第14話 :6

 藤木邸に着くと、この日も依頼人は外出の支度をして二人を出迎えた。

「申し訳ない。僕は今日も、その、ちょっと、外に用事があって……」

 気まずそうに目を逸らして西洋人にしか見えない青年は言った。

「そう言う訳で、母のこと、よろしくお願いします」

「わかりました」


「何時に帰るかくらい確認すべきだったんじゃないの?」 

 雅寿まさひさがそそくさと出て行ってしまうと例によって志義しぎは不平を漏らした。

「いくら、時間制とはいえ、これじゃ僕たちテイのいい便利屋か家政婦みたいだ」

「別にいいさ」

 探偵は答えた。

「どうせ他に抱えてる仕事はないんだし。君が言った通りノアローだって僕がいないほうが存分に羽をのばせるだろう?」

「ちぇ」

 口の中で呟く志義。

「案外根に持つタイプなんだよな、興梠こうろぎさんて? きっと自分を振った女の人のこと一生涯憶えているクチ……」

「なんか言ったかい、フシギ君?」

「いえ、ナーンにも!」


 

 興梠がノックして寝室のドアを開けると、夫人はとっくにベッドに起き上がって待っていた。

 わざと怒ったふりをして腰に両手を置いて口を尖らせるいつものポーズ。

 いつも? 不意に興梠響は思った。

 いや違う。夫人がこれをやったのはもう四半世紀も前のこと。しかも、自分ではない・・・・・・、最愛の恋人の前だ――

「マサミチ! ひどいわ! こんなに私を待たせるなんて!」

「あ、ごめんよ、アリッサ」

 夫人の言葉に我に返る。

「今日も、その、授業が長引いてしまって……」

 アリッサは銀の髪を揺らして笑い声を上げた。

「いいわ、許してあげる。あそこへ連れて行ってくれるなら」

「……あそこって?」

「嫌だわ、忘れたの? あそこって言ったら、あそこしかないじゃない?」

「――」

「意地悪な人? からかってるのね?」

「――」

 一旦息を吸ってから、興梠は言った。

「またあそこ? 全く、君はあそこが好きだなあ!」

「あたりまえよ! だって、あそこは……」

「何、アリッサ? 聞こえないよ?」

「あそこは……あなたに出会った場所ですもの……」

「……アリッサ……!」

 さあ、ここだ! 今こそ肝心な処――

「ねえ、アリッサ? お願いだから、言ってみて。あそこ・・・って何処かな? 僕は君の口から聞きたいんだよ」

「もう! あそこは……あそこはね…」




「フシギ君! 志義君!」

「ど、どうしたのさ? いきなり……しかもその格好?」

 毛布ごと婦人を抱きかかえて階段を駆け下りて来た探偵を見て、庭にいた志義は仰天した。

「僕は昨日の続きで地面の穴を埋めてるとこだよ、それを一体――」

「そんなことはいい! 出かけるぞ! 君は車椅子を車に積み込んでくれ。入らない? だったら、トランクに括り付けたまえ、急いでくれよ?」

 シャベルを放り出して志義は後に続いた。

「そりゃ、いいけど。何処へ行くの? 藤木さんには断ったの?」


 



 車椅子はトランク(蓋を開けたまま)に括りつけた。夫人は助手席、志義を後部座席に乗せて新型のビートルは颯爽と走り出した。

「ねえ? 一体何処へ行くつもりなのさ?」

「取り敢えず、ここから一番近い木々の生い茂った〝丘の上〟だ」

 ハンドルを切りながら探偵は助手に説明した。

「ひょっとしたら夫人の言っている〝あそこ〟とはそういう場所かも知れない」

「庭じゃなく? でも、変だよ、それ」

 早速、異議を唱える探偵助手である。

「庭じゃなかったら、宝石箱を埋めて隠すことなんかできないでしょ? 自分の土地でない場所に宝物なんか埋める人はいないよ。興梠さんの推理は破綻している」

 辛辣な助手の言葉に、いつものように数を数える代わりに興梠は悲しそうに微笑んだだけ。

 助手席の夫人は少女のように頬を火照らせて車窓を飛び去って行く景色を物珍しげに見つめている。


 


 その小高い丘。

 麓の路肩に車を止めると、車椅子を下ろして興梠は婦人をそっと座らせた。

 寒くないように丹念に毛布で包んでやる。

 そうして、車椅子を押して茂った木々の道を頂上目指して歩き出した。

 頭上、天蓋のごとく続く赤い色……!

 それは紅葉した木々の風景――

 晩秋の頃、突然出現する赤の世界……!  特別のrouge……!


「ほうら、アリッサ! 見てごらん!」

 興梠は車椅子の中の夫人に語りかけた。

「綺麗だろう? 赤いアーチ……赤だ! rouge!」

「……」

 アリッサ・藤木は目を輝かせて周囲の色づいた木々を見上げた。

 が――

 

 それだけだった。

 

 嬉しそうに微笑んだものの、それ以上の反応は示さなかった。





「どうやら、ハズレだったみたいだな?」

 日頃、冷静沈着な探偵にしては、珍しい。

 頂上に着いて車椅子を止めると、沈痛な面持ちで倒木の上に腰を下ろした。

「てっきりこれだと思ったんだが」

「夫人の言う色――赤――が紅葉した樹木だって?」

 率直に呆れた声をあげる志義。

「まあ、その発想自体は悪くないけど、宝石箱はどうなるのさ? アリッサ夫人を連れて行くなら、こんな丘の上じゃなくて自宅の庭の紅葉する木の下じゃないと意味がないよ」

「だが、アリッサははっきり言ったんだよ。〝丘〟だって」


―― 〝あそこ〟は私たちが初めて出会った場所……塹壕の土手の奥……

     パリを見下ろす丘の上よ。

     それ以外、ないじゃない、マサミチ?


 丘の上で、一面見晴かす赤と言えば、〈紅葉〉。

 アリッサの言葉ではないが、これしかない・・・・・・ではないか・・・・・……!


「うーん、確かに、ここは〈丘〉だし、周り中、〈真っ赤〉って条件も合ってるけど――残念だったね?」

 いつにない探偵の落胆ぶりに流石に助手は同情したらしい。こちらも、いつになく柔らかな口調で励ました。

「まあ、そう、気を落とさないで、興梠さん。まだまだ謎を解明するチャンスは残ってるよ」

「そうだな。じゃ――帰るとするか」

 探偵は腰を上げた。

 気を取り直して、夫人の車椅子に手を置く。夫人は人形のようにおとなしく座っていた。恋人の傍にいるだけで幸せだという風に。

 Uターンして今来た道を引き返し始める。

 数年前流行った《パリの屋根の下で》のシャンソンをハミングしながら志義もついて来た。

 いつかいいことがあるよ、心ときめくような出会いが、巴里の屋根の下で……こうして二人は結ばれた、巴里の屋根の下で……いつかいいことがあるよ、心ときめくような出会いが……巴里の屋根の下で……

 

 樹木の林を抜け出た時だった。

「あー」

 突然叫んで婦人が立ち上がった。

「アリッサ?」

「あれれ?」

 探偵とその助手が見つめる中、アリッサは車椅子を降りるとヨロヨロと歩き出した。

 丘の中腹。

 ちょうどその一画だけ樹木が途切れたせいで、眼下には真っ赤な大地が――

 いや、違う、正確に言うと紅葉した樹木の風景が視界いっぱいに広がっていた。

 宛ら、赤い絨毯のように。

 

 その時だった。

 アリッサはそれをした。

 すっと右手を伸ばして、人差し指を突き出すあの仕草を。


「ええっ? こんな処で?」

「しっ、フシギ君……」




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