第20話 :4
「何故、あんなこと言ったのさ? 信じるに値する、なんて……」
帰りの車中。
早速、
「ーー」
「ちぇ、だんまりかぁ!」
探偵はハンドルを握って前方を見つめている。
「いいよ。
後部座席から身を乗り出すと、一段声を落として少年は囁いた。
「でもさ、こう言ってはなんだけど、もう少し優しく、丁寧に話しかけてくれないと、嫌いになっちゃうからね?」
思わず急ブレーキを踏みそうになる探偵。
「君が?」
助手は澄まして言った。
「まさか。ノアローのことだよ?」
そのあとでニヤニヤして付け加える。
「僕なら大丈夫さ。だって、元々、僕は興梠さんのこと大――」
慌てて探偵は遮った。
「いや、その先は言わないでいてくれたまえ」
聞かぬが身のためだ。飼い猫と助手に嫌われていることをはっきりと知らされては、いくら孤高の探偵でもたまらない。
「ふううン? じゃあさ」
少年は質問の矛先を変えた。
「いつになったら僕を助手席に乗せてくれるのさ?」
「諦めたまえ。それは永遠に無理だから」
探偵には少年を助手席に乗せられない暗澹たる過去の思い出があった。
「残念だな。でも――ノアロ―を抱いてなら、どう?」
「う?」
今度こそ、探偵はブレーキを踏んだ。
細い路地に入っていて前後に車がいなかったのは幸いである。
「何と言ったんだ、今? フシギ君?」
後部座席を振り返って探偵は質した。
「あの
「アハハハハ」
猫を車に乗せる状況なんて想像できない。
ホッとして
「ホントに君はその名のとおりフシギ君だな? 馬鹿なことを思いつくもんだ! 猫を車に乗せるなんて、どういう状況だ? 傑作だよ! アハハハハ……」
「――」
さて、丘の上の洋館へ戻って、探偵の飼い猫に志義が餌をやっていると早速探偵の呼ぶ声がした。
「フシギ君、フシギくーん!」
「はーい、今行くよ」
探偵はソファの前の床いっぱいに分厚い美術書を何冊も拡げていた。
いずれも中世、ルネサンス期の宗教画だ。
「ギルランダイオ、コジモ・ロッセリ、ヤーコボ・バッサノ、ヒューグ・ジェーム、ベルナルド・ルイーニ。これらは《最後の晩餐》を描いている。こっち、フェデリコ・フォオーリ、バロッチ、ロレンツォ・ロットは《受胎告知》」
探偵は一つ一つ指差しながら説明した。
「ヤーコボ・バッサノは《エマオでの夕食》の2作品。他にはヤーコボ・ボントルモ。この《洗礼者ヨハネの誕生》はティントレット……」
猫を抱いてやって来た助手に探偵は訊いた。
「ところで、これらの絵を見て君は何か気づかないかい?」
「?」
暫く少年はじっと絵を見つめていた。
やがて、声を上げる。
「猫だ!」
「ご名答! わかったようだね?」
「わかったし、心から同情するよ、興梠さん!」
呆れたように首を振る助手。
「飼い猫が
「ば、馬鹿を言うのも程々にしたまえ! そんなことじゃない! ぼ、僕はそんな理由でこれらの絵を広げたわけじゃないぞ!」
探偵は少年の腕の中の猫から視線を逸した。
「僕が言わんとしているのはもっと重要なことだ。いいかい、思い出してみたまえ。さっき、依頼人の家の書斎に飾ってあった絵――大学時代に友人を描いたという絵だ――
「……そう言えば」
「僕はすぐ気付いたんだがね」
探偵は人差し指を立てた。
「あの絵の猫の部分はね、至って最近、描き足されたものなんだよ」
大学で美学を専攻した探偵はその道に詳しかった。
「その点は自信を持って言える。意識的にタッチも変えてあるし、一目瞭然だった」
「で、でも、夫人は『夫は、最近は全く絵筆を持つ時間がない。絵の具箱を開けていない』って言ってたじゃないか」
「だから、妻の目を盗んでこっそり描き加えたんだろう」
「何故?」
「そこさ!」
的をを射たり、とばかり探偵は両手を叩いた。とたんに少年の腕から黒猫が飛び降りる。
「あ! ノアロー?」
探偵の英国スタイルのズボンの裾を掠めて、物凄いスピードで部屋から飛び出して行った。
「……」
(こうまであからさまに俺は嫌われているのか?)
「あ、なるほどな!」
空になった両手を助手も派手に打ち合わせた。
「わざわざ興梠さんを指定したことから言って――
どれほど猫が自分を避けているか、その事実を嫌と言うほど知って見る影もないくらい消沈している探偵を慰めるように少年はことさら明るい声を張り上げる。日頃毒舌とは言え、少年だってそれなりに気を使っているのだ。
「で? これから謎を解こうというんだね? 絵の中で一体、〈猫〉は何を意味するのか……!」
傷ついた探偵はソファに腰を落としてぼそっと呟いた。
「何、謎ならもう解いたさ」
「えー?」
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