5-3

 なんとかスクールバスに間にあった。座席についたアリスはほっと胸をなでおろす。呼吸を整えながら、気だるく窓にもたれかかる。バスはがたがた揺れながら発車した。


 バス内は冷房こそかかっているが、さしこむ日光や若者の熱気で蒸し暑い。アリスは気を紛らわそうと『Fairy Dust』を起動した。


 バスの動きにあわせてマップ上のアバターが移動し、世界に散らばる妖精の粉を拾い集めていく。


 アリスのアカウント名は『Alice_in_blackland黒色の国のアリス』。制服も黒、髪も黒。街にでればスーツの群れも黒。そんな中で金髪のアリスはとてつもなく浮いていたし、アリス自身もそれを痛いほど分かっていた。有名な小説のアリス、不思議の国に迷いこみ、住人たちから笑われる少女に自分を重ねていた。


 中学校のとき、髪を黒く染めるよう言われたこともあった。アリス自身も目立たなくなることを望んだ。何度も不良と間違われて辟易へきえきしていたのだ。しかし染髪料は手に取っただけでアリスの肌を真っ赤に腫らし、とても頭に塗れるものではなかった。アリスの母親が中学校までついてきて、先生たちに強く「ご説明」して事なきをえた。


「あのときのママ、やさしかったな」


 アリスはぽつりと呟き、目を閉じた。睡眠不足とバスの揺れがアリスを眠りの国へ連れ戻してゆく。




 髪のことを考えていたせいだろう。アリスは子供のころの夢を見た。まだ父親と姉が一緒に住んでいた頃の夢だ。


「おねーちゃん、クッキーやいたよ。いっしょに食べよう!」


 アリスはノックもせず姉の部屋に飛びこむ。

 昼間から真っ暗な姉の部屋。薄闇の中に浮かぶモニターの光。それに照らされる、ジグソーパズルたち。

 姉のイブは銀髪を揺らし、真紅の瞳でアリスを振り向く。


 イブはアルビノに生まれた。それだけでなく、まったく光や熱に耐えられない体質だった。太陽の恵を受けられぬイブの部屋は、窓にも蛍光灯にもぶ厚い紫外線カットフィルターが貼られている。アリスより六歳年上だったが、小学校になど行けたことはなかった。


 アリスは姉のことを天使のようだと思っていた。美しいと思っていた。とくにその銀色の髪が。

 アルビノの天使はほほえむ。アリスよりずっと低い、鐘のような声で答える。


「きりのいいところまで読んだら、すぐ行くわ」


 イブの前のモニタには、何かのプログラムが表示されていた。




 明後日から夏休みということもあり、高校はすっかりだらけた雰囲気だった。ほとんどの生徒が机につっぷしている。エアコンこそ動いているが、暑さをほんの少し和らげるだけだ。教室はじっとりと蒸していた。


 アリスもまた寝不足が取れず、ぼんやりと授業を聞いていた。ノートこそ書いているが、全然頭に入ってこない。昼休みまであと何分かばかり気になる。


 と、膝の上に置いたPlum phoneが着信を告げた。メッセンジャーアプリに「ボブ」からメッセージが届いていた。

 どうせカルナだろう、とアリスはメッセージを確認する。


『おまえパソコンのパスワードがゴミ。ないのと同じ。しかもなんで普段から管理者権限でログインしてんだよ』


 アリスは苦虫を噛み潰したような顔をした。膝の上で返信を入力する。


『のぞかないでよ変態。何言ってるかわかんない。というか、なんでパスワードわかったの?』


『まさかadminがなんだか分からないで使ってたのかよ』


『お姉ちゃんが置いてったパソコンだからよく知らない。パスワードもお姉ちゃんが変えてくれてそのまま』


 パスワードはあとで変えるように言われたが、アリスは姉の残してくれたものをいじる気になれなかった。父と姉が出ていってからずっとそのままだった。


 返信に妙な間があいた。Plum phone越しにカルナのため息が聞こえたような気がした。


『IDと同じ文字列。passwordといった単純すぎる単語。誕生日。名前。0000といった単純な数字列。そういうものはパスワードに使うな。俺みたいなのにいじられたくなければ』


『ご教授どうも』


 新しいパスワードはAlice and Eveにしようかな。マチルダバーガーに登録したときのやつ。

 アリスがそう思っていると。


『他のサービスと同じパスワードも論外な』


 カルナからの追伸に、アリスは苦笑いするしかなかった。


 すると今度はSNSにリプライの通知があった。アリスはメッセンジャーアプリを閉じ、SNSアプリを開いてみる。

 リプライは文菜ふみな、アリスの数少ない友達からだった。


『死ね!』


「……?」


 アリスは首をかしげた。

 文菜は前の席に座っている。文菜のブランド端末はポケットに入ったままだ。右手でペンを走らせ、左手で教科書を押さえている。

 またリプライが来た。


『いちいち話しかけてきてウゼェんだよ!』


「……」


 文菜は授業に集中している。

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