1-2

 真っ暗な床にざりりと鳴る埃。枯れた雑草。砕けたガラスの破片。見えるものは月に照らされた窓辺と、懐中電灯の光の中だけ。

 恐れはなかった。こうして夜中に廃墟や寺社へ踏みいるのもすっかり慣れっこだ。


 『Fairy Dust』の画面を見る。アリスの位置を示すアイコンが、なかなか動かない。動いてもカクカクと遅れぎみだ。


「……ギガ切らしちゃった……」


 契約したパケット通信量を使い切ってしまったらしい。

 位置情報が重要なこのゲームで、通信が遅れて現在位置が反映されないのは致命的だ。アリスは困り果て、ワラにもすがる思いでWi-Fi設定画面を開いた。近くの店のFree Wi-Fiなど掴めないだろうか、と。


 鍵アイコンの表示されてないWi-Fiアクセスポイントがあった。名前は「tsukuyama」。最寄駅の名前だ。


筑山つくやま駅のFree Wi-Fi、こんなところまで届くんだ」


 呟きながら、アクセスポイント名をタップする。Wi-Fiへの接続は難なく完了した。安堵のため息をする。


 アリスはゲームを再開しようと『Fairy Dust』のアイコンに触れる。


「あれ?」


 アイコンを何度もタップする。反応しない。


「なんで?」


 困惑するアリス。その様子をあざ笑うかのようにPlum phoneはブラックアウト、再起動をはじめた。


再起動が完了すると、勝手にメモ帳アプリが立ち上がった。打ってもない文字が画面に現れてゆく。


山桜桃梅ゆすらうめ家のご令嬢がハニーポットWi-Fiごときに引っかかるとは大草原だな』


「え? え? なに、なによこれ」


 画面をタップしても、ボタンを押しても全く反応しない。画面に文字が増えてゆく。


山桜桃梅ゆすらうめアリス。父親に会わせろ。その携帯の全データが人質だ』


 アリスはPlum phoneをじっと見つめる。何度も何度もその文字を読みかえす。


「パパに……?」


「そうだ」


 少年の声が聞こえ、アリスは振り返る。

 自転車用ライトに照らし出されたのは、中学生くらいの少年だった。眩しそうに目を細める。腕にノートパソコンを抱えている。


山桜桃梅ゆすらうめ 大吾だいご。Plum OSと『Fairy Dust』の開発者。おまえ、山桜桃梅ゆすらうめアリスの父親。そうだろ?」


 少年はカタカタとキーボードを打ってみせた。


『で、会わせるのか? 会わせないのか?』


 アリスのメモ帳アプリに文字が現れる。アリスはたじろぎ、数歩後ろに下がった。

 少年は言う。


「いちおう説明しておくが。携帯の全データが人質ってことは、俺はお前の親のクレジットカードでいくらでも買い物ができる。お前の知り合い全員にマルウェアを送りつけたり、連絡先リストを悪徳会社に売りつけることもできる。お前が好きなサイトにお前のふりをして書きこんだり、SNSで誰かを攻撃もできる。もちろん、お前の大好きな『Fairy Dust』のデータを消しちまうこともできる」


「……」


 アリスはPlum phoneを下げ、少年を見つめた。少年は薄笑いを浮かべている。


「……知らない」


「しらばっくれるなよ。山桜桃梅ゆすらうめなんて苗字そうそういるわけ」


「違う!」


 アリスは少年の言葉を遮った。


「違うの! どこにいるか知らないの! 私だってパパに会いたい!」


 アリスの剣幕に、今度は少年がたじろいだ。アリスは眉間にしわを寄せ、今にも泣き出しそうだ。


「パパは十年も前に家を出て行っちゃった。連絡先も知らない。どこに住んでるかも知らない! だから」


 一粒だけ、涙が落ちて月明かりに光った。アリスは袖で顔を隠す。


「会う方法を知ってるなら、私が教えてほしいくらいよ。私が知ってるのは『Fairy Dust』のランカープレイヤー上位実績者になれば開発会社のパーティーに招かれるってことだけ……そこならパパに会えるかもってことだけなの」


 アリスはそこで言葉を止めた。歯を食いしばって涙を止めようとする。


 少年はしばらく値踏みするようにアリスを見つめていた。隈の刻まれた大きな目が、細められる。


「なぁ」



 

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