第4話 :4
「遅いよ!」
繁華街。当世流行りの
悠然と入って来た探偵に少年は頬をふくらませて抗議した。
「どのくらい待たせれば気が済むんだ!」
「こっちにも都合ってものがある。そんなに急ぐんなら、君が直接来ればいいだろう?」
翌日、早速少年に呼び出された探偵だった。
とはいえ、グレンチェックのコート、お揃いのハンチング、アスコット巻きにしたマフラー、と身だしなみは完璧である。
「あそこは遠すぎるよ! あんな丘の上! そう毎回タクシーってわけにはいかない。この件は父様には内緒で僕が小遣いをはたいてるんだ。それにさ、あんたは愛車を持ってるじゃないか! あれ、フィアット508?」
「それからね、依頼人は大切にすべきだぜ? ホームズだって『誰それさんから噂を伺いまして』って芋蔓式に依頼者が訪れてるじゃないか」
「わかったよ」
心の中で十回、数をカウントするのにはもう慣れっこの探偵だった。
この年頃と付き合うには言い争ってはダメだ。むしろ寡黙な方がいい。必要最低限の話だけをするべし。
「で? 何の用なんだ?」
「新しい絵が届いたんだ」
「え?」
正直この展開は予想していなかった。
では、あの二枚で終わりではなかったのか?
まだ続きがある?
「今朝、玄関に置かれているのを、今度は執事が見つけた。これだよ」
少年は喫茶店の重厚なマホガニーのテーブルの上にその絵を置いた。
サイズは同じ。カンバスの2号。だが――
今度ばかりは、帝大の美学卒の探偵・興梠響にはひと目でわかった。
「これは……模写だよ!」
「え? 本当? 知ってるの?」
「当たり前だ。元絵はあまりにも有名……」
いや、有名過ぎた。
興梠が口を開く前に志義は包み紙を差し出した。
「――」
受け取って、重々しく頷く探偵。
「ね? 今度は書き損じてないだろ?」
その通り。ちゃんと〈
「どう思う?」
興梠は呻いて一言。
「コーヒー!」
「え?」
「僕に濃いコーヒーを!」
コーヒーを運んで来た女給を見て志義が露骨に鼻を鳴らした。
「品が悪い!」
「君の姉様というわけには行かないさ」
流石に興梠が注意する。
「だがな、彼女たちは生きるために一生懸命頑張っている立派な労働婦人だぜ」
「違うよ。僕が言ったのはエプロンのことさ!」
自分がオーダーしたアイスクリームを金のスプーンで掬いながら志儀は言った。
「僕の家はレース製造卸だと言ったよね? 直営店の売り子さんは全員エプロンをつけてる。それがユニホームでもあるんだ」
「そう?」
絵の方をルーペで丹念に見ながら気のない返事を返す興梠。
「ウチのエプロンはあんなものじゃない!もっと清楚で気品があって、そのくせ華やかなんだ! 自社製のレースをふんだんに使ってて、結婚祝いなんかに好まれる人気商品なんだよ」
「へえ?」
「……興梠さん? エプロンなんてどれも一緒だと思ってるだろ? 自分はお洒落なくせにさ」
アイスについていたウェハースを音を立てて噛み齧って志義が呟いた。
「そんなだから女性にモテないんだよ」
興梠は絵から顔を上げた。
「僕がモテないってなんでわかる?」
「そりゃわかるよ! あなたの家、まるっきり女っけなしだったもん!」
「ひ、広いからだろ? こう見えても、女友達の一人や二人……」
「広さは関係ない。まあ、謂わば、整い過ぎてるってことかな? わかる? わかんないかなあ? あなたの家にはね、〝華やかな乱雑さ〟がない。〝甘美な混沌〟に欠けている。女友達なんているもんか!」
「クッ」
(1、2、3、4、5……)
「どう?図星だろ? 基礎だよ、ワトスン!」
高らかに笑った後で少年は身を乗り出した。
「それで? その三枚目の絵からわかったことは何? 今度はあなたが僕を驚かす番だよ?」
「この絵は竹内栖鳳の《班猫》の完璧な模写だ。違うのは絵のサイズと油絵で描いてある点だけ」
「?」
「オリジナルの《班猫》は日本画だ。竹内栖鳳は我が国を代表する日本画家なんだ」
帝大で美学を学んだ探偵はざっと説明した。
「今度、事務所へ来た時に、画集を見せてやろう。だが、ほとんど、ここに描かれている通りだ。
本作は大正13年に描かれた。画家が沼津に滞在中、彼の地の八百屋の猫に魅せられてその場で買い取って描いたそうだ。この」
パーカーの万年筆で猫を指し示しながら、
「毛並みが反時計回りになってるだろ? それから、猫自身のポーズもまた反時計回り。だから、見る者を終わりのない渦の中、半永久的な空間へと誘う……」
「ホントだ! 吸い込まれる気分になる!」
油絵に模写しても全く違和感がないのは竹内栖鳳の有している画風のせいでもある、と興梠は思った。
この画家は若い時、欧州に渡ってコローやターナーの影響を受けた。だから、日本猫を描いても何処か異風の香りがする。
まさかとは思うが――
まだ熱心に猫に見入っている少年に、一応探偵は訊いてみた。
「君や君のお姉さんの取り巻き連中、またはお父上の知り合い等、君の家に出入りしている人の中で手に絵の具をつけている人なんかいないだろうな?」
「うーん……ちょっと思い当たらないよ。悪いけど」
「いいさ。こっちもそうスラスラと上手く行くとは思っていない」
探偵小説じゃないのだから。
「それより――君に一つ頼みがあるんだが」
「へえ? 何? どんなこと?」
興梠はポプラ並木の下の舗道に車を止めて待っていた。
少し先に少年の自宅――興梠の住む丘の上の洋館に勝るとも劣らない煉瓦張りの豪奢な大邸宅が見える。
さて、時間にして小1時間。
コツコツ……
窓ガラスを叩く音で読んでいた本から顔を上げる。
「お待たせ!」
興梠がドアを開けると少年は冷たい風と一緒に助手席に滑り込んだ。
「ご要望通り――持って来たよ、ほら!」
運転席の興梠の膝の上にバラバラと投げ出された数枚の写真。
「目星いヤツを粗方アルバムから剥いで来たんだ」
「悪いな。見終わったらすぐ返すから、待っててくれ」
本来なら自分の足でやるべきことなのだが、今回は時間がない。
少年が家から持ち出したもの――探偵が依頼人に求めたもの――とは、姉・六花子の熱烈な崇拝者たちの写っている写真だった。
謎の絵は三度とも直接玄関先に置いてあったのだから、ある程度家の事情に詳しい者、出入り可能な人間である。と、そこまでは興梠は読んでいた。
一緒に写真に写るくらいの仲。
そして、三枚目の絵を見て決定的になったもうひとつの〈特定要因〉とは――
興梠は素早く写真を繰って行った。その様子を少年は助手席のシートに凭れてぼんやりと見ていた。
年頃の美しい娘とそれを取り巻く青年たちの写真。
思いのほか多かった。
パーティ会場に夏の高原。
ロッジ、スキー場のゲレンデ、薪の燃える暖炉の山荘、湖の畔。
それから、これは何だ、植物園の温室? 音楽会の会場。劇場のロビー……
二、三枚の写真を残すとそれ以外を少年に返した。
「そっちはもういい」
「何? 気になるものを見つけたの?」
おおよその顔ぶれは絞り込んだ。
六花子の周囲にはいつも大勢の取り巻きの青年がいた。(少年の言ったことは誇張ではなかったのだ。)
それも当然のこと、と興梠は思う。
幼くして母を亡くしたとはいうものの苦労知らずに育った資産家の美しい娘。
だが、美しいだけではない。
興梠は素直に認めた。
その娘の持つ――何だろう? 何と言えばいい?
涼風? せせらぎに足をつけた刹那、感じる清冽さ?
そして、なにより、溢れるような……溢れるような光の粒子。
光の国に住む乙女だった。
男たちはこの種の娘に魂を鷲掴みにされる。
一生涯守り抜いてやりたいと心に誓うものだ。
自分自身が毎日、一番近くでその芳しい光に照らされたくて……!
かく言う自分もかつて一度その光に照らされ、そして、取り逃がしたことがある。
「泣いてる? 興梠さん?」
「まさか」
孤独な探偵は親指で頬を擦った。
「悪いけど、姉さまは誰とも結婚なんかしないよ!」
容赦なく少年は言った。
「そんな風にたくさんの男どもに取り巻かれてるけどね? でも誰とも結婚なんてしない」
「何故?」
「だって、その中の誰一人も好きじゃないから!」
「どうしてそう言い切れる?」
「そ、それは」
言い淀む少年。だが、きっぱりと言い切った。
「直接、僕に姉さまがそう言ったから! どんな男も好きじゃない。一生、誰とも結婚なんかしない。ずっと僕と一緒にいるって」
「それはいつの話? それを聞いたのはいつだい?」
少年の目が怒りに燃えた。だが、ここは探偵が押し切った。
「それをお姉さんが君に言ったのはいつ?」
「……5年前」
「なあ? 5年も経てば人は変わるよ」
特に少女は――
「君だってそれはわかってるだろう?」
「
探偵の言葉を少年は遮った。
爪を噛む。
寂しい魂がここにも一つ。
二人の代わりに空が涙を零してくれた。
鉛色の空から雪が降り始めた。
注:☆三枚目の絵はマニアックです。
謎を解くには一枚目と二枚目の絵の方が向いています!
既に一枚目、二枚目の絵の意味を読み取ったあなたは三枚目の絵に描かれている〈共通点〉を探してお楽しみください。
★ヒント;三枚目の絵の中には先に届けられた絵のどちらかと明らかに共通する部分が一箇所あります
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