7.Dad, my dad

7-1

 バイト先、マチルダバーガーに着くと、事務室の前に人だかりができていた。事務員さんの泣き声も聞こえる。


 アリスは人の輪に加わり、背のびして様子をうかがう。


「本社からのメールの、添付ファイルを開いただけなんです! なのに突然っ!」


 泣きじゃくる事務員さんの前には、事務処理用のパソコン。そのモニターには大きく、黄と黒の刺々しい画像が表示されている。切れ切れにしか読めないが、三日以内に金銭を振り込まないとパソコンの全データを削除する、などと書かれているようだ。


「300万も用意できないです……っ!」


 嗚咽する事務員さんを、店長がなだめる。


「落ち着いてください。毎日本社のクラウドにバックアップがなされていますから。パソコンを初期化してみましょう。身代金は払わなくて大丈夫です」


 身代金と聞き、カルナと初めて会った日のことがフラッシュバックする。


山桜桃梅ゆすらうめアリス。父親に会わせろ。その携帯の全データが人質だ』


「……」


 アリスは静かに野次馬の輪を離れた。


 


 バイトのあいだ中、フロアから聞こえる『Dust Crystal』『Jailbreakジェイルブレイク』といった言葉が気になって仕方がなかった。

 注文しない客、買ったのに席がない客を見てスタッフみんながピリピリしている。みんなから目を逸らそうとすればするほど、よけいに群衆の囁き声が気になってしまう。


 見かねた店長がアリスの脇を通りすぎ、フロアに出ていった。


「申し訳ございませんが、お食事でないお客様は席をおあけください」


 客席の間を歩き回り、丁寧に言う店長。文句を言われても怯まない。若いアルバイトたちの矢面に立ち、客席を整理していく。

 アリスはその大きな背を横目に見ていた。




 夜9時半にバイトを終え、荷物をまとめて帰る途中。アリスは廊下で店長とすれ違った。


「おつかれさま」


 そう言って通りすぎる店長を、少しだけ迷い、アリスは呼び止めた。


「あの、店長」


 忙しいはずなのに。ものすごく忙しいはずなのに、店長は笑顔で振り向いた。


「どうしたんだい?」


「……」


 アリスはなんだか泣きそうな気持ちになった。

 店長を上目づかいに見上げる。店長は穏やかな笑顔のままアリスを待っていた。


「店長。もし店長が……どうしても会ってくれない人に会うなら……どういう方法にします?」


「うーん、そうだなぁ。その人がどういう人かによるかな。どんな人だい?」


 アリスはうつむき、父の姿を思い出そうとした。


 細身の背中。ロマンスグレーの髪。縁なしメガネが気弱そうな笑顔によく似合っていた。キーボードの上でおどる、大きな手。よく姉の頭を撫でていた手。


 アリスは言う。


「パパです。優しいパパ。でも私は才能がないから」


 置いていかれたんです。


 たかぶる感情に喉がつかえ、最後まで言うことができなかった。


 店長はかがんでアリスに目線を合わせた。


「もしかしたら『会いたい』って言えば会ってくれるかもしれないよ」


「え?」


山桜桃梅ゆすらうめさんが会いたがっているのを知らないだけかもしれない」


 店長は大きくほほえんでから「よっこらしょ」と立ち上がった。


「それじゃ。今日もおつかれさま」


「あ、ありがとうございます!」


 アリスは頭を下げ、その場で店長を見送った。大柄な店長が首をまげてキッチンへの扉をくぐる。


「……決めた」


 強くまばたきし、アリスは踵をかえした。大股でマチルダバーガーのバックヤードを出て行く。

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