5-4
昼休みを告げるチャイムが鳴った。先生が立ち去り、教室は開放感に包まれる。誰かが窓を開けて、夏風が廊下へと吹き抜けていく。
文菜は一通りノートを確認したあと、ポニーテールを揺らして振り向いた。
「あついね〜、集中できなくていやになっちゃう」
穏やかな声色。柔らかな物腰。雰囲気からもわかる真面目な性格。可愛いたれ目がアリスにほほえみかける。
アリスはその表情を見ながらもう一度首を傾げた。
「どうしたの?」
「いや……文菜、最近シャベッター使ってる?」
SNSアプリの名前を告げると、文菜は困り顔になった。
「それがね、使ってるんだけど、変な投稿が勝手にされちゃうようになっちゃって。見つけるたびに消してるんだけど、受験勉強の邪魔にもなるし、アカウントごと消しちゃおうかなーって」
「……。それがいいと思う」
やっぱり。文菜があんなこと言うはずないと思った。
アリスは思い、先ほどのリプライを文菜に見せる。文菜の目が見開かれた。
「……っ! なにこれ?! アリス、私こんなこと思ってないよ」
「知ってるよ」
アリスと文菜は目を合わせ、くすくす笑った。
ひとしきり笑ったあと、おのおのの弁当を広げはじめる。文菜は鮭をほぐしながらため息をついた。
「もー、びっくりしたよー。今までは変なリンクや広告を投稿しちゃうだけだったのに、いきなりアリスに攻撃しちゃうなんて」
「私はびっくりしなかったよ。文菜、ちゃんと授業に集中してたし。ぜったい誰かのイタズラだろうなって」
「信じてくれてよかったー」
アリスはサンドイッチを食べながら、もしかして、と問う。
「文菜、シャベッターのパスワード、すごく簡単なのとか、他のサービスと同じやつとかにしてない?」
「してないよ? お父さんに言われて、20文字くらいある長ーいのにしたもん」
「えらいね……」
じゃあ、私みたいに誰かにログインされちゃったわけじゃないのかな?
ますます謎が深まるばかりで、アリスの首は自然と傾く。文菜が言った。
「ごまかしごまかし使ってたけど、ここまでされると怖くなっちゃった。お父さんに相談してみる」
「そういえば文菜のパパってプログラマーなんだっけ。すごいね」
「うん。お仕事がんばってるみたいだけど、たまには帰ってきてほしいなぁ」
文菜の父親は中国に単身赴任していた。
アリスは、文菜の父が作ったというウェブサイトを見てみようとしたことがあった。しかしアクセスできなかった。あとで知ったことだが、中国はPlum phoneからのアクセスも、Plum phoneの所持も法律で禁じている。
アリスの脳裏に昨晩のカルナの言葉がよみがえる。
『大衆は安全な20年の間に忘れちまったんだ。サイバー・トラップから身を守る方法を。安全の価値を。安全には金がかかるんだってことを。そこに
吐き捨てるような口調。嫌悪感たっぷりの表情。それらも思い出しながら、アリスは呟いた。
「中国から拒否されちゃうようなOS、かぁ」
「なぁに、アリス?」
「ううん、なんでもないよ」
ご飯を食べ進めながら、文菜はもう一度ため息をついた。
「それにしても、相手がアリスでよかったよぉ。他の友達だったら絶対信じてくれなかったもん」
アリスは笑ったが、ふと気がついて真顔になる。
口座の情報を盗まれた母親。SNSのアカウントを乗っ取られた文菜。
サイバー攻撃って、誰かが困ることなんだ。
当たり前のことだ。でもなぜか、そんなのどうでもいいと思っていた。まったく気にもならなかった。
その攻撃を受ける人だって、誰かの大切な人なのに。
午後の授業中も放課後バイトの間も、アリスはずっと上の空だった。
サイバー攻撃。クラッキング。誰かが困ること。
そんな方法で父親に会うのが本当に正しいことなのか、アリスは疑問に思い始めていた。もやもやしたものが胸を埋めている。ぶつかりあっている。
バイトを終え、夕暮れの中で『Fairy Dust』を起動する。月間高得点プレイヤー100位までもう少し。
「クラッキングの才能がないから、私は置いていかれた。だからせめてゲームの才能でパパに認めてもらおうと……していたんだよ……そのはずなの。全然届かなかったから嫌になっていただけで。もうすぐ届くなら、誰かを攻撃する必要は……ないよね」
何位までのプレイヤーが
『近くにフェアリーがいるみたいだよ!』
ゲームから、はつらつとした音声が聞こえてくる。靴紐を固く縛りなおす。自転車にまたがる。
アリスは逢魔時の街へこぎだした。妖精と出会うために。
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