Section 8 Eve

Sister, my sister

 山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごは都内の駅の雑踏を抜け、オフィスビルに入った。比較的新しい、清潔なビルだ。


 エレベーターで高層階へ赴く。チャイムも鳴らさずドアを開ける。


「こんばんは、イブ」


 部屋は薄暗い。明かりは何枚も並んだ大型ディスプレイから漏れるだけだ。そのわずかな光を受けて、額にはめられたジグソーパズルたちが照っている。


 床にしかれたビニールシート。そこに散乱する解きかけのパズル。その前に屈みこんでいた少女は、ゆっくりと振り返った。


 正確には少女ではない。イブは24歳の女性だった。しかし150ほどしかない身長と病的なまでに細い手足、そしてアルビノの色彩は少女と呼ぶにふさわしい清らかさだった。


「パパ」


 作業用の大きな机にラップトップパソコンを置く山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいご。作業用のモニターにコードをつなぎながら言う。


「さあ、ペアプロpair programmingの時間だよ。今日の作業目標は」


「少し待って、パパ。聞きたいことがあるの」


 イブの言葉に、山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごはあからさまに苛立った態度になる。


ペアプロpair programmingの時間だと言ったんだが」


「4分。4分だけちょうだい」


「……仕方ない。4分だ」


 山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごはラップトップの隅に表示された時計を見る。23:52。


「予定を崩さないでくれ」


「パパ、アリスに会ったのね?」


 パズルを置いて立ち上がるイブ。自分のコンピューターへ向かうイブを横目に見ながら山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごは答えた。


「会ったよ」


「どうして何も話さなかったの」


「予定に遅れたくなかったからね」


 考えこみながら黙するイブ。時計が23:53に変わった。


「……アリスは『Scotomaスコトーマ』には誘わないの?」


「それは僕が決めることじゃないから知らない。『Scotomaスコトーマ』は僕の理想に共感した人たちがやってるアノニマス式の団体だ。僕がタッチしたら意味がないんだよ。このペアプロだって、僕はイブの手伝いをしてるだけだ。イブが全部作ったものとして『Scotomaスコトーマ』に供される」


 まるで一片の嘘も言っていないかのような白々しさで言う。そんな父親を見ながらイブはたずねた。


「あのカヅキって子は?」


「ああ、あれは誘うことになったみたいだね。Walterウォルターがアリスを通して接触を試みているそうだ。小耳に挟んだだけどね」


 時計が23:54に変わった。


 イブがすとんと椅子に腰かける。最高級のデスクチェアだ。


「私に弟がいたなんて知らなかったわ」


 イブは通じないと知っていながらあえて皮肉を言った。案の定、山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごは何の感慨もなく退屈そうに時計を眺めている。


 イブは机の隅に置いてある、電子フォトフレームに目をやった。幼いイブとアリスが市民プールではしゃいでいる。


「……パパ。アリスに会いに行っちゃダメかしら」


「ダメだ。何度も言っているだろう? 彼女がクラッキングを始めでもすれば別だが、アリスはしないだろう。あの子は才能がない。と言うより狂ってるから」


「そう、ね。そうかもしれない」


 イブはその赤い目を細め、アリスに置いていった物の数々を思い出す。私のところまで来て。そんな祈りとともにお膳立てしたクラッカーの道は、アリスの目に見えていない。

 タブーを犯す愉悦をアリスは感じない。惹かれることもない。どんなに鋭いナイフを渡したって、アリスが生き物を刺してみることはないだろう。せいぜい料理をきれいに飾り切りするくらいだ。それは父にもイブにも信じがたいことで、狂気と呼びたくなる性質だった。


「でもパパ。アリスにただ会って話したいの。クラッキング抜きで、ただ会うのはダメなの?」


「どういう意味だい、それ?」


 いつのまにか23:55になっていた。イブは焦る。


「それじゃあ、ママやカヅキには?」


「ダメだ。美和もこっちの人間じゃない。ただ、加月かづきは、そうだね」


 山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごのメガネに、モニタの光が反射する。大吾だいごは笑っていた。


「勝手に会いにくるんじゃないかな」


 山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごが作りかけのプログラムたちを開いていく。


「それじゃあ、カヅキには会ってもいいのね? もしカヅキのそばに偶然アリスがいたら」


「時間だ。作業を始めよう」


 イブが時計を見ると、23:56、約束の時間になっていた。これ以上話しても父親を怒らせるだけ。よく知っているイブは口を閉ざし、プログラミングの準備を始めた。

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