興梠探偵社物語

sanpo=二上圓

第1話 聖月の依頼人:1

 瀟洒な洋館。

 英国風の切妻の屋根に、かつては純白だったのだろう、今は年月に晒されて灰色になった板壁の、そのくすんだ色がまたいい。

 玄関の重厚な両開きの扉は苔色で、広い前庭を貫いて真っ直ぐに私道ドライブウェイが続いている。

 敷地の周囲にぐるっと巡らせた鉄柵の塀は古城を守る兵士のようだ。

 それなのに――

 掲げられた看板が物凄く違和感を放っている。

  

     

        〈 興梠こおろぎ探偵社 〉


 

 古寂びた風景の美しい調和を乱す、その真新しい看板に足を止めて、繁繁と見入っていると背後でいきなりクラクションが鳴った。


 プァプァプァ――ン……!


「邪魔だよ、君? 車を入れるからどいてくれたまえ」

「あなたがここの住人?」

 道を塞いでいる人影が振り返って訊く。

「ねえ? この看板は正しい・・・の? 見たところ凄く新しいけど。昨日取り付けましたっていうカンジで違和感が在る」

 フィアット508のその運転手は短く答えた。

「正しいよ」

 動こうとしない人物を見て興梠響こおろぎひびきはもう少し付け加えた。

「看板の表示は正しい。だが、取り付けたのは昨日じゃない。三日前だ。更に、君が違和感を覚えるとすれば――この建物が元、医院だったからだろう」

「ふうん。なるほど」

「好奇心が満たされたなら――どいてくれ」

「まだだよ。最初の質問に答えてないじゃないか! あなたはここの住人なの?」

「ああ」

「ってことは……あなたが探偵なんだね?」

「そうだ。さあ、もういいだろう? どきなさい」

 中学の学帽をかぶり、中学の制服にマントを纏った少年は露骨に顔を顰めると、

「なんだよ! そう邪険にするなよ! 依頼人を相手にさ!」

 心の中で十数えてから、探偵は言った。

「ここは本物の探偵社だ。僕は子供のお遊びに付き合う暇はないんだよ」

「お遊びじゃない! 確かに僕は大人じゃないけど――正真正銘の依頼人だよ! お金だってちゃんと持ってる! 一刻を争うんだ! 僕の……僕の大切な姉さまを助けてやって!」

「?」




 洋館の二階。

 応接室と思われる一室。

 片側の窓の一面に四角いステンドグラスが嵌め込まれていて赤、緑、黄色の影を寄木細工の床に零している。

 一応ここが探偵社の事務所らしい。

「ふうーん?」

 ソファに座っても落ち着き無く周囲を見回す中学生だった。

「てんで、らしくないなあ! 僕が想像してた探偵の棲家とは物凄く違ってる! これじゃゴージャス過ぎるよ」

「むしろ、金をかけていないだけだ。探偵社開業にあたって家具や調度品を買い代える程のこともないと思って」

 紅茶のカップを少年の前に置きながら興梠は説明した。

「皆、元々あったものをそのまま使っているのさ」

「それにしても、全然不釣り合いだよ。チェスターフィールド様式の黒革ソファにウェッジウッドのカップなんて……!」

「――」

 また心の中で十、数を数えながら紅茶を啜る探偵・興梠だった。

 そんな探偵にいきなり少年は言う。

「ねえ、 探偵さん? 貴方、昔、少年にひどい目にあったでしょう?」

 ぎくりとする。

「な、何故、それを?」

「実はさ、僕も将来探偵になりたいと密かに思ってて――人間観察に力を入れてるんだ。ほら、ホームズもそうしろって言ってるでしょ?」

 少年は得意そうに胸を反らせた。

「それで、出会ってからずっとあなたを観察してて、気づいたんだ。あなたは服装もお洒落で教養もある。人当たりも礼儀正しいはず。なのに、僕にはやたら冷たい態度だから――きっと過去に僕みたいな年頃の子に酷い目にあったに違いないってわかったのさ!」

 紅茶のカップをテーブルに戻して、

「どう? 簡単な推理さ! 基礎だよ・・・・ワトスン・・・・!」

「そんなのは推理の内には入らないよ」

 今度ばかりは数を数えずに単刀直入に探偵は言い返した。

「確かに僕は君みたいな〝可愛らしい顔〟で〝探偵小説マニア〟の〝制服姿の中学生〟が大嫌いだ。だが、依頼人だというなら、拒絶はしない。要件を聞こう」

「――」

 肩をすくめてから、少年は、一応、姿勢を正して自己紹介した。

「僕の名前は海府志義かいふしぎ。中学三年生だよ。依頼したいのはコレ――」

 少年が通学用の肩掛け鞄から取り出した物。

 それは二枚の絵だった。


「?」

 どちらも小振りのカンバス――サイズにして2号くらいか――に描かれている。

 紅茶カップを隅に寄せて志義は二枚の絵をテーブルの上に並べた。

「先月の末から今月に入って送られて来たんだ。ねえ? この絵を見て、どう思う?」

 

 最初に送られてきた絵は肖像画、もしくは風景画。

 画面左に二本の木が描かれていて、右側に人物(男)が描かれている。

 一方、二枚目は静物画と言っていいだろうか?

 どう見ても鈴としか見えないものが二個並べて描かれていた。


 正直に興梠は言った。

「ちょっと……わからないな」

「貴方、帝大で美学を修めたんだろ?」

「何でそれを?」

「言っただろ? 僕も探偵志願だって。だから、今回の件で誰に依頼すべきかそれなりに調べたのさ!」

 これだから、この手の少年は油断がならない。

 興梠は息を吐いた。

「いくら美学を学んだからって、素人の絵をいきなり見せられては無理というものだ」

 少年は食い下がった。

「でも、絶対、この絵には意味があるはずなんだ! でなきゃ姉さまがあんなに怯えるはずはない! 姉さまはこの絵を見てからというもの落ち着かなくなって……夜もあんまり眠れないみたいで……そりゃ酷くやつれてしまった……!」

 少し優しい声になる探偵。

お姉さんに・・・・・送られて来た絵なんだね?」

 思い出したように少年はポケットから生徒手帳を取り出した。挟んである写真を抜き取る。

「これが僕の姉さまだよ。世界で一番大切な人だ。だから、僕は姉さまをいじめるやつを絶対に許さない!」

「――」

 写真の中で微笑んでいる美少女を指し示しながら志義は説明した。

「名前はゆきこ。歳は18歳。今年の春、女学校を卒業した。どう? 勿論、僕の依頼、引き受けてくれるよね?」

「そうだな……」

 じっと見入っている探偵の手から慌てて少年は写真を奪い返した。

 再び丁寧に手帳に挟みながら、

「〝好み〟だった? まあ、姉さまに見蕩れない男なんてこの世にいないけどさ。姉さまのいる処、取り巻き連中の輪が幾重にもできるんだ。だから、探偵さんも恋しちゃダメだぜ? とてもあなたなんかの手に届く人じゃないから」

 改めて探偵は思った。

 〝可愛らしい顔〟で〝中学の制服を纏った〟〝探偵小説マニア〟の、その上、〝肉親にゾッコンの少年〟は大嫌いだ。

 

 この話、断ろうかな?



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