7-2

 駅は大人のにおいがした。酒とタバコの煙をまとった男性たちが外へ流れていく。アリスはその流れをさかのぼり、駅務室に向かった。


 「なんにも付いてないむき出しの鍵が落ちてませんでしたか」と聞くと、そんなの一個しかないとばかりにすぐ返された。カルナの家の鍵を手のひらに乗せ、握りしめる。


 これでもう、終わりにしよう。カルナとの関係は。


 入場券を買い、コインロッカーへ。暗証番号を入れ、ロックを解除する。むりやり押しこまれた二つのキャリーケース。カルナのしかけたハニーポット。罪なき人々を無作為に落とす罠。


「……こんな方法じゃなくても、パパはきっと会ってくれる」


 呟き、コインロッカーからキャリーを引きずりだす。

 アリスはロッカーのドアを閉めながら、父の姿を思い出していた。細い体躯。グレーの髪。縁なしメガネ。柄のシャツをよく着ていた。サラリーマンとは少し違うラフなジャケット姿。そう、いま視界の端を通ったような。


「?!」


 アリスが振り向くと、閑散とした通路を上りホームへ向かう男が見えた。その後ろ姿は、忘れようもない。


「パパ! ねぇ、パパ!!!」


 アリスは荷物を投げ出し、駆けだした。男は立ち止まらない。今までにないくらい全力で走る。


「パパ! 待って! おねがい! パパ!」


 声が枯れそうなほど叫ぶ。


「ねぇ、待ってってば!」


 アリスは男の腕をつかんだ。


 階段を降りようとしていた男が、やっと立ち止まる。その気弱そうな男は、山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごはゆっくりと振り向いた。


「や……やっぱりパパだった……。久しぶり。私だよ、アリスだよ」


「そうか」


 山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごはそのまま階段をおりようとした。アリスが再び腕を強くつかむ。


「ねぇ、待って。せっかく会えたんだからもっと話そうよ」


 アリスの声がどんどん潤んでゆく。


「パパ、私、ずっとパパに会いたかったんだよ……」


「そうか。よかったな。それじゃ」


 重そうなパソコン入り鞄を持ち直し、山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいごはアリスに背を向ける。


 アリスはもう半ば叫んでいた。


「ねぇってば! 私、Plum phone使ってるんだよ。『Fairy Dust』も遊んでるんだよ。もう少しでランカーなんだよ! そうだ、久しぶりに会ったんだから食事でもしよう。ね? パパ。来るよね?!」


「いや、いい。イブが待ってる」


 イブが待ってる。


 それがアリスにとって、どれほど強烈なとどめだったか。


 アリスの指先を、父の細腕がすりぬける。革靴で階段をくだり、どんどんその背が遠ざかる。ずっと焦がれていた背中が。


 アリスは膝からくずおれた。


 下り電車が到着し、電車が乗客を吐きだす。駅の階段は黒髪にスーツの集団で埋め尽くされる。

 そのなかの誰一人としてアリスに声をかけようとしない。かたい革靴の音でアリスの泣き声をかき消し、まるで障害物のように無視して歩く。

 アリスのパーカーのポケットからPlum phoneが滑り落ちた。『Fairy Dust』のプレイ画面が表示された画面。その隅を誰かのヒールが踏んでヒビを入れた。




 人波が引いてから、アリスは静かに立ち上がった。パーカーの袖で涙をぬぐう。落ちているPlum phoneに気づき、拾ってポケットに戻す。


 二つのキャリーを乱暴につかみ、早足で駅を出、アリスは夜の街に消えていった。


 

 

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