5-5

 夜中近くまで妖精を探し回り、アリスはへとへとになってアパートへ戻ってきた。なかば放るように自転車をとめ、『Fairy Dust』の画面を見る。


「うそでしょー……」


 順位は上がるどころか、むしろ下がっていた。他のプレイヤーが破竹の勢いで得点を重ねてきている。


「一晩で、何したら、そんなに……。レア出現イベントとかあったっけ……?」


 アリスは独り言しながら、ふらつく足取りで郵便受けに向かった。

 暗証番号を入れ、郵便受けを開ける。なにも入っていない。


「あれぇ?」


 よろよろとエレベーターに乗り、部屋の前まで来る。ドアノブに手をかける。鍵がかかっていない。

 そのままドアを引くとエアコンの涼しい風が頬を撫でた。


「ママ? ただい……なんでいるのよ」


 カルナがダイニングでポテチを食べていた。ご丁寧にオレンジジュースまで添えてある。アリスが夜食にしようと思っていたものだ。


「なんで俺の家の鍵を回収してこなかった」


「ちょっと……そういうのは自分でやってよ……」


 アリスは大きく肩を落とす。一日分の疲れがどっとのしかかってきた。

 とりあえず冷蔵庫を開け、オレンジジュースが飲み切られているのを見、仕方なく牛乳をグラスに注ぐ。一気に飲み干す。


 アリスが一息ついたのを見て、カルナが言う。


「そういや、おまえの友達」


文菜ふみなのこと? そうそう、カルナにも意見聞こうと思ってたのよ。パスワードがすごく難しいのにアカウント乗っ取られるなんてある?」


「ある」


 カルナは即答した。早口に解説しだす。


「まず考えられるのはショルダーハック。パスワードを盗み見された可能性。でもシャベッターだろ? XSS脆弱性がある。クッキーハイジャックもありえる」


「せ、専門用語が多くてわからない」


「シャベッター、起動するたびにログインしなおしてるか? してないだろ? しなくていいのはHTTP cookieクッキーっていう入館証みたいな文字列を通信しているからだ。その識別子入館証を保持する限り、そいつは同じやつとして扱われる」


 カルナの説明を聞きながら、アリスは夜食になりそうなものを探した。諦めてカップ麺を取り、お湯をわかしはじめる。


「つまり、どうにかこうにかしてクッキー? っていうのを盗み見したの?」


「おまえにしては勘がいいな。その通りだ。シャベッターにはそれができる素地がある。プロフィールに意味不明な文字列を含むアカウントを見ちゃったことがあるならほぼビンゴだ」


 アリスはお湯をわかしがてら、明日の朝食用にフレンチトーストの仕込みを始めていた。二人分か三人分か迷い、二人分にする。


「実はおまえのPlum phoneに通知が来た時点でざっと調べてみたんだが、どうやらタマネギを通してる。厄介なことに犯人はサイバーに強い人間だ」


「たまねぎ?」


「匿名化ツールのあだ名だ。しかし重要なのはそんなことじゃない」


 ボウルに砂糖と牛乳、バニラエッセンスを入れる。卵を冷蔵庫から取り出す。


 カルナが妙に静かなのを不審に思い、アリスは顔を上げた。

 カルナが暗い瞳でアリスをじっと見ている。乾いた唇がゆっくりと開いた。


「おまえ、狙われてるぞ」


「へ?」


 アリスは卵を取り落とした。メシッと音を立てて卵がへこむ。幸い割れはしなかったが、拾うのも忘れアリスはカルナを凝視していた。


「文菜じゃなくて、私?」


「そう。二階堂にかいどう 文菜ふみなのアカウントを見てみたが、奇妙なことにおまえにしか暴言を送っていない。明らかに、おまえと二階堂にかいどう 文菜ふみなの仲違いを狙っている。シャベッター上では滅多に話さない二人が、リアルでよく喋るのを知ったうえでやっている」


「……そ、それでもやっぱり、文菜が狙われてるんじゃ」


「おまえは友達が少ないから、二階堂にかいどう 文菜ふみなの悪評を広めたいならターゲットとして不適切だ。二階堂にかいどう 文菜ふみなは生徒会にも部活にも入っているし、習い事も複数していて友達が多い。クラスではおまえと一番よく話すってだけだ。おまえ一人失ったくらいでなんともない。一番損をするのは誰だ?」


「……」


「おまえに一人ぼっちになってほしい、サイバーに強い、そしておまえの私生活を監視できる人間は誰だ?」


 アリスは目を泳がせる。思い出すのは、真っ黒な学校で独りたたずむ自分。


「……わかんない。誰かの恨みを買ったおぼえなんて、ないよ。私、友達少ないし。文菜以外とほとんど喋らない」


「恨みとは限らないぜ?」


 アリスにはカルナの言葉の意味がわからなかった。

 震える手でフレンチトーストの仕込みを再開する。ボウルの中身をぐちゃぐちゃにかき混ぜ、バットにあけて、古びてきた食パンを並べる。


 いくら考えても心当たりは見つからなかった。むしろ考えれば考えるほど頭が真っ白になっていく。


 これが、サイバー攻撃の、怖さ。被害者の気持ち。


 アリスは声を出さずに呟いた。Plum phoneが充電切れの警報音を鳴らしているが、アリスはじっとパンをみつめていた。

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