第42話 :13
「今回、明らかに
探偵舎事務所の革張りのソファにふんぞり返って
「
「フシギ君。僕のミスを指摘するのは全然かまわないけどね」
ビューローに肘を突いてコメカミを摩りながら辛抱強く興梠は言った。
「海パン1枚で事務所内をうろつくのだけはやめてもらえないかな?」
「どうしてさ?」
助手は鼻を鳴らした。
「どうしてって、エチケットってものがあるだろう? 自慢じゃないが僕はね、服装
「フン、依頼人なんかめったに来ないくせに」
「うっ」
「それに、あの高原の冷涼な空気を体感しちゃったから、僕、この邸の中が暑くって耐えられないんだ」
「熱くて耐えられないんなら猫なんか膝に抱かなければいい」
「あ、な~んだ!」
少年の目が煌めく。
「イライラしてるのはそのせいか? 僕の海パン姿じゃなくて?」
舌を出して助手は笑った。悪魔の微笑。
「これも仕方ないよ。僕が座ったとたんすぐ膝に飛び乗ってくるんだから、ノアローのヤツ」
ああ言えばこう言う。
「わかった」
遂に探偵は観念した。
腹を
クルリと椅子を回して、半裸の助手と向き合う。
「今回の僕の取り返しのつかない失策に関する君の意見を拝聴させてもらおう。さあ、言ってみたまえ」
待ってました、とばかり助手は人差し指を立てた。
「失策その1! 興梠さんは
雪宮暉は弟に成りすまして逃亡を企てたのだった。
弟の着物を着て、オールバックの髪を乱して肩に下ろし、車椅子を愛車に積んで駅まで乗り付けた。
上りに乗り遅れ、探偵たちに追いつかれはしたものの、何とかその場を繕って、次の汽車に飛び乗る魂胆だった。乗ってしまえば、適当な駅で下車して元の服装に着替えればいい――
一方、弟である画家はあの時、邸の自室の納戸に閉じ込められていた。
家捜しさえすれば発見できたはずだ。だが、暉の逃亡を気にかける興梠たちはそれをする余裕がなかった。
「和服は体型を隠しやすいとか、乱れた髪で顔が見えにくかったなんて言い訳はこの際通用しないよ? 何故なら」
ここで志儀は腕を組んで首を傾げた。癖毛の赤い髪が美少年の剥き出しの鎖骨を掠る。カラヴァッジョの構図。目に毒である。
「ほら! 目を逸らさないでちゃんと訊いてよ? 雪宮暉の成りすましを見抜けなかった、そもそもの理由こそ、もう一つの――興梠さんが犯した
1度大きく息を吸ってから勝ち誇って少年は叫んだ。
「興梠さんの最大のミス! 僕がせっかく引っ張り出したあの絵を見誤ったこと! これさ!」
探偵は深々と頭を下げた。
「弁解の余地はない。申し訳ありませんでした!」
助手の
あの日、刑事とともに邸内の全ての部屋を調査した際、最後の1室、画家のアトリエの納戸で見つけた〈絵〉のことだ。
〈 テニスウェア姿でラケットを抱えて微笑む少年の絵 〉
あれは自画像ではなかった。
あれは画家が、自分ではなく
雪宮兄弟、暉と晧は双子の兄弟であり、中学生だったその年代、二人はまだよく似通っていたのだ。
その後、壮健な兄は順調に成長して大柄で男性的な風貌になった。一方、画家の方は少年の面影を留めた――
「あの時、興梠さんが『人には触れられたくない部分がある』なんて、知ったかぶってセンチメンタルなこと言わずに、きちんと絵について訊いていれば良かったんだ!」
実際、画家は手帳に綴って答えようとしていた。
―― 違います。それは僕の
兄の絵です。
「全く持って返す言葉はありません! 全て浅墓な僕のミスです! 許して下さい!」
「よろしい」
助手は膝の黒猫を撫でながら満足げに頷いた。
「素直に失策を認めて謝ったから、今回は特別に大目に見てやるよ。でも、その代わり、また何処かへつれてってよ? まだ夏休みは残ってるんだから、そうだ、今度は須磨の海岸がいい! 海水浴に行こう! 僕ならこのまますぐ行けるよ?」
君はそうだろう。海パン姿の君なら。
「待ちたまえ。僕は仕事が残っている。まずは郵便物の整理をしなくては――ん?」
手紙の封を切った探偵は眉間に皺を寄せた。
「どうかした? またフシギな手紙が届いたの? 今度は何処からの依頼さ?」
「いや、これは梓嬢からの礼状だ。今回の僕たちの協力を深く感謝している、とさ。そして、結婚の報告でもある……」
「ええええ?」
《 私たち、夏休みの間に結婚式を挙げました。
私は新妻として女学校に通い、卒業することにします。
あれほどの騒動を起こした後で、早急過ぎると思われますか?
婚約を破棄し、その結果、婚約者が凶行に走り、逮捕される――
正直申して、世間の目は冷たいです。
雪宮家の名を汚した原因は私にあると噂されています。
でも、だからこそ、決心しました。
こんなことに負けてはいられません。
この先何が起こるかわかりませんもの。
もっともっと辛いこと、悲しいことが私たちを襲うかも知れません。
私たちは二人で力を合わせ、お互いを支え合って、
これからの人生をともに歩いて行こうと誓いました。 》
「まあ、あんなことがあった後だものなあ! 愛する者同士、もう1日だって待てないってわけか」
「二人の幸福を心から祈るよ」
「でも、そのわりに……その
手紙を見つめる探偵の尋常ならざる表情に気づいた助手がソファから立ち上がる。黒猫はサッと部屋から駆け去った。
「興梠さん、
流石に同情して、志儀は探偵を慰めた。
「大丈夫さ! 興梠さんだっていつかきっと……素敵なヒトに巡り会える……機会はあるかもしれない。だから、自暴自棄になっちゃだめだよ!」
「違う」
探偵は首を振った。
「僕が今、酷い顔をしているとしたら――それは、自分が情けないからさ!」
いかにも辛そうに奥歯を噛み締めて
「どうやら……僕の今回のミスは二つじゃない。
探偵は手紙に挟んであった写真を抜き取ると助手に渡した。
「見たまえ、フシギ君、梓嬢の結婚相手……」
「あーーーっ!」
モノクロの写真にはK沢のチャペルの前で微笑む花嫁が写っていた。軽やかな洋装――ウェディングドレス。その清楚な裾を揺らせて花婿の膝に腰かけている。車椅子に座る花婿の膝に。
清水梓の最愛の人とは、雪宮晧だったのだ!
幸福な新婚夫妻の後ろで男泣きしている柴崎刑事から目をそらして、祝福の一句をひねり出す探偵だった。
〈 木漏れ陽を 夏の花嫁
末永くお幸せに!
★ 追記
今回の旅では同じN県在住の湯浅香苗さんとも再会を果たしました!
K沢駅のホームで見送りに来た香苗さんとの写真も同封されていました。
(撮影/雪宮梓)
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