第33話 :4

 ハア、ハア、ハア……


 そよぐ木立、吹き過ぎる風。

 次々に眼に飛び込んでくるのは緑、そして白。

 高原には白い花が多い。

 ガマズミ、サワフタギ、マルバウツギ、ムシカリ、ハクウンボク……

 だが、今は名を確認している暇はない。

 

 ピイイイーーーー

 

 高い声が空を切り裂く。

 ギョッとして見上げると一際高い梢から見下ろしているのは胸から脇腹にかけて鮮やかなオレンジ色の小鳥――

「なんだ、アカハラか?」


 一転、視線を下ろして周囲を見回す。

 

 ハア、ハア、ハア……

 

 聞こえるのは、自分の荒い息だけだった。

 

「……まさか……気づかれるとは……そ、それにしても……逃げ足の速い奴等だな?」

 男は膝に手を置いて荒い息を整えた。

「クソッ。土地勘はないはずなのに! 何処へ行った?」

 次の瞬間、背後のヤマホウシの茂みから鋭い一閃……!

「チェスト――!」

「うわっ?」

 電光石火のきっさきから、すんでのところで身を捩ってかわした。

 が、その拍子に体勢を崩しもんどりうって草叢に倒れこむ。

 白いパナマ帽が青空高く吹っ飛んだ。

「ちっ! 仕損じたか!」

 志儀しぎは悔しげに歯噛みした。

「やっぱり示現じげん流は両手でないと威力が半減するな? 普段だったら間違いなく脳天をぶち割ってやったのに!」

「だったら――何故そうしなかったんだい? この期に及んで……」

 呻いて身を起こしながらも、よほど気になったと見えて男は眼前の剣士の妙な出で立ちを問い質した。

「この大事な場面で……何だってまたそんなモノ・・・・・抱えてるんだっ?」

 少年は右手に木刀代わりの太い枝、左手にしっかと黒猫を抱えていたのだ。

「仕方ないよ! だって、この猫、興梠さんには抱かれようとしないんだもの!」

「?」

「恥ずかしながら――その通りです」

 今度、シャラの木陰から現れたのは探偵・興梠響こおろぎひびき

「では、僕はその黒猫君に感謝しなけりゃならないな!」

 意外にも笑顔を浮かべて男は立ち上がった。

 さっき飛ばした帽子をきちんと拾い上げてから、興梠探偵社の面々に挨拶する。

「驚ろかせて申し訳ない。僕は決して怪しいものではありません。僕の名は柴崎健吾しばざきけんご

 上着のポケットから金色の紋章の入った手帳を取り出して見せた。

「ご覧の通り――N県警の刑事です」

「……刑事?!」




 3人は涼しい風が吹き渡る小さな地蔵堂の前の空き地に腰を下ろしている。

 手に持っているラムネ瓶は今しがた志儀が買いに走ったもの。

 濃紺に白のピンストライプの洒落たスーツを草の汁で台無しにした刑事。

 このスーツは特別の日のための極上の一品、一張羅だとか。普段の仕事着にはもっと安くて地味な背広を着用しているとのこと。

 その大切なスーツを汚してしまった謝罪を込めて、ここはせめて飲み物を買う役を少年が引き受けたというわけだ。

 え? 猫はどうしたか?

 意外にもその間、刑事が抱いていた。 

 ノアローの好悪の基準が何処にあるのかますますわからなくなった興梠だった。

 それはともかく、探偵の黒猫は刑事を気に入ったようである。

「そうですか! K市の? 探偵社のかただったとは……! こりゃ、尾行などと失礼な真似をして申し訳ない!」

「お互い様です」

「うん! こちらこそ警察の方・・・・の脳天をブチ割るところだったものね!」

「ブッ」

 またしてもスーツに盛大にラムネを噴き出す探偵。

 昨日のはホテルのクリーニングサービスに出し、せっかく新しいもの――今日はトロピカルのサンドベージュ――に着替えたばかりだと言うのに!

 ままよ。咳払いして、

「これ、フシギ君。君はいいから黙っていなさい。ところで―― そちらはどうして僕たちを尾行したんです?」

 柴崎健吾は一気にラムネを飲み干すと、大息を吐いた。

「実は、僕は今日、朝からずっとあの場所、雪宮邸を見張っていたんです」

「え?」

 驚く探偵と助手に慌てて手を振る。

「尤も、あくまで僕の個人的な行為であって公式な警察の業務ではありません。僕は今日は非番なんです」

 貴方方あなたがたが探偵と言う〝特殊な職業〟なら、先ほどの無礼をお詫びする上でも、率直にお話します。

 こういって刑事・柴崎健吾は話し始めた――



「実は1両日前から、清水梓しみずあずさ嬢――あの邸の当主・雪宮暉ゆきみやひかる氏の許婚(フィアンセ)です――が消息を絶っているんです。

 勿論、このことに気づいて心配しているのは僕意外にはいません。

 僕は梓嬢の、その、何と言うか……」

 ここで刑事は少々顔を赤らめた。なるほど、こうしてみると浅黒い肌に切れ長の眼。中々の美男子である。

「僕は梓クンとは幼馴染おさななじみで、最近頻繁に相談を受けていたのです。

 その相談こそ、梓クンが婚約を解消したいと言う重大なことでした。

 一方的な婚約破棄……

 ことがことだけに穏便にはすまないかも知れないと梓クンはおびえていました。

 けれど、それは既に決心していて、譲れないとも言っていたのです」

 探偵と助手を交互に見つめて若い刑事は言った。

「もう少し説明が必要ですね?」 

 柴崎健吾の頬がまた染まる。

「地元の人間なら誰でも知っていることなのですが、雪宮暉氏と梓嬢の婚約は当初からキナ臭いものがありました。梓嬢も旧家のお家柄なのですが、お父上が多額の負債を抱えて金銭的に行き詰まっていました。それを肩代わりする代わりに宛ら人身御供ひとみごくうのように差し出されたのが梓嬢なんです。婚約成立は3年前。二人は来年の春、梓嬢の女学校卒業を待って式を挙げる予定だった……」

「その梓嬢が、ここへ来て婚約を解消したいと言い出した理由は何なの?」

 ズバリと志儀が訊いた。

「フシギ君――」

 腕を引っ張った探偵に向き直ると、

「いいじゃないか、この際、ハッキリ聞いておいたほうがいいよ! 令嬢の心変わりの理由――興梠さんだって知りたいだろ?」

「いや、僕にはおおよそ想像がつくよ」


真実の・・・愛を・・貫きたい・・・・


「はあ?」

 志儀があんぐり口を開けて柴崎を見つめる。

「突然、何を言い出すんだよ、柴崎さん?」

 〝頬を染める〟どころか、今や刑事は火を吹きそうなくらい真っ赤だった。

「いや、梓クンが言ったままを、一言一句違えずに、正確に・・・言っているんです、僕は!」

 

―― これ以上隠し通すことは私にはできません。

   私が愛する人は雪宮暉様ではありません。


   私は本当に愛した御方と人生を共にしたいのです。

   ですから、私、決心しました。

   暉様に婚約解消を申し出ます!


「僕にそう明かした翌日、つまり、雪宮氏に本心を告げたはずのその日以降、梓クンはふっつりと姿を消した……! これはもう、彼女の身に何かあったと思って間違いない!」

 感極まって仁王立ちになる刑事。

 ここでまた志儀が疑問点を率直に訊いた。

「でも、さっき言ったよね? 『警察として公式に調べているわけじゃない』って。それはどういうことさ?」

 無念そうに刑事は空のラムネ瓶を握り締める。

「それは――梓クンのご実家に問い合わせても知らぬ存ぜぬの一点張り、行方不明や失踪の事実を決して認めようとしないからです。清水家側からは警察に正式な届けなど出すつもりはないようだ」

 株に手を出して多額の借金を作った清水家の当主で梓嬢の実父、清水芳蔵しみずよしぞうは心労がたたってか脳梗塞を患い、現在寝たきりの状態。後妻は梓嬢には継母にあたる。先に刑事が憤って言った〝人身御供に差し出された〟と言う意味はまさにこれだ。

 清水家は今や雪宮家無しには存続できない。従って、雪宮家の機嫌を損なう真似など金輪際出来ないのである――

「梓クンの姿が見えなくなったのは事実です! 僕がどんなに連絡を取ろうとしても無理なんです!」

 柴崎が言うには、婚約解消を告げたら、その日の内に経過について報告に来ると清水梓は誓った。にもかかわらず、遂に令嬢は約束の場所に現れなかった。それどころか、それきり音信不通で姿も見えない。

「ですから、僕は居ても立ってもいられず……非番の今日、朝から雪宮邸を見張っていたんだ!」

 刑事は拳を振り回す。

「そこへ、得体の知れない妙な人間がやって来た! これはもう、梓嬢の失踪と関わりがあると踏んで当然でしょう?」

「得体の知れないは余計だ!」

「フシギ君――」

 興梠は助手を遮ると口早に言った。

「柴崎さん、貴方の推理は正しいと思います。それにしても――そうか! 遅かったか!」

 助手が眉を寄せる。

「え? 今、なんて言ったの、興梠さん? 〝遅かった〟ってどういう意味?」

 刑事もまじまじと探偵を見返した。

「よもや、貴方は――梓クンの失踪を予見されていた?」

「僕の元……興梠探偵社宛てに届いた手紙です」

 興梠は件の封書を取り出して刑事に渡した。

「御覧なさい。写真に写した絵の方。この絵にはね、言葉では伝えられない画家の重大なメッセージが籠められているんですよ」


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