第41話 :12

「しまった! やられた……!」

 

 時、既に遅く、雪宮ゆきみや邸はもぬけからだった……!

 いつもは硬く閉ざされていた玄関が鍵もかけずに開けっ放なしになっている時点で嫌な予感に襲われた刑事と探偵とその助手。

 広い邸内は森閑としてひかるの姿も、そして、何より、車椅子の画家の姿も見当たらない。


「まさか、雪宮暉ゆきみやひかるは僕たちがあずさクンを救済したのを知った?」

「有り得るな! 牧師の別荘へは、途中、自転車を置いて置かなけりゃならない」

 状況を思い出して眉間に皺を寄せる探偵。

 何らかの異変を感じ雪宮暉は〈覗水しすい亭〉にやって来たに違いない。そして、別荘へ続く道の端で……

「暉さんは僕たちが乗り捨てた自転車を見て、全てを察知した……?」

「いつもは停めてある乗用車がないよ!」

 息せき切って助手が報告した。

 いち早く、車庫を確認して来たのだ。

「よほど急いで出て行ったんだろうな! 車庫も鍵が掛けられていない。2台ある車の、その内の1台がなくなっている――」

「クソ! 電話線も切られているっ!」

 警察に連絡しようとして電話に飛びついた柴崎が悪罵した。

「車で逃げたのなら、即刻、周辺道路に警戒網を敷かねば! 国鉄と平行して走っている国道18号線を先ず1番に――」

「駅から汽車という可能性もあるよ?」

 助手の言葉に探偵も頷いた。

「とりあえず、駅へ行きましょう、柴崎さん! 今ならまだ汽車に乗るところを取り押さえられるかもしれない。それがダメでも、駅長室から警察に連絡できます」

「それにしても……あきらさんを人質に取られるとは失態だ!」

 刑事は歯を食いしばった。

「梓クンもあれほどそのことを気にかけていたのに……」



 避暑地として名を馳せるK沢駅は全国に誇る瀟洒な駅舎である。

 何しろ特等室(1等室)利用の乗客が日本1多い土地柄なのだ。

 欧州のそれのごとく赤い屋根に白漆喰の壁。1階には1等室、2等室、それぞれの乗客のための待合室が完備され、2階には皇族用貴賓室まで用意されている。それでなくとも――王侯貴族ならぬ一般庶民の身でも、この華麗な駅舎を目にすれば老若男女、押しなべてメルヘンの世界への出入り口と思うだろう。

 とはいえ、今日ばかりはそんなロマンチックな夢想に浸っている暇はない。自転車を連ねて駅前のロータリーへ飛び込んだ刑事と探偵と助手の三人。雪崩を打って改札を抜ける。

 ちょうど高崎・大宮から首都へ向かう上りが出た後だった。

 落胆しかけた時、ホームの端にポツンと止まる車椅子が目に飛び込んで来た。


「晧さん!?」


 駆け寄る三人。

「良かったァ!」 

「ご無事だったんですね?」

「ご安心ください! 僕達の手であずささんは無事救出しました!」


 即座に画家は懐から手帳を取り出した。例のごとく素早く筆記する。

 画家自身も大変な眼に合ったことは一目瞭然だった。

 肩までの髪はぐしゃぐしゃに縺れて顔を覆い、平生はすっきりと着こなしている白地の絣もあちこち引き攣って捩れている。

 だが、大きな怪我はなさそうだ。

 そのことが1番の懸念だった刑事と探偵と助手は安堵の息を吐いた。

 

 ―― 兄は今の汽車で逃げました。

    僕をここまで連れて来たけれど、

    却って足手纏いになると思ったのでしょう。

    僕を置いて兄は一人で飛び乗りました。



「ただちに連絡して来ます!」

 柴崎は身を翻すと駅長室に駆け込んだ。

 残された探偵と助手は暗澹とした思いで言い合った。

「今ホームを出て行ったのは各駅停車だな。これは、してやられたな?」

「うん。何処に降りるかわからないから捜索はやりづらくなるね?」

 一旦小さな駅で降りて姿をくらまされたら、探し出すのは容易ではない。そのことを興梠こおろぎ志儀しぎも知っていた。

 と――ここで二人、ハッとして口を閉ざす。


「探偵さーーーん……!」


「!?」

 白い駅舎に響く凛とした声。

 稲妻に貫かれたごとく探偵と助手は声のした方を振り返った。


「あ!」

「梓さん?」


 拉致監禁されていた令嬢、悲劇の婚約者フィアンセが、洋装のスカートの裾をはためかせて今しもホームへ駆け込んで来た。

 頭部は血の滲みた包帯姿。だが、その腕には、黒猫をしっかりと抱いている――

「梓さん? 一体どうして貴女あなたここ・・に?」

「居ても立っても居られなくて、私も追いかけて来たんですわ! だって、もう縛られているわけじゃなく自由の身ですもの!」

 煌く汗を拭いながら胸を張って令嬢は言う。

「途中で自転車をお借りして……」

 ちょうど行き逢ったサイクリング中の外国人家族から借り受けたそうだ。

「それで、雪宮の邸に飛び込んだところ、どなたもいらっしゃらないから……」

 また全速力で自転車を漕いで駅に至ったというわけだ。

「名推理です!」

 讃える探偵。

「流石、女学生!」

 猫を受け取りながら助手は感嘆の声を上げた。

今日日きょうび、自転車を扱わせたら女学生に敵う者はいないからなあ!」

 その後で思わず呻いた。

「こりゃ、よほどスピードを出したな? ノアローが硬直してる!」

 その通り。あの、いついかなる時も泰然自若の黒猫が失神状態である。

 前籠に入れて漕ぎに漕いだ令嬢、可愛らしい唇をすぼめて、

「だって……大切な人の身に何かあったらと思うと、私……」

「柴崎刑事は、今、駅長室です。事件の全容を報告しています」

 興梠は口早に説明した。

「残念ながら雪宮暉ゆきみやひかるさんは取り逃がしてしまいました」

「でも、あきらさんは無事だよ! ひかるさんが汽車に乗る前に解放したんだ。ほら、あそこ――」

「あ!」

 志儀の言葉が終わらないうちに令嬢は走り出した。

 突撃するごとく駆け寄ると、車椅子の取っ手に手を置き、そのまま――


「え?」

「梓さん?」

 

 そのまま物凄い勢いでホームの端へと押して行く。


「なんて真似――」

「やめろ! 落ちるぞ!」

 思わず絶叫する興梠と志儀。

「危ない――!」

 

 間一髪!

 溜まらず飛び降りた車椅子の乗人。


「早くっ! この人を捕まえてっ!」

 

 令嬢の声がホームに響き渡った。


この人が・・・・暉です・・・! 雪宮暉……!」

「ええええ?」

 

 仰天して立ち尽くす探偵と助手。

 次の瞬間、画家は猛烈な勢いで走り出した。

 走り出す・・・・


「早く! 暉さんを……あの人を捕まえてっ!」


 我に返った興梠、追って走り出す。志儀も猫を小脇に抱いて続いた。


「待てえ!」


  

「何の騒ぎだ? え? え? え?」

 遅れて駅長室から出てきた柴崎。

 訳もわからぬまま、しかし、警察官の本能か、体が反応した。

 即座に逃走劇に加わる。

 興梠がタックルし、その上に志儀が覆いかぶさり(猫を抱いたまま)、柴崎が手錠をかけた。


「観念しろ! 雪宮暉っ! 婚約者への障害と……誘拐監禁の罪で……逮捕する!」

 


 こうして、三人、力を合わせて無事、容疑者を取り押さえることに成功した。





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