第9話 仕草:1


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「こりゃまた――派手にばら撒いたものだな!」

 足元に花を零して乙女は困惑して立ち尽くしていた。

「笑ってくださって結構よ! ええ、私は欲張りなの。だってあんまり綺麗だから……持てるだけ持って帰りたかったの、私の部屋まで」

 半分泣きそうになって乙女は言うのだ。

「私の部屋って、物凄く陰気で暗いんですもの!」

「それなら、これをお使いなさい」

 通りがかったその青年がリュックから取り出したものは――

「スカーフ?」

「風呂敷というんですよ。僕の国の言葉で。ああ、そんなんじゃダメだ、どいて」

 慣れた手つきで青年は散らばっていた花を拾い始めた。ちゃんと花片はなびらの部分は外へ出して、くるくると巻いて縛り上げる。

「まあ! なんて器用なの?」

 肩越しに覗き込んで感嘆の声をあげる乙女。

 さざなみのような金の髪と鴉の羽のような青年の黒髪が一緒に揺れた。

「魔法みたい! 何と言ったかしら? オリガミ――そう、折り紙みたい、その布!」

 興奮して乙女は叫んだ。

「私、11年前のパリ万博で見たわ、折り紙のマジックを! 6歳だったけど未だに憶えてる!」

「ああ、そうですか? 連日、鶴や船や風船を折るのが実演されたそうですね?」

 一枚の平たい纸から立体の様々な物体が出現する様を目の当たりにしてパリっ子たちはそれを〈魔術〉と呼んで喝采したとか。それはともかく、

「……さあ、できた!」

 瞬く間に篭に入れたブーケのように仕上がった風呂敷包を青年は差し出した。

「どうぞ! これで大丈夫、 全部おうちまで持って帰れますよ」

「ありがとう。それで――」

 乙女は悪戯っぽく微笑んで見せた。

「刀は何処に隠してらっしゃるの、サムライさん?」

 明るい笑い声が響く。

「西洋の人は皆、それを言うな! 僕たちが刀を振りかざしていたのは大昔ですよ?」

 青年はポケットを探ると、

「しいて言えば――今の僕の武器はこれかな?」

 東洋の青年の手の中にある絵筆を見て乙女はまた目を瞠った。透き通った水色の目。パリの空よりもっと薄い蒼。

「あら、あなたは絵描きさんなのね?」

「いや、今はまだ違います。でも、いつか、きっと……」

 こちらは黒曜石のように濃い瞳を輝かす青年だった。

「そう呼ばれるのが僕の夢です。そのために、僕ははるばる海を渡って来たんですから!」

 乙女は頬を染めて尋ねた。

「じゃ、今は何とお呼びすればいいのかしら?」

「ハァ?」

「だって、〈未来の絵描きさん〉では長くて不便ですもの」

「?」

「名前を教えて、と言っているんです」

「ああ、そうか! 僕の名は……僕の名はね……」


 1911年、春。

 仏蘭西フランスはパリを望む、通称〝要塞の土手〟にて。

 

 その日、空は青く澄み、風は甘く二人を摺り抜けて吹き過ぎて行った……



 *.:*:.。.: *.:*:.。.:




「May I help you ?」

「?」

 でなければ

「Est-ce gve je deviendrai pouvior ?」

「WERDE ich macht warden ?」


 先刻より門扉の前で行ったり来たりしている人影に、思い余って志義しぎは声をかけた。

 目の覚めるような長身、赤毛ストロベリーブロンド、白い肌に、薄い水色の瞳。年齢は20代半ばといったところ。

 振り返った美青年は少し悲しげに眉を寄せた。

 志義が慌てて、

「英語でも仏語でも独語でもない? じゃ、オランダ語? それともスペイン語ならお分かりになりますか?」

 美青年は首を振って志義の言葉を遮った。

「ありがとう。でも、大丈夫ですよ、日本語で。と言うよりも――僕は日本人です」

「え?」

 吃驚して目を見張る。

 眼前の青年はどう見ても〈西洋人〉にしか見えなかった。

 父の仕事の関係上、幼い時から西洋人と交わって育った志義の目を通しても。

「あ、これは、失礼しました。僕は、てっきり、あなたが、そのーー」

 頬を染めて謝罪の言葉を探す少年に、西洋人のような青年は手を振って詫びた。

「こちらこそ、却ってお気を使わせて申し訳ない。間違えるのは君だけじゃないよ。どうも、僕は――」

 青年は赤い髪を掻き揚げた。

「母の血の方を濃く引いてしまったらしい。僕は父親が日本人、母親がフランス人なんですよ。藤木・エミール・雅寿まさひさといいます」

 声をかけてもらって助かった、と青年、藤木は笑った。

「中々、門の中に入って行く勇気が出なくて。君は――この探偵社と関わりのある人ですか?」

 よくぞ聞いてくれた、とばかり志義は中学の制服の胸に手を置いた。

「ええ、僕はここ興梠こおろぎ探偵社で助手を勤めている海府志義かいふしぎというものです。何か――探偵に用事でしょうか?」

 門扉を押し開けながら弾んだ声で言った。

「そういうことなら、僕がご案内します!」


 少々誇張があるとは言え、この少年、海府志義がここ興梠探偵社を開業している探偵・興梠響こうろぎひびきの助手だというのは事実である。

 少年自身、将来は探偵業に就きたいと熱望している。

 そういうわけで、学校の授業を終えると毎日のように丘の上の洋館、元医院だった探偵社へ足繁く通っているのだ。

 とはいえ、この探偵社、お世辞にも繁盛しているとは言い難いので、たいていどうでもいい話をして時間を潰し、猫に餌をやって、夕方、自宅へ帰るのが日課だ。

 今日、やってきた混血の青年こそ、何ヶ月ぶりかで現れた貴重な、本物の、依頼人らしい。

 志義は制服のポケットの中で拳を握り締めた。

(やったぁ! こりゃ、この依頼人おきゃくを絶対に逃すわけにはいかないぞ!)



「実は、僕がこちらを訪ねるのを躊躇していたのは――こんなことを依頼していいものかどうか迷ったせいです」

 腰を下ろした探偵社の事務所。

 広い洋館の二階、元、応接室と思われる豪奢な一室である。

 片側の窓には時代物のステンドグラスがはめ込まれていて黄色、緑、赤、美しい光の漣を床に零している。明治時代に渡欧した探偵の祖父の趣味である。部屋の中央、据え置かれたチェスターフィールドの黒革のソファ――こちらは探偵の父の趣味――に赤い髪の青年はよく似合った。宛ら、一幅の絵のごとく。

(さしずめルーブル宮のパルミジャニーノの肖像画だな?) 

 帝大で美学を修めた探偵は心の中で思った。但し、この青年……

「どうぞ、おっしゃってみてください。遠慮はいりませんよ。僕でお力になれることなら喜んでお手伝いいたします」

「――」

 助手が運んできた紅茶に手をつけず、暫く青年は押し黙っていた。

 漸く目を上げる。と、今度は目の前の探偵を食い入るように見つめた。

「?」

 探偵・興梠響は片手を伸ばして促した。

「さあ、どうぞ?」

「え? ああ、わかりました。では、言います。その、つまり――」

 薄い色の瞳が探偵の漆黒の瞳を真っ直ぐに覗き込む。

「母が、不思議な仕草をするんです」




 混血の青年、藤木・エミール・雅寿は言った。

「僕の母、アリッサ・藤木、旧姓アリッサ・レールモントフはパリジェンヌでした。父、藤木雅倫ふじきまさみちとは彼の地、欧州はパリで知り合ったのです」

 咳払いをしてから、

「僕の父、雅倫は若い頃、絵画を学ぶためにパリへ留学したんです」

「へえ!」

 部屋の隅に控えていた助手の志義が思わず声を上げた。

「この人のお父さん――そのフジキマサミチって、画家、知ってる、興梠さん?」

 これには、慌てて雅寿は手を振った。

「いえ、ご存知ないと思います。父は結局、画家にはなりませんでしたから」

「というと?」

「僕の父、藤木雅倫は留学先のパリで母アリッサと恋に墜ち、花嫁として日本に連れ帰った後、堅実な生活を選んで、フランス語の語学教師として一生を終えました」

 少年は露骨に落胆の声を上げた。

「なんだ、そうなの?」

「これ、フシギ君」

「筆を折ったことをさほど父は後悔してはいなかったと思います」

 青年の語気が心持ち強くなる。

「その父の決断のおかげで僕たち――母と僕は満ち足りた生活を享受しました。贅沢とは言えないまでも、飢えることなく平穏な日々を送ることができました」

「それは、何にも増して素晴らしいことです」

 力強く頷く探偵。

「それで、ご依頼と言うのは何なんです?」

「そうでした!」

 混血の青年は姿勢を正した。

「父は一年前に亡くなりました。脳梗塞でした。教壇で倒れて、そのまま息を引き取ったんです。あまりに突然の父の死に残された母の悲しみは深く、急激に衰えて――最近では車椅子がないと自分の足では身動きできない状態です。それだけではなく、精神状態もおかしくなって……記憶の方も怪しくなってしまいました」

 雅寿は辛そうに長い睫毛を伏せた。

「それは……ご心労ですね?」

「でも、ここは探偵社ですよ!」

 またまた部屋の隅から少年が声を上げた。

「病院ではないから、その件では僕たちさほどお力にはなれないんじゃないかな?」

「これ、フシギ君」

 眉を潜めた探偵を見て、逆に依頼人は緊張の糸がほぐれたようだ。

「アハハ……おっしゃる通りです! だからこそ、僕も、こんなこと依頼していいものかどうか大いに迷ったんです!」

 一頻ひとしきり笑った後で、西洋人にしか見えない青年は言い切った。

「でも、決心がつきました! お願いします。是非、母の〈仕草〉の謎を解いてください!」

「?」 

            






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