9.Ignorance

9-1

 カーテンの隙間から朝日がきらめく。約束の金曜日がきた。これからアリスはカルナとZiCEDAIジセダイに侵入し、父の痕跡を探る。父との関係を、サイバーテロの企みを、悟られぬよう細心の注意を払って。


 とはいえアリスの目下の悩みは何を着ていくかだった。パジャマのままクローゼットの前に立ち、あれでもない、これでもないと出してはしまう。


 そのとき、来客ベルが鳴った。アリスは玄関に走っていく。


「こんにちはー、田川急便です」


 受け取った箱のロゴを見て、アリスの胸が踊った。急いで部屋に戻り封を開ける。


「かわいい〜」


 予約注文したRIP RISAのワンピースだった。夏らしいノースリーブに甘すぎない水色、爽やかなレース使いがたまらない。


 今日はこれにしよう。即決したアリスはパジャマを脱ぎ始めた。





「カルナー、来たよー」


 夏の熱風にレースの裾を揺らし、アリスがカルナのアパートのドアをノックする。


 ずるずる、ごそ、ごそ、ばり、ごそ。カルナが扉まで這ってくるのがわかった。解錠する音。うすーく扉が開かれる。


「……集合時間は一時間後なんだが」


「着いちゃった。出発の時間まで掃除してあげるから入れてよ」


 アリスはごきげんに笑う。はやく新しいワンピースで街を歩きたくてたまらなかったのだ。


 カルナはアリスを半眼でにらみあげたのち、ドアを大きく開けた。アリスはゴミだらけの狭い玄関で慎重に靴を脱ぐ。


「おじゃましまーす。相変わらず汚いね。掃除しがいがあるわ」


 カルナは何とも言わずベッドへ戻った。よほど眠いらしい。


 新品の服を汚さないように注意しながら、床に散らばったものを服・ゴミ・その他に手早く仕分けていく。しばらくアリスの立てる物音と、カルナの寝息、サーバーのうなる音しか聞こえない時間が続いた。


 アリスがカビの生えかけたシャツをどけると、四角い木のフレームが出てきた。


「ん?」


 ゴミには見えなかった。ただのフレームではない。写真立てだ。デジタル機器だらけの部屋に落ちているアナログのフォトフレームは、なんだか迷子みたいだ。


 アリスは少しだけ迷ったのち、写真立てを裏返した。


 埃だらけのガラスの奥に、病室があった。小さな椅子に小さなカルナが座っている。小さいとは言ってもせいぜい数年前だろうか。今よりずっと可愛げがあるのは気のせいじゃないと思う。

 そしてカルナの隣、ベッドの上では、中年の女性がほほえんでいた。がりがりに痩せている。酸素吸入機と点滴に繋がれている。それでも幸せそうに笑っていた。心の底から幸せそうに。


「あー。それ」


 アリスは顔をあげる。カルナがベッドで寝たまま手まねきしていた。


「探してたんだ。助かる」


 渡せということだろう。アリスはポテチの袋やジュースの缶を迂回し、カルナのもとへ写真立てを運んだ。


「優しそうなお母さんだね」


 アリスが言う。カルナは黙っていた。否定しないということは、母親で間違いないのだろう。


 カルナは写真立てを受け取った。その手つきが見たことないほど優しくて、アリスの胸がしめつけられる。病床の母親がその後どうなったかは今のカルナの暮らしを見ればたやすく想像できた。


 カルナはのそりと起き上がり、サーバーとサーバーの間に写真立てを置いた。わざわざ写真が見えない向きで。


 アリスはいたたまれなくなり、なんとなくPlum phoneを見た。いつの間にか出発の時刻が近づいていた。


 

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