで、自室のベッドの中で探偵の手を握って放さなかった。
約束した最初の一時間はこのようにして過ぎたのである。
今三人は一階の応接室にいた。
探偵とその助手にコーヒーを注ぎ足しながら藤木は説明した。
「ご覧になられた通り、母の意識は混濁している。でも、昔の思い出は鮮明なんです。だから、若い頃の父に瓜二つのあなたなら色々母から聞き出せるのではないかと僕は考えたんです」
「お知りになりたいことは――仕草の〈意味〉ですか?」
「ええ、勿論」
「それとも、〈場所〉なのではないのですか?」
「え? どういうこと、それ?」
珍しく、今の今まで口を挟まず、おとなしくしていた少年がコーヒーカップから顔を上げた。
掃き出し窓へと歩いて、庭を見つめながら興梠は言う。
「……随分と掘り返したものだな?」
「流石、探偵だな? 鋭いものだ!」
ドサリ、音を立てて青年は椅子に腰を落とした。
「いやはや……感服しました!」
「え? え? え?」
二人を交互に見て首を傾げる少年。
「何を言い合ってるのさ、 興梠さん? 藤木さんも?」
助手の問いには答えず、興梠は赤い髪の依頼人を振り返ると、
「ねえ、藤木さん?
観念したように藤木は一つ息を吐いた。
「わかりました。では、改めて包み隠さず全てをお話します」
そう言って、藤木・エミール・雅寿が語った話はこうである。
27年前の1911年。
画家を志して、欧州は芸術の都・パリに渡った青年・
亡命ロシア貴族の娘だったのだ。
二人は出会った瞬間に恋に墜ちた。
しかし、アリッサの両親は二人の結婚に激しく反対した。
当然だろう。相手は名も金もない、芸術家志望の東洋の若者である。
それ故、二人は手に手を取って、駆け落ち同然で極東の島国へ出奔した。
激怒したアリッサの両親は娘と縁を切ることを告げ、以来音信不通のまま四半世紀が過ぎた。
一方、母国へ帰って来た雅倫は世間知らずの美しい貴族の娘と、すぐに生まれた息子を養うために自分の夢を諦め、語学教師の職を得て、人並みの生活を維持するために粉骨砕身した――
「母がフランス人ではないとあなたが何処で気づかれたのか、想像がつきますよ」
依頼人は苦笑した。
「僕を見て、でしょう、興梠さん?」
水色の眼が挑戦的に煌めいている。
「そうですね。あなたはご自分で言われたとおり母方の血を濃く引いておられる」
190近い長身、透き通る白い肌、薄い色の瞳。
藤木雅寿はフランス人というより明らかにロシア人――スラヴ系の風貌なのだ。
「ロシア人といえば――」
思い出したように志義が目を細める。
「ロシア――今は、国名はソビエト連邦だけど、その秘密警察幹部のリュシュコフが満州に亡命して来たよね? ほら、夏に東京山王ホテルで記者会見をしたじゃないか! なんだか、おっかない国になっちゃったみたいだな、あそこ?」
一方その新体制国家に憧れて雪原を踏破して密入国を果たした者もいる。女優の岡田嘉子と演出家の杉本良吉である。このニュースは今年1月、まだ正月気分の抜けきらぬ日本中に衝撃をもたらした。
「ソ連は共産主義……
最近の亡命者は着の身着のまま、命が助かれば幸いと言う状況らしい。その点、早くに国を捨てたレールモントフ伯爵家はそれ相応の財産を持ち出すことが出来た。
「そのことを念頭に僕の話をお聞きください。――さて、このパリで育ったロシア貴族の娘は親元を出奔する際、こっそり持ち出したものがあった」
藤木は話を本筋へ戻した。
「自身の
―― 昔々、ママンはお姫様だったのよ。そして、丘の上で王子様と出会ったの。
それが、あなたのお父様。
―― うっそだー! パパは王子様じゃない、センセイだよ?
―― ああ、エミール、ヒサチャン! あなたも、騙されている。
いいこと? 王子様は悪い魔法使いに魔法をかけられたの。
誰もその正体がわからないように。
―― だったら、カエルが良かったな!
パパがカエルならお庭の池で一緒に遊べるよ!
―― ヒサチャンったら!
肝心なのはね、ママンにはひと目でわかったってこと!
丘の上で摺れ違った瞬間、この人が王子様だって!
漆黒の髪、黒曜石の瞳……
―― あなたのお父様は遠い異国からはるばるやってきた王子様だった……
―― ふううん? パパは剣を振るってママンを悪者から助けてくれたの?
―― いいえ。
でも、魔法使いが意地悪して道にばら撒いた
ママンの摘んだお花を全部拾ってくれたわ!
―― なんだ、そんなことか。つまんないの。
―― いいから、最後まで、お聞きなさい。
悲しいことに、ママンのパパとママン――
王様と王女様は彼が王子様だということが分からず、
私たちの結婚を許さなかった。
―― だから?
―― 王子様とお姫様は二人して、王子様の国へ逃げていくことに決めました。
そして、その国で、
いつまでも仲良く幸せに暮らしましたとさ、
めでたしめでたし!
さあ、これで今夜のお話はおしまい。早く寝なさい。
―― やっぱり、うそだ!
パパは王子じゃないしママだってお姫様じゃないよ!
もし、本当にママンがお姫様なら、
その証拠を見せてよ! ねえってば!
―― しょうがない子ねえ。じゃあ、ここだけの、秘密よ?
他の人には絶対言っちゃあダメだからね?
ママンは宝石箱を持っていたわ。
銀細工の、それはそれは素晴らしい品!
王様がお姫様の誕生を祝って特別に作らせたもので、
内側は深紅の天鵞絨貼り。
蓋の表にはアリッサとちゃあんとママンの名前が彫ってある……
―― 中には何が入ってるの?
―― 宝石箱ですもの、色とりどりの宝石よ! どう、素敵でしょう?
「とはいえ、この話は僕も、長い間、すっかり忘れていたのですが」
庭で指を指す、母のその仕草を目の当たりにした瞬間、全てが鮮明に蘇ったのだと青年は言った。
「ひょっとして、藤木さん、お母さんがそれを庭に埋めたと考えてるの?」
「これ、フシギ君」
「率直に言えば――そうです」
長い腕を振って室内を指し示しながら青年は言う。
「何故なら、僕は家の中でそんなもの……宝石箱なんて一度だって目にしたことはありませんからね」
藤木は改めて庭を振り返った。
「そう言う訳で、僕は母が指し示した場所を片っ端から掘り返しました。興梠さん、あなたがお気づきの通り、あの穴はそれです」
美しい庭には至る処掘り返されたその無残な痕が残されていた。
探偵の横に駆け寄って並んで庭を眺めながら志義が訊く。
「でも、結局、宝石箱は見つけられなかったんだね?」
「ええ」
優雅に肩を竦めるとスラヴの血を引く青年は答えた。
「もうこの上は母に直接、正確な場所を聞くしかないと思いました。その時、雑誌で偶然あなたの写真を見て――」
「ああ、あれか! 《新青年》の(新時代の探偵)特集に乗ったやつでしょう? ウーステッドの背広が
「おい、フシギ君……」
写真の出来はともかく、興梠探偵社の探偵、興梠響その人が自分の父親の若い頃に酷似していることを知った藤木・エミール・雅寿は、藁をも掴む心境で丘の上の洋館を訪れた、というわけである。
「さっきの母の反応をご覧になったでしょう? 僕の考えは間違っていなかった! 興梠さん、あなたなら、絶対、母から宝石箱の隠し場所を聞き出せますよ!」
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